うしろ姿

「あら、我愛羅サマ、こんにちは。
わざわざうちにくるなんて上忍も案外ひまなのね」
スケッチブックから顔を上げていきなりトゲのある言葉。
我愛羅が息抜きをかねて愛用している墨を買いに来た文房具店でのこと。

「フン、お前か、
‥‥そんなカラスみたいな格好して暗い隅にいたら、いるのかいないのか分らないぞ」
「ふんだ、どうせくすんでますよ、店も私も!
あんたみたいに派手に目立てばいいってもんでもないでしょ!」
憎まれ口のキャッチボール。
鼻水をたらしていた小さな頃からお互いを知っているということでどちらも容赦ない。
そこへ店主が奥から戻って来てあわててとりなす。

「これは、我愛羅様!
こら、 、なんていう物言いをするんだ、謝りなさい!」
フン、とそっぽをむく少女。
「別に構わん、俺はこれさえいただければ他に用はないのだからな」
ぷいっと背中をむけて我愛羅は出て行ってしまう。
店主はその背中に黙礼し、 に説教をする。
「こら、 、次期風影様だぞ、友達みたいに話し掛けてはいかんとあれほど言っただろう!
もう子供じゃないんだ」
「フン、そんなこと知らないわよ!
民間人だろうが、忍びだろうが、客は客よ!」
は持っていたスケッチブックを手に奥へ引っ込んでしまった。
‥‥‥そこには実はいろんな我愛羅が描かれているのに。

子供の頃は怖いと同時に皆のいじめの対象でしかなかった彼が日ごとにまぶしくなり出して久しい。
けれどいまさら好きです、なんて言えない。
あの頃は我愛羅の内にあるモノが何か分らなくって、黙って見ているしかできなかった。
小さな頃にここへ引っ越して来た もいわばアウトサイダーだったから。
そして気がつけば彼は、リーダー格の上忍。
里長候補と言う話も既に単なるうわさの段階ではなくなっている。
どんどん手の届かない存在になって行く彼。
好意を素直に表現できない彼女はわざとつっかかる。
こんにちは、とにっこり笑えたらどんなにいいか。
でも言えない、出来ない。

そんな はスケッチブックを開いて言葉の代わりに得意な絵を描く。
いつだって目で追っている我愛羅の後ろ姿を。
店に来た隙に観察した横顔を。
絵の中の我愛羅になら素直になれる、自分の心だって伝えられる。
あの雨の日から消し去れない思いだって。

「どこへ行ってたんだ、この忙しい時に」
バキが我愛羅を呼び止める。
「‥‥墨が切れたから買って来ただけだ」
「そんなもの、誰かに言いつければすむことだろう」
「すぐ近所の店なんだからそうガミガミ言うな。
‥‥そんなことよりさっさと用件を言え」
むりやり会話を違う方向へ持って行く我愛羅を不審に思ったものの、バキもそれ以上追求はしなかった。

別段目立つ事のない娘、
絵が好きで、いつもスケッチブックを開いては何か描いていた少女。
小さな頃はにこっと笑うとエクボがかわいらしかった。
緑がたくさんある里から移ってきたらしく、一度だけ見せてくれたノートには花がたくさん描いてあった。
絵の苦手な我愛羅にはなんで始終絵をかいているのか訳が分からなかったが。
環境のあまりの違いにここへなかなか馴染めないようで、だんだん笑わなくなった。
いわば外れもの同士ではあったけれど、他に共通点もないまま、仲良くなる事もないまま時は過ぎ‥‥
その後、自分の殻にこもってしまった我愛羅はその存在も正直忘れていた。
そんな彼女が我愛羅に取って特別な人に変わったのは、ある雨の日だった。

***********

降りしきる雨がベールになり、傘をさして歩く我愛羅の視界を遮る。
雨の少ない砂の里にしては珍しく今年は雨が結構降る。

長い間孤独にこもりっきりだった我愛羅にとっては人と接するのが一番気を使う難しい仕事だ。
それに比べれば任務等たやすいといっていいほど。
‥‥人とうまくやって行くにはまだ時間がかかるだろう。
今日の用事も自分で行く必要はなかったのだが、息抜きをかねて抜け出して来た。
ささやかな一人の時間、誰にも気兼ねする必要のない時間。

重いガラス戸を開けて人気のない文房具店へ足を踏み入れた。
決まった棚へ行き目的の品を取ると、奥にある会計へ行く。
誰もいない。
「不用心だな」
店員はさっきの晴れ間に外へでも出て、この雨で戻るのに手間取っているのだろうか。
あまり時間は取れないのだが。
ギイ、と戸が開く音がして人が入って来た。
やっと戻ったか、と振り返るとそこにいたのは我愛羅と同じ年頃の少女。
雨のせいでぬれそぼった黒髪が顔にまとわりつくのを白い指で払いのけている。
黒目がちな瞳が瞬いてまつげについた水滴がキラキラと光った。
急いで帰って来たのだろう、上気した頬でそれとわかる。
ふ〜っとため息を漏らした唇は桜色。
地味な黒っぽい服を着ていても、重厚な店内はそこだけ淡く色がついたよう。
不躾だと思いながらも、彼女から目が離せない。

彼女があの幼なじみ、 だと分るまで時間がかかった。
幼虫がさなぎをへて蝶になる。
まさにその摂理を目の当たりにした気がした。

少女はレジの所まで戻って、初めて人の存在に気がついたようだった。
「すいません、お待たせして‥‥」
で、客が我愛羅だとこの瞬間まで気がつかなかったらしい。
最後まで言わずにまじまじと彼の顔を見つめた。
これが、あの、いじめられっ子だった我愛羅?
あの、荒れまくっていた我愛羅?
目の前にいる大人びた風貌の少年があの彼だとは。
昔と同じように人をじっとみる我愛羅のクセは変わっていない。
けれどその瞳は彼が荒波を乗り越え、確実に成長した事を物語る、深い静けさをたたえていた。

「‥‥おそい、大体不用心だぞ」
思う事と違う言葉が我愛羅の口から飛び出した。
仕事をちゃんとしない人間には立場上きっちり文句を言う彼だが、今はそんなつもりはなかった。
久しぶりだな、とかなんとか言えば良かったのだ。
けれど、適当な言葉が思いつかないまま、沈黙を続けられず声を出したらこのざまだ。
「‥‥わるかったわね、雨が急に降って来て急いだんだけど、足下が悪くて今になっちゃったの」
むっとして言い返す
ごめんなさいというひと言は、反抗期まっさかりの彼女には最も言いにくい言葉だ。
‥‥たとえ、相手になみなみならぬ好意を持っていても。
「戸締まりもしないで出るとはな」
我愛羅もつい畳み掛けるように責めてしまう。
「だって、すぐ帰るつもりだったんだもの。
泥棒なんて入った事ないし、大体取るものなんかなにもないわよ!」
売り言葉に買い言葉。
「それでもだ、不測の事態だって起こりうるだろう!」
「なによっ、悪うございましたわね!どうせ私は一般人よ!」

お互いの心の中でギシギシと本音がきしむ。
違う、こんな言葉をいいたいんじゃない!
もっと違う何か、でもどうしたらいいのかわからない。
店を後にした我愛羅も、店に取り残された も、さっきの胸の高まりを思い出すと同時に、
自己嫌悪をぬぐい去れないまま。
どうして素直になれなかったのか。
久しぶり、元気、と言えばすんだのに。
相手はいったい自分の事をどう思っただろうか。

**********

狭い里だ、気になり出せばいくらでも出会うチャンスは転がっていた。
店で、町中で、故意にでも、偶然にでも。
けれど思いとは裏腹に、二人は出会う度相手につっかかってしまう。

道で顔を合わせる。
「‥‥こんにちは、我愛羅」
「ああ、 か」
そのまま、無難に話せばいいものをドジを踏む。
「今日もホコリっぽいわね、この里は」
「‥‥一体何年ここに住んでるんだ、まだ慣れないのか」
はしまったと思いつつ、いまさら引っ込みがつかないまま、文句を連ねてしまう。
「‥‥慣れるのと好きになるのは別よ‥‥」
「砂には砂の魅力がある、いつまでこだわってるんだ」
「だって出入りもままならないじゃない」
「当たり前だ、ふらふら出て行ってひからびたいのか」
「息が詰まるわよ」
「お前がガキで知らなかっただけだろう、他の里だって出入りは厳しいはずだ」
「ふんだ、無知ですいませんね、次期里長様!」
ぷいっと物別れ。
彼相手に愚痴っても仕方ない事など承知なのに、砂の里だって大好きなのに、
砂が好きだという事は我愛羅が好きと言ってしまうようでどうしても口に出せない
我愛羅にした所で、 は小さな頃の思い出が過剰に膨らんでいるだけと分っているものの、
砂を受け入れない彼女に、なんだか自分を否定されているような気がして、
ついキツい言い方をしてしまう。

あるときは店で。
「ここの墨が一番書きやすい」
「そ、そうなの、ありがとうございます」
お世辞を言わない我愛羅の一言は にも嬉しかったらしく、顔を赤らめる。
出だしは順調だったのに が手渡した伝票の文字を見て、ついいらない一言。
「へたな字だな」
黄色信号点滅。
「‥‥どうせ私は字がへたよ、でも今は普通はワープロ使うからいいの」
ここで我慢しておけばいいのに、 もつい言い返す
「忍びの里が手書きでないとだめとか言うから、わざわざ手書きにしてるんじゃない。
頭固いのよ、忍者ってさ」
忍び頭候補としてはこのまま捨て置けず。
「フン。絵はどうだか知らんが、 の字は文字とは思えん」
「悪かったわね、あんたこそ達筆だかなんだかしらないけど、絵文字も知らないんでしょ。
今時の若者とは思えないわね、言葉遣いからしてジジムサイし!」
しっかりお互いの痛い所をついて物別れになる。

店番をしながら、お菓子をつまむ
何だか小さな子供みたいでかわいいな、と見ていたら、 が顔を上げて目と目があった。
その瞬間見ていた事を悟られまいと、我愛羅は一番まずいセリフを選択。
「甘いものばっかり食って、太るぞ」
「余計なお世話!ちゃんとご飯の量で調節してるわよ」
女の子にさっきのセリフは最悪なぐらい姉がいるから重々承知。
にもかかわらず、取り繕うのが苦手な我愛羅、率直一本やりで続く言葉を選んでしまう。
「本末転倒だ、中身がすかすかになるぞ」
「何よ、余計なカロリーとらないから我愛羅は背が伸びないのよ!」
窮鼠猫を噛む。
お互いに痛い所ばかり突きあう。

それでもそんな憎まれ口の応酬に終わると分っていてもやはり声をかけてしまう。
たとえ後味がどれだけ悪くても、次こそは、と根拠のない期待を抱いてしまう。
ひょっとしたら話の合間にいつもとは違った表情が、しぐさが、かいま見られるかもしれないと。
ひょっとしたら、今度こそ普通に会話が出来るのではないかと。
現に自分ではない者と話しているときの我愛羅の表情は穏やかではないか。
の瞳はいきいきと輝いて相手に笑いかけているではないか。
どうしたら、あの表情を、笑みを、瞳を自分に向けてもらえるのか。
悔悟と自問自答を繰り返しながら、3歩進んで2歩、もしかしたら、3歩下がっているのかもしれない‥‥
そんなもどかしい日々が過ぎて行く。

*********
今日は風の国の使節団が来るというので砂の里でもレセプションの準備でなにやら騒がしい。
里をあげての行事に もその支度に狩り出されていた。
会場のテーブルにクロスを広げて花を置いていく。
‥‥またドライフラワーか、と寂しく思う

「風の大名も少しはかしこくなったらしいな、またうちを使い出したんだからな‥‥」
「そりゃ、次期風影があれだけの実力者だからな‥‥」
盗み聴きする気はなくても我愛羅の噂は勝手に耳が選り分けて聞いてくる。
「あとは長老がどう判断するかだろう」
「意見は割れるだろうがな‥‥」

次期風影‥‥
あの彼が皆に認められる存在になるまでどれほど努力したのかを考え、誇らしいような、
その一方でまた距離が開いてしまうような寂しさも覚えずにはいられない。

「今年は例年より雨が多いな」
「今のうちに貯水池を増強しておくべきだろう」
「来年はどうなるかわからんし」
「水源の確保はいつも頭が痛いからな」

そう、今年は雨が多い。
我愛羅の事が頭から離れなくなったのも雨のせいだ。

「そういえば今年は外に緑がひろがっているかもしれん」
「ああ、あれか、あれは一見の価値有りだ」
「久しくなかったからな、砂漠に花が咲くのは」

ゴシップとは違う話が の興味を引いた。
砂漠に咲く花?
小さな頃、生まれ育った所では常に身近にあった花のある光景。
この里にそんなものがあるとは初耳だ。
砂漠に咲くって、いったいどんな花なのか。
しかし、噂話はもう違う方向へといってしまい、確かめる術もない。
と、その時会場にいる我愛羅の姿が目に入った。
急いでそこへ行き、挨拶もそこそこに核心に触れる。

「ねえ、砂漠に咲く花って、何の事なの?
どんな花なの?今咲いてるの?
いつもは咲かないの?」
に突然話し掛けられて、いきなり質問の嵐で我愛羅はリアクションに困る。
「ちょっと待て。
一体何の話だ」
「だから、砂漠に咲く花のことよ。
我愛羅はきっと知ってるんでしょ。
生まれたときからここにいるんだもん。
私は、そんな話今初めて聞いたけど」
「ああ、あの花の事か」
「やっぱり、知ってるのね。
教えて!」
「‥‥雨の多い年にだけ咲くんだ。
だから今まで は見た事も聞いた事もないんだろう。
俺だって今までに二、三度見たきりだ」
「どんな花?何色?たくさん咲くの?
それとも一輪だけ?ねえ?」
「‥‥ちょっと落ち着け。
まあ、野生の花畑だな、一種の。
砂の下に何年も眠って雨を待っていた種子が、雨の多い年に発芽して一気に芽吹きコロニーを作る。
多分今年は雨が多いからそれが花開いたんだろう」
「どんななの?」
いつになく、彼の言う事に素直に聞き入る に戸惑いながらも、その熱心な瞳にほだされて
我愛羅も知っている事を話してやる。
「‥‥砂漠に緑のベールがかかったみたいになる。
完全に別世界だ。
あちこちに丈の小さな花が花畑を作る。
‥‥中でも、あの青い花は俺も忘れられない‥‥まるで夢の世界だな」
遠い目をして我愛羅が語る光景。
そうか、砂漠にもそんな宝物が隠されていたのか。

がもう少し話を聞きたいと思ったその時、我愛羅が呼ばれる。
「俺の知ってるのはそれぐらいだ」
「そう‥‥ありがとう」
我愛羅は耳を疑った。
が俺に礼を言った?!
しかも何だか嬉しそうに微笑んですらいる?!
幼い頃のエクボを浮かべた彼女の顔が頭の中に蘇った。
このまま話を続けたかったが、催促されては仕方ない。
ため息まじりで、本当は言いたくないが、あえて に里のルールを告げる。
「言っておくが‥‥この時期里の外には勝手に出れないぞ、
「どうして?」
「‥‥危ないからだ」
「ずるい、自分たちだけそんな景色をひとりじめするなんて!」
「独占なんかする気はない、そう言う問題じゃ‥‥」
「何よ、だからこの里は嫌いなのよ、カサカサのドライフラワーみたいな規則ばっかり!
ここは里長の言う事だけが絶対で、がんじがらめよ、私たちみたいな民間人は!」
確かに の言う通り、この里は他の里に比べピラミッドが極端だ。
それはここの環境が他に比べ非常に厳しいせいなのだが。
が、そんなことは彼女にはわかるまい。
「‥‥ともかく、勝手に出る事は禁止だ」
「許可なんて取ってたら、花がなくなっちゃうわ‥‥1週間もないんでしょ、花の期間は‥‥」
の泣き出さんばかりの瞳に心をいためながら、いいとは立場上口が裂けても言えない我愛羅。
何も言わずに背を向けた。
の非難の視線を感じて言いようのない無力感に襲われながら部屋を後にする 。

*********
数日後、我愛羅はなんとか時間をやりくりして のところへやってきた。
しかし、店には彼女がいない。
は‥‥今日はいないのか?」
「ああ、 なら今日しか写生できないものがあるとか言って出て行きましたよ」

いやな予感がした。
今日しか写生できないもの。
まさか彼女はこないだの話を聞いていて、この雨の間に出現した砂漠の花畑を見に行ったのではあるまいか。
あれはたしかに一見に値する眺めではある。
この世のものとも思えない幻想的な美しさ。
すぐに消えてなくなるとわかっているから余計その幻のような景観の価値は計り知れない。

だが、今年のように例年になく雨が多いシーズンは本当に里の外は危険なのである。
砂漠の下にうもれている水路は予想がつかない。
それが長きの不在の後突然姿を現し、濁流となることがあるのだ。
まわりに掴まるもの等ない砂漠でそんな神出鬼没な水流とであって飲み込まれたら最後、どうなるかわかったものではない。
ましてや は一般人だ、とっさに逃げる術等知りはしない。

だが、里への出入り口は厳重に警備されているし‥‥そう思ったとたん、我愛羅は思い出した。
一部の子供しかしらない抜け穴があったことを。
里をぐるりと取り囲む塀の一カ所がほころんでいたところを、昔里の悪ガキどもがこっそりくずしてつくった小さな通り道。
小柄な なら通り抜けてしまうかもしれない。
大急ぎでそこへ行って新しい足跡を見た瞬間、我愛羅は無言のまま高い塀を乗り越えていた。

外の景色は見慣れたものとは打って変わっていた。
最近なんどか降った雨のあと、いつもなら乾ききった光景が広がるところに瑞々しい緑、また緑。
砂漠の砂の下で、長い間この日をまちわびていた植物の種子達がチャンス到来とばかりに一斉に芽吹く。
そして、あちらこちらに可憐な花が群生する花畑。
蜃気楼のような光景を目にしながら我愛羅は思った。
きっと、 は俺が話した青い花を探しているに違いない。
まずい。
確かあの花は、沈みこんで普段は姿を見せない砂漠の川床に群れになって咲いていたはず。
雨の臭いが強くする。
また降るに違いない、急がなければ。

「なんだって、ここはこんなにぬかるんでるのかしら‥‥」
この青い花の咲き乱れる花畑が川底だなんて思いもよらない は、予想していなかった足場の悪さに顔をしかめる。
また雨が降って来たのはわかっていたけれど、幻のようなこの景色を写し取らないで帰るわけにはいかない。
‥‥これが、我愛羅の言っていた夢のような光景だったのだ。
そう思うと、彼を感動させたこの眺めがより愛しい。
彼が能面のような顔をしていても、それは自己防衛のためだという事はちゃんと にはお見通しだった。
さあ、急がないと。
スケッチブックをとりだすと、いつものように鉛筆を走らせ出す。
どんどん白い紙の上に写し取られて行く花達。
いつしか彼女は雨の事も、足下に水が滲んで来ている事も忘れ、その2次元の花畑の中に自分も入り込んでしまっていた。
我愛羅が彼女を優しい瞳で見つめ、 も同じように微笑み返すことのできる世界。

!」
突然夢が破られる。
我愛羅の声?
幻聴をきいたのだろうか。

!」
夢じゃない、これは確かに彼の声だ。
「我愛羅‥‥?」
「こっちだ、いいか、俺のいる方へ来い、今すぐだ!」
やっと彼の姿を見つけると、我愛羅の表情がいつになく緊迫している。
なぜ?
「ぐずぐずするな、足下を見ろ!」
気がつけば、じわじわと水が足首の辺りまで湧いて来ている。
「お前のいる所は川床だ、急げ!」
とっさのことに訳の分からないまま言い返す。
「でも、この花を写したいのよ!」
「急げ!水が来る!」
どうっという轟音が耳に入って来た。
足下の水も一気にに水かさが増して奔流がすぐそこまで迫って来ているが、 は予期しなかったことに足がすくんでうごけない。
「‥‥!」
我愛羅はさっと砂にのり、 を間一髪の所で引っ張り上げた。

さっきまで青い花畑だったところは轟々と濁った水が流れみるかげもない。
流れて行く先の緑を飲み込み、大きくうねりながら水は大蛇さながらに砂漠を這い進んで行く。
あっけにとられてその濁流を見る
「‥‥お前が今までこの花畑をみるチャンスがなかったのはこのせいだ」
静かに我愛羅が言う。
「砂隠れはだてに出入りが難しいんじゃない。
中にいる人間を守るためにもそうなっているんだ。
そして、この天然の要塞が里を守ってくれてもいる」
は以前我愛羅に、里の出入りの難しさを愚痴った事を恥じた。
「‥‥ごめん‥‥なさい」
気楽に体制に文句を言っていられる自分と違い、彼はこの里を命がけで守っているのだ。
私は一体、何度この人を傷つければ気がすむのか。
子供の頃はいざ知らず、こないだだって、我愛羅が言い返せないのをいいことに好き放題言ってしまった。
こんなふうに、たかが一人の幼なじみを助けるために里の外へ抜け出て来てくれるのに。
申し訳ない思いが溢れ出て、涙が頬を伝った。
だが意地っ張りな は、それを我愛羅に見られないように彼に背を向ける。

「‥‥次いつ見られるかわからん景色を見逃すぞ」
の涙なんか見たくない我愛羅は気をそらそうと声をかける。
「‥‥そ、そうね、当分は外出禁止だから、見ておくわ」
水気をあらたに補ってもらった緑はイキイキとしている。
ふと我愛羅はさっき、 を引っぱりあげた時に足下に落ちたスケッチブックに気がついた。
が景色に見とれている間にぱらぱらと中を見て仰天した。
自分がいたるところに描き散らされている。
店内で商品を選んでいる我愛羅、皆の前で何かを告げている我愛羅、ただ佇んでいる我愛羅、空を見上げている我愛羅‥‥‥
ぱっとスケッチブックがひったくられ、 がきまり悪そうに我愛羅を見ている。
「見ちゃったのね」
「‥‥ああ」
「し、しょうがないわよね、見ちゃったものは、見ちゃったんだから‥‥」
は目を宙に浮かせながら、落ち着かなげにノートの表紙をいじり、
「ま、まあ、そういうわけよ」
と小さく言った。
なんとも情けない告白だが心の準備がないまま、いきなり本心を覗かれてしまった としてはこれで精一杯。
我愛羅にしたところで、このチャンスを活かしてどうにかするということもできない。
「‥‥そうか」
負けないくらい間の抜けた返事をする。
あきれ顔の もは〜っとため息をついて
「そうか、か」
とつぶやく。
我愛羅はそのため息が自分が返事をしないせいだと分っているものの、
に思っていることを伝える術を知らない。
2人とも押し黙ったまま、元来た道をたどる。

子供用抜け穴へ戻って来た。
「あれ、穴が小さくなってるわ、さっきは通れるぐらい大きかったんだけど‥‥」
困惑した声で が言う。
「‥‥多分雨で崩れてさっきより小さくなってしまったんだろう。
勝手に抜け出た手前まさか正門からは入れんしな。
‥‥まあ奥の手がある」
我愛羅が印を結ぶと も我愛羅も子供の姿になっていた。
「どうした、行くぞ」
小さいながら重々しい口調はそのまんま、それがおかしい はくすくす笑いながら我愛羅の後をついてほふく前進。
ムッとしながらも、さっきみたいに泣き顔をみるよりずっといいと我愛羅は思った。
砂まみれの2人は穴をくぐり抜け、里の中へ戻る事に成功した。

「この穴はもう塞ぐぞ、出入りするのが子供とは限らないからな」
「そうね」
我愛羅は穴を塞いでしまうと、 が見ている事に気がついた。
「ありがとう、我愛羅」
さっきのことで垣根が取り払われたのかいつになく素直に微笑む
「‥‥別に、いい」
面と向かって礼をいわれて、どう返事していいかわからない。
「さ、元の姿に戻すぞ」
ごまかすためにそそくさと印を結ぼうとする。
「‥‥待って」
の顔がふわっと近くに来て、頬に の柔らかい唇を感じた。
「‥‥ありがとう、助けてくれて。
そして、いつも里を守ってくれて」
子供の姿の今なら言いやすい、と思ったのだろうか。
「‥‥いい、別に」
さっきと語順がひっくりかえっているだけの答えがいかにも我愛羅らしく、また はふふっ、と笑った。
笑顔は昔も今も同じだな、と我愛羅は自分たちをもとの姿に戻しながらぼんやり思った。

「じゃあね、今日は本当にありがとう」
は自分の気持ちが伝わった事ですっきりしたのか、さばさばした表情で別れを告げる。
まずい、彼女が行ってしまう。
俺は‥‥俺は何も言ってない。
すっと彼女の手を砂が捕らえた。
「え?何?」
が振り返るとすぐそこに我愛羅の瞳。
ほんの一瞬自分の唇に彼の唇が触れた、ような気がした。

「‥‥今度はちゃんとモデルを使え。
‥正面からの顔がない」
背中を向けて立ち去りながら我愛羅が言った。
顔が赤く見えたのは、雨上がりの夕映えが反射していたせいだけではなかっただろう。

**********

雨はあれ以来降り止んでしまって、砂漠は元通りの砂の海になった。
が座るカウンターの後ろには彼女が描いた青い花の絵がかかっていて、お客はみなその絵を珍しそうに眺めて行く。
相変わらずスケッチブックを開いては何か描いている だが、その最後のページには正面を向いた我愛羅がいる。
仏頂面ながら、何か嬉しげな、誇らしげな雰囲気が漂う。
里長になった事を に告げに来た日に彼女が描いた絵。

「5分で描け」
「何考えてんのよ、コピー機じゃないんだから!」
「それが限度だ、しかたない」
「もう、顔の半分しかないお化けになってもしらないわよ」
「‥‥今までのストックでなんとかしろ」
「‥‥どういう意味よ」
「前のスケッチがあるだろうが」
「‥‥もう、わかったわよ」

2分もたつと落ち着かなげに目を泳がせはじめる我愛羅。
「ちょっと、じっとしてよ、描けないじゃない」
「‥‥そんなに に見られると落ち着かん」
「なによ、自分は人の顔いつもじろじろ見るくせに!」

自信があるんだか、照れてるんだか。
風影は と矛盾の入り交じった会話を交わしてあっという間に立ち去ってしまった。

我愛羅が来るチャンスはほとんどなくなってしまったけれど、そうなるのが分っていたから
あの日、時間を割いてスケッチの時間をくれたんだと は思っている。
次はどんな風影を描かせてもらえるのか、それを楽しみにしながら は習作を続ける。
スケッチブックの中の我愛羅はもう、後ろを向いてはいない。


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弊サイト28,000HITキリリクでございました。
いただいたテーマは『友達以上恋人未満。宙ぶらりんな関係。お互い意地っ張りで相手の出方をうかがってばかりの平行線。
結局、キス->告白と順番逆転のHappyEnd。相手は我愛羅でお願いします』でした。
相手が我愛羅!ここがポイントですね(笑)。
ちょうど仕事が忙しいのと重なってしまい、長々とかかったわりには、で申し訳ないです<(_ _;)>
いつも王子は手強い相手でございます‥‥‥
お気に召しましたら、ヨーコさん、こんな作品ですがどうぞお持ち帰り下さいませ。