前編

まだ誰もいない早朝の浜辺をひとり歩く
寄せては返す波の音が聞くともなく聞こえるともなく、彼女が砂を踏みしめる音と混ざりあう。

「ああ、もう、また花火くずだわ、いいかげんにしてほしいわね」
はブツクサいいながらぽつぽつと落ちているゴミを拾い集めて手元のピニールに放り込む。
夏ごとにここの海辺の家の住み込みバイトをしている彼女。
海が好きなのだ。
「夕べは天気が悪かったから花火なんかしないと思ってたんだけど」
もしかしたら地元の子供かもしれないな、と思う。
間もなく海のシーズンも終わるから、その暁に開かれる地元の子供のための海の日を心待ちにしているに違いない。
「しょうがないわね」
ゴミを拾い上げながら、今日はあまり歓迎できない客が来るのをうっかり思い出してしまい憂鬱になる
ため息をつきつつ見上げた空には、鳶が旋回を繰り返し上空へと昇って行くのが見えた。
気を取り直して、大きく伸びをする。

そろそろ引き返そうと思った時、少し離れた波打ち際になにやら黒っぽい物体を発見した。
‥‥人に見えなくもない。
固まる
まさか、これって、噂に聞いていた水死体、ドザエモンってやつかしら?
バイトの先輩からいろいろ吹き込まれてはいた。
水を吸いこんだ死体のグロテスクな腹のふくれ方だとか、性別も年齢も判別できないほどに腐敗した様子だとか‥‥
代々、バイトに来る連中の間で語り継がれているだけの話だろうが。
こわごわ近づくにつれ、その物体はまぎれもなく人間の形をしていることがはっきりしてきた。
黒っぽい布のようなものにくるまれて横たわっている。
どうしよう??他殺体??
警察に通報した方がいいんじゃないだろうか。
でも、まずは本当に人間なのか、そして肝心な生死を確かめなければ。

これって、これって、あの、悪名高い暁とか言う超不良集団の(趣味の悪い)マント、よね?
は人間とおぼしき物体の横に立ってぼうぜんと見下ろす。
くさくはないから、死体ではないわね、少なくとも水死体ではないわ。
調理場を担当しているだけあって冷静に鮮度を判定する。
‥‥‥変なお面‥‥‥本物の暁なのかしら‥‥だって、あまりにもふざけすぎている。
オレンジ色のグルグル模様のお面なんて?!
片目のあたりに穴が一つあいたきりで、このお面不良品じゃないの?
しばらく見つめていただが、意を決してその人間をそうっと足でつついてみた。
反応なし。
もう一度、今度はもう少し強く。
やはり反応はない。
やっぱり死んでいるのかしら‥‥それとも、もしかしてただの人形?
そう思ったらつい、強く蹴ってしまった。

「‥‥‥ひとがせっかくいい気分で寝てるのに、蹴っ飛ばすなんてひどいっすねえ」

「ぎゃあああああああああっ!!!!!」

飛び退く
オレンジぐるぐる仮面は蹴られた横っ腹をさすりながら、渋々といった様子で上半身をおこした。
「そんなに叫ぶ事ないっしょ、耳がつぶれちゃうよ、まったく〜」
「い、い、い、一体アンタ誰よ?」
「ご挨拶ですねえ、アンタこそ誰です?
いきなりヒトの横っ腹蹴っ飛ばしといて」
「だ、だ、だ、だって、生きてると思わなかったのよ」
「死んでりゃ何してもいいんすか、死体損壊で逮捕されるよ」
「ごめん、そんなつもりはなかったんだけど、人間なのか人形なのかも分んなかったから‥‥
だって‥‥‥」
「この仮面のせいって?」
「そう、そのふざけたお面」
「お面〜??
せめて仮面と呼んでほしいなあ、暁の名がすたるよ、ったく」
どう見てもお面よ、と思いつつ、は張本人の口から『暁』の名前が出たので口を慎んだ。
もしかしたら酔狂な思い込みコスプレ男かも、という疑いは念頭から去らなかったが。

「ふぁあ〜っ、任務で疲れて一眠りしてるうちにどうもここへ流れ着いちゃったみたいだなあ。
‥‥あ、俺トビってんですよ、よろしく」
仮面男が大きく伸びをしてから、の方を向いて言う。
よろしくって‥‥‥何をよろしくすんのよ?!
混乱するを尻目に、トビは立ち上がると体から砂をばさばさと払った。
「腹減ったな〜‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥」
「腹減ったな〜‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥」
「腹減った‥‥」
「何なのよ、何でこっちむいてそんなこと言うのよ」
「だって腹へってんだもん、んで、俺の話し相手は取りあえずアンタしかいないんだからアンタにいっただけ」
アンタ、アンタってきやすく言わないでよ、とが文句を言おうとしたその時、
「ちなみに名前教えてくんないすかね、女性にアンタ呼ばわりも失礼だし」
絶妙のタイミングでトビがおもねるように聞く。
つい、

と教えてしまった。
さん、ね」
「そう」
「んじゃ、さん、朝ご飯お願いします」
「!!何、それ??どうしてそういう発想がわく訳?」
「どうしてって、俺が気持ちよく寝てる所を叩き起こして、正確には蹴りおこしてくれたんだから、それくらいいいでしょう。
こんなところを早朝に散歩してる位だからどうせジモティか、花火のくずなんか拾ってる所を見ると、海の家とかでバイトしてんでしょ。
朝ご飯位恵んでよ」
見かけによらずなかなかいいポイントを突いてくる。
「‥‥わかったわ、しょうがないわね。
トビ、だったっけ、こっちよ」
蹴った弱みでつい譲歩してしまった。
「ごっそさんす!」

は歩き出してはっとする。
「トビ、そのコート、ヤバいから脱いでよ、みんなびびっちゃうわ」
「え〜、あ、そうかあ、泣く子も黙る暁なんすよねえ〜、ふっふっふっ」
なにやらうれしそうだ。
聞いてもいないのに勝手に話し出す。
「暁ってさ、エリート集団だから入るのが大変なんだよね〜。
俺が入れたのだって欠員がでて、それに現役の推薦があってやっとだったんすよ。
それに先輩と後輩の関係がややこしくて結構気を使わなきゃならないし、
この先輩ってのが、またきまぐれでさ、芸術家ってのは皆そうなんすかね、変人が多いと言うか‥‥‥」
いくらでも話したそうな彼を遮ってが突っ込む。
「あのさ、トビ、身内の噂はまた聞くからとにかくそのマント脱いでよ。
いったでしょ、あんたが本物かどうか知らないけど、暁ってのは皆怖がってるんだから」
「‥‥さんは全然怖がってない感じですけどねえ」
「だって‥‥」
「あ〜、俺をバカにしてるんでしょ、ひどいなあ、こう見えても大物を倒したことだってあるんすよ。
少数先鋭がウリの暁をなめてもらっちゃ困るなあ」
どこまでが本当なのか半信半疑のであるが、とにかく連れて行くと約束した手前、なんとか体裁をつくろわねばならない。
「わかった、わかったわよ、わかったから早く脱いでってば!」
「そう『ぬげぬげ』って言われると、な〜んかや〜らしい感じしますねえ」
「な、何言ってんのよ、いやなら朝食はないわよ!」
「あ、それは困ります、じゃ仕方ないや」
トビはあっさりマントを脱ぐとくるくるっとまるめてどうやったのか不明だが、下にきていた黒っぽい服のポケットにいれてしまった。
「‥‥ずいぶんコンパクトになるもんなのね‥‥」
「ふふふ、すごいでしょ、これだけじゃないんですよ、いろいろ仕掛けがあってね。
ほら、この足の爪の黒いマニュキュアなんか‥‥」
「はいはい、もういいわよ、機密なんでしょ、私なんかにぺらぺらしゃべっちゃだめじゃないの」
「どうせさんは敵にも味方にもならないんですからいいんすよ」
なんだか釈然としない説明だ。

それにしても暑苦しい格好だ。
マントもたいがいだが、下に来ているタートルもズボンも、全部黒尽くめ。
おまけに手袋にマフラーまでしている。
素肌が見えるのはかろうじてサンダルの隙間にのぞく足の甲とつま先部分だけだ。
「‥‥いくら秋口だって言ったって、暑苦しすぎない、その格好?」
「は?俺のことっすか」
「そうよ、アンタとあたししかいないじゃない」
「トビです」
「わかった、わかった、トビとあたしだけでしょ」
「俺はね、暁のメンバーなんすよ、これぐら禁欲的でも驚くには値しないでしょ」
「禁欲的っていうより、単に暑苦しいのよ」
「冷えをなめると将来困りますよ、特に女性は‥‥」
「初対面の女性にそう言うセクハラ発言かまさないでよ!」
「そういうさんだって、初対面の男性を蹴りおこしたじゃないっすか!」
えんえんと続く漫談。

そうこうするうちに宿舎へ着く。
「ほら、着いたわよ、おとなしくしててね、暁なんて言葉、出しちゃ駄目よ!」
「は〜い、はい」
どうも人を小馬鹿にしている感が否めない人物である。
でも約束は約束、食堂へ彼を案内して、カフェテリア形式の食事をとるように指示する。
るんるんと皿へてんこもりに料理を取ってさっさと席に着くトビ。

!!大変!」
ドアが乱暴に開いて、の同僚が走りこんで来た。
「今日は例の団体が来るのに、2人も夏風邪でダウンなんだって!
どうしよ‥‥‥」
尻切れとんぼで終わったのは、あやしげな人物が彼女のそばにいたからに違いない。
それに気がついたは、素早くトビを紹介する。
「こちらはトビくんよ、別に怪しい人じゃないから」
「なんでいきなり『怪しくない』って形容をつけるかなあ」
ぼそぼそつぶやくトビの事は無視しては思案顔。
「困ったわね、全員揃ってもてんてこまいなのに‥‥」
「ねえ、の連れて来た変わった子に応援頼めないかしら?」
「え、コイツ?」
同僚に言われてちらっとトビの方を見ると、おや、もう皿はからっぽである。
「げ、あんた一体いつ平らげたの、お面もとってないのに」
「ふふん、素顔を見ようとか思ってたんでしょうけど、そうは問屋がおろさないよ」
バ、バッカじゃないの。
あきれて言い返す気も失せる

しかし、この厚かましさ+すばしっこさ(?)は使えるかもしれない。
いや、使うしかないだろう、猫の手でもかりたいのだ、正体不明のお面野郎の手を借りた方が猫よりは出所ははっきりしている。
「ねえ、トビくん、ちょっとお願いがあるんだけど」
「トビくん、ですか、うさんくさいすね」
「うるさいわね、人が下手に出てるんだから耳くらい貸してよ」
「ハイハイ」
トビは耳を取って差し出した。
「ギャアアアアアアッ」
「ハハハハハ、この程度の100均手品でビビるっておもしろいなあ、さんて」
「☆★▽■○!!!!!!」
「まあ、まあ、、落ち着いてよ、あのね、トビさん、実は人出が足りないの、今日一日バイトしてくれないかしら」
2人の漫才を見かねた同僚が声をかける。
「ああ、いいっすよ」
あっさり。
「どうせひまだし、朝ご飯もごちそうになりましたからね。
俺が、さんに気持ちよく寝てる所を蹴りおこされたとか、細かい事は気にしないおおらかな心の持ち主だって事をお見せしますよ」
「‥‥‥‥」

***********

「お世話になります〜っ」
どたどたと音がして、団体が到着した。
海の家にくるだけあって、真っ黒な日焼けした肌がいかにも海でスポーツしてます、といった青年たちが10人ばかり。
実際そうで、カヤックの練習に来る連中なのだ。
中のとりわけごついリーダー格が他の男どもをおしやって、出迎えにてんやわんやするたちの方へやってきた。
さん!またお会いできましたね、感動です!」
「はあ」
生返事を迷惑そうにかえすの手をしっかとにぎりしめる彼の目には、星がきらきらと輝いている。
「あの〜、準備がありますから、手を離して下さい」
「あ、これは失礼、つい再会の感動のあまり気が高ぶってしまって、申し訳ない」

このようすを見ていたトビがの同僚に尋ねる。
「なんなんすか、あの人」
「ああ、彼ね、どうもにご執心なのよ。
去年ここへ来て以来あの調子でが辟易してたわ」
「へえ〜、見かけによらずモテるんすね、さんは」

「何よ、見かけによらずってなんなのよ」
さっき握られた手をいかにもいやそうにズボンにこすりつけながらぬっと顔を出す
「いや〜、タデ食う虫も好きずきだなあ、って。
こんなこわいおねえちゃんが好きな人もいるから世の中うまくいくんすね」
「‥‥‥トビ、あんたって、ほんとうにムカつくわ」
「どうもお誉めにあずかりまして。
よくそう言われるんすよ〜」
「誰が褒めてんのよ!
さ、台所手伝って!」

が朝からいらいらしていたのは実はこの団体のせいなのであった。
(プラス、トビのせいだろうが)
シーズンも終わりかけの今頃、こうしてお客が来てくれるのはありがたいことなのだが、くだんの客、リーダー氏はなぜか一目見たその時から を妙に気に入り、迷惑千万なことに
一方的に彼女も自分のことが好きだと思い込んでいる。
ただの知り合いならぶん殴ってでも分らせてやる所だが、なにぶん客だからそんなこともできない。
言葉は丁寧ながらとげ満載で「あんたになんか興味ない」と繰り返し言い続けているのに一向に分ってくれない。
去年やっと帰ったと思ったらラブレターまで送ってくる始末。
「今時ナマ手紙よ〜。
よまないのも悪いんじゃない」
というバイト仲間の言葉に仕方なく開封したものの、
「将来は‥‥」
なんていう書き出しだったから、全部よむこともせずに燃やしてしまった。

「あの〜、さん、包丁が欠けますよ。
何いらいらしてるんすか〜。
キュウリ切るのがお上手なのはわかったから、威嚇するみたいに勢いよくまな板の50センチも上から振り下ろすのは辞めた方がいいっすよ」
トビの言葉に我に返る
「‥‥ちょっと御飯の準備が大変だからいらいらしちゃってさ」
「うそばっか、さんはさ、あの男がいやなんだ」
「‥‥‥うるさいわね」
「だから、包丁こっちに向けるのはやめてくれないすかね。
わかりますよ、客だもんね、あまりじゃけんにもできないし。
でもああいう手合いはほっとくとどんどんつけあがりますよ。
どうせとんでもない将来の夢とか語るんでしょ。
弱気でいると嫁さんにされちゃうよ」
「うるさい〜っ!!!」
「おお、こわ、おれは野菜じゃないから切らないで下さいよ。
人手不足のおり、貴重な戦力なんでしょ。
大事にしなきゃ〜」
「‥‥‥ひとの弱みに付け込むなんて、トビ、あんたサイテーよ!」
「人聞きが悪いなあ、海千山千の暁のルーキーが貴重なアドバイスを差し上げようと思ってんのにさ。
さん、あんた料理が得意なんでしょ。
まずそれが悪いんすよ」
ハ?という顔になる
料理が得意で褒められる事はあるとはいえ、欠点呼ばわりされた事はない。
「なんでよ」
「男はね、料理上手に弱いんすよ、胃袋半分、愛情半分ってとこかな。
あんたの大嫌いなリーダーさんも、それでころっと騙され‥‥失礼、まいっちゃったんすよ」
「‥‥食中毒にさせる訳にもいかないじゃない」
「まあお客だから仕方ないっスよね。
次に『私の事なんか放っておいて』とかなんとか言ってませんか」
「言ってるに決まってるわよ、しつっこいんだもん」
「それがまずいんすよ〜。
反応があるってことは気がある証拠だと思うタイプですね、ありゃ。
言えば言うほど、中身を聞き流して、自分に答えてくれてると思っちゃいますよ。
ま、一番いいのははやく誰かとくっつくことすね」

簡単に言ってくれる。
彼女だってお年頃、別に好きな相手がいなかったわけでもない。
現にこのチームのなかにもなかなかいいなあと思う人もいたのだ。
また、彼女も口はおせじにもいいとはいえないが、顔はそれに比例している訳ではない。
なかなかどうして美人さんでもある。
しかし。
悲しいかな、リーダーの狙った女にだれが手を出すだろうか。
そんなこんなで男運のないなのである。

どんより固まったの気も知らず、勝手に厨房を覗き回るトビ。
「あ、おいしそうなさしみだなあ〜。
あの人達はこんないいもの食ってんだ〜、さぞ強いチームなんだろうなあ。
予算があるんだな〜、うちとはえらい違いだよ、まったく‥‥
暁は最強のチームなのになんで台所は火の車なんだろうな〜
マントなんかあつらえる金があるなら、もっと実のあるとこに使えばいいのに」
どうも彼の所属するチームの台所事情は厳しいようである。

、トビ、なにぐずぐずしてんのよっ、はやく昼食支度しないとあの連中、練習からじき帰って来ちゃうわよ!」
同僚が心配して顔を覗かせる。
「あ、いっけない!」
「お昼も食べるんだ〜、いいな〜」
「何ボケたこと言ってんのよ、朝も昼も晩も食べるに決まってるでしょ、合宿に来てるんだから!
さ、そこのなべよこして!」
「は〜い、はい、さんが今はおれの上司っすね」
「くだんない事言ってないで食器ならべて!」
「へ〜い」
戦闘開始である。

目次へ戻る  続く