我愛羅の海 #3
約束の2時にはまだまだ時間があったのだが、
はもうずっと前から我愛羅の部屋の近くで立っていた。
昼間の警備当番をしているカンクロウとテマリが、部屋で休んでいる我愛羅に
「なあ、あの宿の
とかいう娘、おまえを待ってんじゃねえのか。
俺たちが午前の警備から戻った時から、しょっちゅうここ、覗きにきてたみたいじゃん」
「約束してんならさっさと行ってやんなよ。可愛い子じゃない」
などと、からかいともひやかしともとれる台詞を残して出て行った。
(‥‥フン、お前らがいたら出れないだけだ。早く行け)
内心我愛羅も早く部屋から出たかったのだが、姉と兄の手前、見栄をはっていたのだ。
二人が消えるや否や、そっと戸を開けて外を覗くと、廊下の端の方にいつもの着物姿の
がいた。
(まだ時間には30分もあるぞ‥)
よほど楽しみにしているのだろう。
こういう時は素直で可愛いのにな、などと思いながら、近付いて声をかける。
「‥‥待たせたな、行こうか」
「きゃあっ、ああ、びっくりした〜。
いいんですか、まだ約束の時間まで大分ありますよ」
「‥‥でも、随分前から待っていたんじゃないのか」
我愛羅の言葉に真っ赤になる
。
「そ、それはそうなんですけど‥‥一応、約束の時間は2時って言ってたし‥‥」
本当に同一人物なのかと疑いたくなるほど、態度がしおらしい。
しかも、演技ではなさそうだ。
「‥‥かまわないさ、早めに行った方がいい場所で見れるだろうからな」
「じゃ、じゃあ、行きましょう!!」
着物を着ているのに着崩れることもなく、そのくせけっこう速いスピードで走る
に、我愛羅は内心驚きながら着いて行く。
小雨模様の中だが、サーフィン大会の決勝とあって、かなり人が集まっている。
「ここが一番いいところですよ、みんなよく知らないけど、波の流れからして、ここが一番の見せ場になるはずだから」
さすが地元だけあって、波がどこで大きくうねるか、一見して把握したらしい。
色とりどりの傘の花畑の中に2人も潜り込む。
色が白いのでよけい目立つのだが、上気した頬をして、
は本当に嬉しそうだ。
「‥‥昼間はめったに外出しないのか」
「え、ああ、そうですね、こんな天気の日ならまあ、買い出しとかには行きますけど‥‥。
でも、こういうイベントは、本当に久しぶり!
ここのところ、この決勝はいっつも上天気だったから、もういつ行ったか忘れちゃいました〜」
興奮をかくそうともせず、問われるままに素直に話す
。
我愛羅は、あまりにも昼間の彼女と夜の彼女の落差が激しいので、まるで性格が正反対のふたごの相手をしているような気がして来た。
「ほら、始まったわ!」
やはり決勝ともなると、レベルが高い。
普通の人なら泳ぐことも考えないだろう荒れ狂う高波の中、サーフボードと一体化した挑戦者たちが次々大技を見せて行く。
の言った通り二人の前あたりで、かならず見せ場があった。
用意のいい
は小さな双眼鏡まで持参していて、我愛羅にも一つ貸してくれた。
忍者の我愛羅にはそんなものは必要なかったのだが、黙って拝借しておく。
双眼鏡を覗くふりをして、そっと、横にいる
を見る。
「きゃあああっ、すっご〜い!」だの「あ〜あ、だめねえ」だの「そこで、踏んばるのよ!」だの、騒がしいこと。
しかし、着物姿の彼女がそんなふうにキャアキャア楽しげに騒ぐ姿はなんとも微笑ましかった。
突然、背後からあきらかにナンパ目的とわかる野郎どもの声がしてきた。
「かわいいおねえちゃん、俺たちと遊ばない〜?あっちのほうが、よく見えるよ〜」
「すてきだねえ、着物なんて着ちゃって」
やはり着物姿はこの会場では目立ち過ぎたようだ。
「か、かまわないでください」
うろたえた声でつかまれた手を振りほどこうとする
。
連中はまさか、となりにいる男が彼女の連れとは思っていなかったようだ。
「汚い手を離せ」
我愛羅が男どもの手を傘でばしっとはたいた。
「なにしやがんでぇ、このチビ!」
そのチビが連中の方を睨み付けたとたん、二人の男はぎょっとして、態度を豹変させた。
「や、やべえ、こいつ‥‥」
「わ、悪かったな、お前の女とは知らなかったんだ、勘弁な」
あっけにとられえる
の前から、2人組はしっぽを巻いて走り去って行った。
「あ、あの‥‥」
「‥‥なんだ。」
「我愛羅さんって、そんなに有名なの?その、そういった方面で‥‥」
目を点にする我愛羅。
は我愛羅を極道の道のエキスパートと誤解したらしい。
「‥‥ぶっ、くくくく、あっはっはっはっは‥‥‥」
失笑する我愛羅。
「そんなに笑わないでよ、だって、あんなにびびって逃げちゃったから、てっきりそうだと‥‥」
「‥‥べ、べつにそう思ってくれても、か、構わない‥‥ある意味で、極道みたいなものだからな、忍者も、くくく‥‥」
答えながらもなかなか笑いが止まらず、顔を歪める我愛羅。
むくれていた
だったが、我愛羅の楽しそうな顔を見ているうちに自分もうれしくなったようだ。
「ふふふ、あなたの笑った顔、初めて見た」
「‥‥そうか」
「今日はなんだか、いいことがいっぱい!嬉しいっ!!」
こぼれそうな笑顔で我愛羅をみる
。
その明るさが目に飛び込んで来た瞬間、彼の心臓がドキンと高鳴った。
わ〜っと、大歓声があがり、優勝候補と目されていた選手がきれいな弧を描いて波の上で一回転した。
「すっご〜い、彼で決まりね!」
「‥‥ああ‥‥」
表彰式が終わったころには雨もあがり、暮れなずんで行く黄昏がはっきりしてきた。
海も決勝の最中の荒れ方がうそのように、凪いでいる。
「間に合うかなあ、日没までに天気が回復してくれたらいいんだけど‥‥、な〜んて、勝手だね、私ったら、ははは」
笑ってはいるが、夕焼けを見ることのできる数少ないチャンスだ、その機会をのがしたくないという、
の切ない心中は、我愛羅にも痛いほどわかっていた。
ここの西向きの海はロマンチックなサンセットにはおあつらえむきのロケーションだった。
が、あいにく今日は雲があちこちに散らばっていて、それはそれで美しいのだが、太陽が海面に朱色の光を投げかけながら、空も同じ茜色に染めあげて海に姿を消す、という理想の日没にはなりそうもなかった。
「今日は残念ながら、だめだね〜」
「帰ろう、帰ろう」
決勝を見に来たついでに夕焼けを鑑賞しようと陣取っていた人々が一人減り、2人減りして、ついには
たちだけが浜辺に取り残された。
太陽も雲に隠れたまま地平線に沈んでしまったようで、あたりが薄暗くなってきた。
あきらめきれない
のようすを見かねた我愛羅が、やおら砂を呼び、黙って
をそこへ引っ張りあげると、猛スピードで地平線の方へ飛び出した。
「な、なにするつもり‥‥?」
返事はなかったが、どんどん進んで行くうちに我愛羅のしようとしていることが
もわかって、口をつぐんだ。
空がさっきとは逆に明るくなって来た。
地平線に沈んでいた太陽が夕焼け空とともに姿を現し、海を朱に染め出した。
我愛羅は太陽を追いかけていたのだー
のために。
極力、雲で太陽が隠れないところまで来ると我愛羅はそこで砂を止めた。
が見たいと切望していた夕焼け、そして我愛羅が
に見せたやりたいと思っていた通りの日没が目の前に広がっていた。
「ありがとよ、こんなきれいなものを見せてくれて。
私のためにここまでしてくれた人はあんたが初めてだ‥‥すごく嬉しかった。」
の目の下にはまだ涙のあとが残っていた。
海上もすっかり日が暮れて、辺り一面濃紺の海と、星をちりばめた夜空が広がっている。
「‥‥もうひとりの、
か」
外見は着物姿の
だが、日没と同時に人格が入れ替わったようだ。
「もう一人って‥‥、私は私のままじゃない、口が悪くなるのは認めるけどさ‥‥」
頬をふくらませる
。
「‥‥そうだな、すまない。」
「ふふふ、まあ、いいけどさ。両方の私を知ってる数少ない人間だからね、我愛羅は。」
砂のふちに腰掛け、足先を水につけてぱしゃぱしゃいわせながら、
が言葉を続ける。
「我愛羅ってさ、きっとすごい忍者なんだろうね、この砂といい、そんじょそこらのレベルじゃないよ。
毎年この時期は忍びに手伝い頼むけど、あんたみたいなのは初めてだもの‥‥極道レベルのさ」
会場ですたこら逃げて行った男どもの姿を思い出したのか、
がくすくす笑った。
「‥‥そうかもしれないな。あんなやつらにまで、疎まれるとはな‥‥」
が笑うのをやめて、我愛羅をみる。
「ごめん、そんなつもりで言ったんじゃないんだ。」
「‥‥わかってる、構わん。オレの中にいる怪物を知ったら、誰だっていやになるさ」
はしばらく黙っていたが、
「‥‥でも、我愛羅は我愛羅だろう、どんな外見で立ち居振る舞いがどうであれ、私が私で変わらないみたいに。」
「‥‥それはそうだ、しかし‥‥」
「しょせん、人はみんな違うんだ、自分のモノサシではかりきれやしないよ、他人のことはさ。
昔、どこかで聞いたんだけど、人と人との間には埋めようのない深い深い溝があるんだって。
なにをもってしても、絶対なくすことのできない、ね。」
「‥‥溝か。寂しい話だな」
「そうだね。でも、今だって、我愛羅はその溝越しに私にすてきな夕焼けを見せてくれようと、一生懸命やってくれたじゃない。溝は埋まらないけど、心はつながると、私は思うな」
「‥‥」
「本当のこというとさ、私、色弱で、あまり色がはっきり見えてないんだ。
だから、この夕焼けも色はよくはわからなかった。
でも、みんなのいう、夕焼け色ってのが、わからないなりに見えたような気がしたよ、今日はね。
目じゃなく、心でね。
我愛羅のおかげさ、ありがとう」
いつになく素直ににっこり微笑む
。
色素がないのは承知していたので、視力が弱いとは思っていたが、まさかほとんど色が認識できていないとは思っていなかった。
「‥‥それで、夜の方が活発になれるのか」
「う〜ん、そうだね、夜の方がよく見えるし、人も私と同じモノクロでものを見てると思うとハンデがなくなったみたいで、やっぱ、強気にはなれるよな」
「‥‥そうか」
「さあ、そろそろ戻ろうか。我愛羅も、浜の整備やんなきゃだめなんだろ。
今日のゴミはけっこうすごいと思うよ、決勝でいつもの倍以上の人出だったからな。」
に促されて、砂の船は浜の方へと向きを変えて進み始めた。
大会が終わってしまった今、我愛羅も任務は今日で終わり、あさってには里へ戻ることになっている。
何か言わなければいけないような、もっと何か聞かなければいけないような気はしたが、言葉が見つからず、黙ったまま砂の船を走らせた。
ほどなくすると、例の白いイルカが砂の船の横にやってきて、飛び跳ねながらついて来た。
「ハハハ、こいつ、すっかり元気になったみたいだね。
我愛羅のおかげだよ。」
よくみると、一頭ではないようだ、仲間が何頭かいっしょに跳ねている。
「へえ〜、進歩したんだな、ケンカばっかしてるのかと思ったのにさ。
ふふ、べ〜だ、私だってほら、我愛羅といっしょだよ〜だ」
イルカあいてに自慢もないと思うのだが、無邪気な
の言葉に、自分に対する想いを透かし見て我愛羅はなんとなく嬉しくなるのだった。
イルカと別れてじきに岸につくと、
はここでいいからと我愛羅に別れを告げた。
もっと何か言いたそうだったが、結局、今一度、今日の礼をいうと、いつものように駆け足で立ち去って行った。
我愛羅はため息を一つつくと最後の浜の清掃にとりかかった。
の言った通り、その日の清掃にはいつもの倍近い時間が必要だった。
だが、迫り来る別れを考えるのがいやだった我愛羅には、それはかえって救いでもあった。
結局我愛羅が整備をすべておえて、宿に戻ったのは明け方近くなってからだった。
すぐに布団にもぐりこむと、死んだように深い眠りに落ちて行った。
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蛇足的後書:リー君が乗った砂の雲に乗せてもらったらどんなにいいだろう、という管理人の願望が出てしまいました。
我愛羅は八方美人で人に親切にすることはあり得ないでしょうから、これだけしてもらえたら文句なく彼の大切な人でしょうね。