ウミガメ

まっ青、紺碧、群青、コバルトブルー。
どれもが当てはまるものの、目の前に広がるこの海を一言で言い表せるはずもなく。
大海原に浮かぶカンクロウと私。
本当はダイビングとしゃれ込みたかったんだけど、人気ありすぎて定員オーバー。
「ここの海は透明度が高いから、シュノーケルでも十分楽しめますよ」
優しいインストラクターさんの言葉が今は恨めしい。

雑誌の特集で見たあまりに美しい海底の姿に、のりやすい私は一も二もなくカンクロウを口説いた。
「ね、ね、行こうよ、絶対きれいだって!
ほら、今ならシーズン真っ最中じゃないから値段だってそんなに張らないし。
ね、ね??」
「え〜‥‥海にわざわざ潜んなくても水族館行きゃ似たようなもの見れるじゃん」
「もう、そんな若さのないこと言ってないでさあ、百聞は一見にしかずよ!」
「どっちにしろ見ることには変わりねえんだから、その慣用句はアウトだな」
「もうっ、何冷静に分析してんのよ〜。
行こうよ〜っ!!
見てよ、この写真!!」
「わかったよ、ったく、 はすぐ雑誌とかの特集にノセられるからいいカモじゃん」
最後の一言は聞き流して、私は、もっぱら浜辺のセイウチ専門のカンクロウを
海のアクティビティに誘い出せた成功に浮かれていた。

浮かれすぎた、というか。
寝られなかったのだ。
一睡も、とはいわないけど、普段なら爆睡してる時間になってもなかなかねつけなくて、
イライラしながら寝返りをうちまくって、うとうとしたとおもったらめざましに叩き起こされちゃった。
当然寝足りない。
睡眠不足に波の揺れがこんなにこたえるとは思いもよらなかった‥‥‥。

「どうしたんだよ、 が誘ったくせになんか元気ねえな」
「そ、そんなことないよ」
「コーフンして寝られなかったんじゃねえのか〜」
図星。
どうにかしていいとこ見せなきゃ、一応元水泳部なんだから、と、しょうもない意地をはってしまう。
「ばかね、水が思ったより冷たいからちょっとひるんでただけよっ、さ、行こう!」
「へいへい、まあお魚の一匹でも見れたらいいとするか」
憎ったらしい!!
こうなったら絶対何か大物を見てやる!って、こればかりは運を天に任すしかないのだけれど。
マスクにノズル、ライフベストにフィンを装着し、のろのろしてるカンクロウの腕を引っ張って
ばしゃばしゃとペンギン歩きで海に入る。

海面に顔をつけるとそこは別世界。
外の喧噪は全く聞こえなくなり、シュノーケルを通じた呼吸の音だけが響く。
差し込む日の光も青く染まって、まわりはひたすら冷たい蒼の世界。
海底の白い砂に波と光が文様を描く。
‥‥元気なときならこの青い沈黙が大好きなんだけど‥‥

ゆらり ゆらり

波がうねって体を持ち上げては沈める。
ううう‥‥気持ち悪い‥‥‥
あ、魚だ‥‥
そこそこいるじゃん‥‥でも、正直それどころじゃない。
なんかめまいして来た、ガラス越しだからかな、まるで分厚い水槽を見てるときの歪んだ光景を連想してしまって、余計気分が悪くなって来たよ。
思わず目を閉じる。

ぐいっ

手を引っ張られてはっとする。
カンクロウが私の方を見てる。
心配してるのかどうかは水中眼鏡ごしじゃちょっと分んないけど‥‥
大丈夫か、みたいなブロックサインを送ってるから多分そう。
笑顔で返事、ってわけにもいかないから、親指と人差し指でつくったオッケーマークを見せる。
疑わしそうに見てるな‥‥実際嘘なんだけどさ‥‥
手のひらを下にして、ま、いいだろ、みたいなそぶりが彼から返ってくる。
‥‥二人してばかみたい、顔を水から出して会話すればいいのに。
でも水に一旦顔をつけてこの水面下の世界の片鱗をみちゃうと、何だか抜け出しにくいのよね。
ガラス張りの空間に閉じ込められたようで。
と、また大きな波がきて体が浮き上がりそうになる。
がしっとカンクロウが私の手を掴んで押さえ込んでくれた。
そのまま水を蹴って先へと進む。
カンクロウが何かを指差す。
出た、熱帯魚!
青白く光って、いかにもそれらしい姿だな〜。
珊瑚礁のまわりを泳ぎ回る小魚の群れ。
半分もうろうとしながらも、竜宮城をかいま見たような気がしてちょっとわくわく。
‥‥‥本当は私が彼にこの光景を見せるはずだったんだけど、ハハハ。

と、またカンクロウがぐいぐい腕をひっぱる。
何よ?
え?
彼の指差す先には‥‥ウミガメ!!!
で、でかっ!
私が乗っても全然平気そうなぐらいの大きさのカメが悠然と海底でなにやらエサを食べている。
その堂々たる姿に思わず見とれる。
甲羅なんか苔むしてるよ‥‥
上から海を見るだけじゃ分んない別世界。
よく考えりゃ海の方が陸より大きいのよね‥‥
こんな大きな生き物が普段は意識してないけど生きてるんだ‥‥

などと感慨に耽っていたら、しまった!
ノズルから海水を吸い込んじゃった、か、からいっ!
慌ててシュノーケルをかなぐり捨てる。
ぷはっ
「おいおい、大丈夫かよ?」
私に続いてカンクロウも顔を出す。
「だ、大丈夫、げほげほっ」
ぶわ〜んと大きく海面が揺れた。
しまった!
波に思いっきり体を持ち上げられたかと思うとざざざざっと下降。
海水の苦い味といやな揺れで胃がひっくりかえったみたいになっちゃって‥‥早い話が戻してしまった。

「ご、ごめんっ」
あわてて、水をばしゃばしゃやって少しでも向こうへ押しやろうと焦る。
朝も食べられなかったからほとんど何も出てないとはいえ、彼の前でこの醜態はさすがにつらい‥‥。
「どうせ魚が食っちまうって」
波間に消えようとしてるカスをちらっとみながら平然と言うカンクロウ。
「最初っから青い顔してたからな、 はどうせ意地っ張りだからやめろっつっても聞かねえしさ。
ま、出すもの出したらすっきりしたろ。
もう戻ろうぜ」
ううう、ダブルダメージよ‥‥なんか一人芝居してたみたいで‥‥非常に情けない‥‥
「もうやだ‥‥」
弱音をはくとひっくり返る。
ベストのお陰でほっといても体は浮くからクラゲ気分。
海と同じように青い空には白い雲の切れ端。
自分がすごくちっぽけになった気分。

波がやさしく体を揺する。
‥‥気がつくとカンクロウも横で上向きになって浮かんでる。
「昼寝でもするか、
「‥‥やけちゃうよ、やだよ」
「マスクつけたらいいじゃん」
「余計グロいよ、どパンダ」
「インパクトあっていいかもな」
「まあ、カンクロウのクマドリほどは目立たないかもね」
「素顔もびっくり、ってか、冗談じゃねえよ」
ふふふ‥‥バカなこと言って慰めてくれてんだ‥‥‥カンクロウらしいや‥‥。
「‥‥昔修行で遠泳やったあと、よくこんなふうに空を見上げながら浮かんだなあ」
へえ、そうなんだ‥‥どおりで魚見つけるのも早かった訳だ。
実は海の底の光景なんて慣れてんじゃない、ちぇっ。
なんか先を越された気分、面白くないなあ。

と、海面に黒っぽい影が浮き上がって来たかと思うと、ぬっと何かが水面に顔を出した。
さっきのウミガメだあっ!!
固まる私たちを尻目に、カメはゆっくりと目を動かすとあたりを見回した。
ほんの、ほんの一瞬だったけどカメの目と私達の目が合った。
時が止まったような気がした。
全く違う世界を見ている瞳がその瞬間だけ私たちと同じ光景を映し‥‥またすっと海へ消えて行った。

言葉を失ってしばらく浮かんでいた私たちだったけど、カンクロウが我に返って口を開いた。
「おっかねぇ‥‥俺、爬虫類って苦手だ‥‥」
「なんで〜、やさしい目をしてたじゃない」
「あれがかよ?!
、お前ちょっとおかしいんじゃねえの、それこそ邪悪な目ってヤツじゃん」
「何よ、カンクロウってばヘタレねっ。
亀ってさ〜、凄く長生きなんでしょ、優しいおじいさんって感じだったわよ」
「おばさんだったかもしんねえぜ、じーさんなんていうと怒って仕返しにくるぞ。
さっさと逃げよっと」
「んもう〜!!」

もう一度シュノーケルをつけ直すと、いっしょに海岸を目指して泳ぎ始める。
さすがに体が冷えて来た。
ぶるっと武者震いする。
すっと目の前にカンクロウの大きな手が差し出された。
冷たい水の中、手のひらを通して伝わってくる彼の体温。
‥‥同じものを見ても違って見える彼と私。
共有する思いも有れば知らない世界もある。
それでもこうして手をつなげる幸せ。

‥‥さっきのカメ、どこへ行ったかな。
振り向くと大きな影が2つ、海底の白い砂を横切ってゆっくりと青い光の中へ消えて行った。


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蛇足的後書:オキナワ旅行記念第一弾(笑)。
随所にあるエピソードには作り話も事実もありますが、あまり深く考えないでね、ドリームですから!(逃げてる)