月に舞う

外は宵闇に暮れ、地平線の向こうからプカリと十五夜満月が登ってきた。
街道でもひときわ大きくにぎやかな宿場街。
すっかりあたりは暗くなったというのに、この宿場街は大きな蛍のように闇夜に光を放って人々を呼び集めていた。
多くの旅人が汗と埃を落とし、一日の疲れを癒すために足を止める。数多の宿場街と同様、ここも日が暮れてから街が活気づく。
その中でも一際明るくにぎやかな一角。
身体だけでなく、命の洗濯もできるこの色街のためにこの宿場は近隣の宿場街より賑わっていた。
最近入った芸妓の舞が素晴らしいと評判になっている『ほたる屋』。元々大きな郭として繁盛していたが、最近はその芸妓のおかげで毎晩つめかけるお客を断らなければならないという始末。
ただ帰すのも惜しいと、最近は大きな座敷に客を押し込んで、舞だけをみせるという見せ物小屋のような商売を始めていた。
今日も一目その芸妓を見ようと噂を聞きつけた人々が大勢店に集まっていた。



一座敷終わった芸妓が人気のない廊下を歩いている。
遠くから酔客と郭の女達の嬌声が微かに聞こえてくる。
建物のこのあたりは郭の舞台裏になるため、営業中の今は人気もない。女はホッと息をつきながら、襟足の鬢をそっとなで上げた。
と、灯りのない座敷の障子がいきなり開き、「あっ」と思う間もなく腕を捕まれ、部屋の中に引きずり込まれた。
パシンと障子が閉まると月明かりが遮られ、部屋の中が薄闇に染まった。
大きな手で口をふさがれ、畳に引きずり倒された芸妓は、すっかり脅えてしまったのかじっと動かない。

「そうだ…、じっとしてろ。すぐ終わるからよ…。
お前があんな眼で俺を誘うから悪いんだぜ…。」

獣のように血走った目に荒い息を吐きながら男は芸妓の足の間に無理矢理入り込んだ。
男の手が絢爛豪華な着物の帯にかかったところで、グイッと強い力が背中側に腕をひねりあげた。

「お客さん、困るじゃん。」

突然のことに我を忘れた男の耳元に、明るい屈託のない声が響いた。

「っイタっテテテテ………。」

明るい声とは正反対に有無を言わせない強い力が腕をひねりあげる。その痛みに男はうめき声を上げた。
ひねった腕をグイグイ引っ張られるので、男は否応なしに背後の人間の思うままに動くしかなかった。
芸妓の上から引き起こされ、開いたままの障子の方に押しやられる。
(確かに障子は閉めた――。
なのに―――、一体いつ―――?
俺は何の音も聞いてないぞ―――。)

「この妓はね、舞うことが仕事なんだ。
そういうのは、もっとたくさんのキレ〜な姐さん方が相手してくれるからさ。
勘弁してやってよ。」

口調は柔らかいが、腕を掴む手の力は有無を言わさない。
ミシミシと筋も骨も軋んで悲鳴を上げている。
廊下に押し出したところで、戒めの手は男の背を強く突き飛ばしながら放された。

「その先を左に行ったら帳場だから、そこで女の子頼んでよ。
いい妓がいっぱいいるじゃん。」

ひねられて痛む腕を反対の手で押さえながら、転がるように逃げていく男の背中に、カンクロウはニヤニヤと笑いながら呼びかけた。
男の姿が見えなくなると、まだ座敷に寝転がったままの芸妓のそばにかがみ、乱れた裾や、カンザシをそっと直してやった。

「あ〜あ〜、"舞姫"さんが評判よくて、店に客は集まるけど、騒ぎも多くなったもんだよね〜。
男衆に『"舞姫"を抱かせろ!』って詰め寄る客が日に日に増えているって話だし〜……。
客は増えてるのに、女は暇って、郭としてはいかがなもんなんですかね〜……?」

柱にもたれるように立ったが愚痴とも付かない文句をカンクロウの背中に投げかけた。

「いかがなもんって言われてもな………。
だったら、姐さんも俺が操ってやろうか?」

身支度を整えた"舞姫"をカンクロウが引き起こすと、その首はカクンと力無く前にうなだれた。
開いたままの目は、月明かりに猫のように光っている。
は、ぶるっと身体を震わせて自分で自分の肩を抱いた。

「よしとくれよ。
今までの人生、ずっと人にいいように操られてた来たのにさ。
なんでまた、本当の糸を手足につけてあんたの良いように操られなきゃなんないのさ!
勘弁しとくれよ!」

キリキリキリ……。
プイッと庭の方に顔を背けたの耳に、弦を引き絞るような静かな音が響いた。
三味線の音や、話し声で賑わう座敷では聞こえないけど、この離れでははっきりと聞き取れる。
カンクロウの人形繰りは何度も見たけれど、いまだにその仕掛けはにはわからなかった。
手をかざしても糸はどこにもないのに、カンクロウの指や腕の動きにあわせて"舞姫"は舞う。
何度も飽きることなく確かめては不思議そうに首をひねるを、カンクロウは楽しげに笑いながら見つめる。
ほんの一瞬前まではただの人形だった"舞姫"が、ため息が出るくらいに美しく流れるような所作で立ち上がり、の側に近寄ってきた。

姐さん。ごめんなさい。
少しでも姐さんのお役に立って、のたれ死にそうだった私たちを拾ってくださったご恩に報いたかっただけなんです。
だから、私、一生懸命がんばっているんですよ。」

の肩に手をおいて、その紅い唇を耳元に近づけて"舞姫"が囁く。

「ったく、気色悪いったら!
あんたのその声じゃ、おカマかと思うだろ!」

「しょうがねえじゃん。俺は男なんだからよ。」

「そうそう、だから舞姫はただ踊って男どもを誘ってるだけでいいんだよ。
こんなに綺麗でしなやかな女なのに、野太い声しか出ないってのが、この人形の唯一の欠点だよね。」

ふふんとが勝ち誇ったように笑った。

「ちぇっ。
いーんだよ、そもそもこれはこんな風に使う人形じゃねーんだから。」

「え…、あんた人形使って芸を見せてお足を稼いでいるって言ってなかった…?」

緑色の三白眼がほんの一瞬、わずかに視線を泳がせたが、はそれには気付かなかった。

「男どもに媚びうるためだけの芸じゃねーっていう意味だよ。
俺の人形繰りは芸事よりもうちっと高尚な芸術ってヤツじゃん。」

「ふ〜〜〜〜ん。」

わかったのかわかってないのか、カンクロウの言葉にはカンザシの先で頭をかいた。

「店のかき入れ時にこんなとこにいるってことは、姐さん、俺を捜してたんじゃねえの?」

実際はの方がカンクロウより年下だが、ほたる屋一の売れっ妓に対して『姐さん』と呼ぶのは郭の習わしだった。
が年上のような話し方をするのも、自分がこの郭の一角を背負って立っているという思いからだった。

「ああ、そうだった。忘れるところだったよ。
例の"客"がまた来てるって言いに来たんだよ。」

「そっか。わざわざ、悪かったじゃん。」

「あたしの部屋に通しておいたよ。
――――それから、酒(ささ)を持ってこいってさ。」

がどことなく不機嫌だったのは、居候の身の自分の客が、この郭でも売れっ妓のを顎で使っていることが原因だったのかと、やっと合点がいった。
そして、"客"のどこでも自分のペースを崩さない我が儘にも苦笑が漏れた。
カンクロウは決して視線を合わせようとしないの前に立つと、額にかかるほつれた髪をそっと直してやった。

「姐さんには、いつもありがたいって思ってるんだぜ。
後は俺が自分でやるから、姐さんは仕事に戻ってくれよ。」

カンクロウの温かい指先の感触に、はやっとその黒い瞳にカンクロウを映した。
その目は不安に陰って揺れている。

「あの男、恐いんだ……。
ただでさえ得体がしれないって感じなのに、今日は着物のあちこちに返り血を浴びてて、ひどい臭いをさせてた…。」

の言葉に、わずかにカンクロウの眼が大きくなった。

「すまねぇ。
姐さんには恐い思いをさせちまったんだな。」

安心させようとの頬を指先でそっと撫でた。そのカンクロウの手をの手が押さえる。

「カンクロウ。
あんたがここにいることはちっとも迷惑なんかじゃないんだ。
あたしはずっといてもらいたいって思ってる。
だけど―――、ううん、だからこそ、あの"客"のことが気になるんだよ。」

真っ直ぐカンクロウを見上げるの眼は真剣で、心からカンクロウの身を案じている。
綺麗に紅の引かれた唇を避けて、カンクロウはそっとの額に唇を落とした。
優しく温かい感覚に、は背中を震わせ思わず眼を閉じた。
郭の女として数え切れないくらい大勢の男の相手をしてきただが、カンクロウを相手にすると勝手が全然違ってしまう。
の中に残っていた無垢な部分が敏感に反応して、心を震わせる。
はじめの頃こそ戸惑っていただが、今はこの感覚を素直に受け止めて大切に喜び、そして楽しんでもいた。
幼い頃に売られてきて、郭の中のことしか知らずに育ったが知った、初めての恋だった。

「あんなヤツだけど、弟なんだよ。」

自分だけの暗闇の中にカンクロウの声が落ちてきた。その言葉にハッと眼を開いたが、すでにカンクロウの姿は見えなくなっていた。



カンクロウは厨に寄って酒を満たした徳利と、そこら辺に余っていたものを肴に盆に乗せるとの部屋に向かった。
カラリと障子をあければ、の言葉通り生臭い鉄の臭いが部屋に充満していた。
カンクロウは盆を我愛羅の前に置くと、窓から、廊下の障子から全てを開け放って風を通した。

「……おい。」

不機嫌そうに漏らされた声に

「しょーがねーだろ。こんな臭いが部屋に染みついたらがかわいそうじゃん。
却って開けっ放しの方が、立ち聞きされないってもんだぜ。」

と答えた。
ここに来る前に何をしてきたかは聞かない。
聞かなくてもある程度は想像できる。今夜は満月だから。酒を欲しがるのも、そのせいだとわかっている。
カンクロウは窓枠に腰を掛けると、懐から一通の手紙をとりだして我愛羅の前に投げた。
盃を干してから、我愛羅はその手紙に手を伸ばした。

「やっと、裏が取れた。二日後の真夜中に決行だ。」

我愛羅の手が手紙の最後の折り返しを開いたのを見て、カンクロウは言った。
黒い隈に囲まれた翡翠の眼が、怪しく光った。
その二人の耳にパタパタとこちらに向かって来るあわただしい足音が届いた。
カンクロウが素早く廊下に出ると、着物の裾を大きく乱しながらが走ってくるところだった。
もめざとくカンクロウを見つけ、部屋に入れと合図を送ってきた。

「た、大変――。」

部屋に飛び込むと、は後ろ手でぴしゃりと障子を閉めた。

「今、表に―――すごく――――柄の悪い――男達が来てて――、」

胸に手をあてて、乱れた呼吸を整えながらはしゃべった。

「笠をかぶった――――、両刀の侍を――――――出せ――――って―――。」

の視線が、壁に立てかけられた二本の大刀と、畳の上で逆さまに転がった笠に投げられた。
カンクロウは小さく舌打ちをした。

「つけられたのかよ!」

珍しい弟の失態に睨み付けると、手紙に行灯の火を移しながら面倒くさそうに我愛羅が答えた。

「五月蠅いハエは払ってきた……。」

「どうしよう、カンクロウ。
本当にヤバイって感じの男ばかり十人もいるんだ。それに、みんな獲物をガチャガチャ言わせてる……。
うちの男衆じゃ歯が立たないよ……。」

声も身体も震わせてがカンクロウにすがりついてきた。
郭にいれば客が暴れる騒ぎなどそう珍しいことではない。とくにここは宿場街だから気の荒い連中も集まる。
そういった荒事に慣れているはずのが脅えているとなると、相手はよほどの連中なのだろう。
カンクロウはそっとの頬に触れると、口の端を持ち上げて大きく笑った。

「心配すんなよ。俺がついてるんだから、大丈夫だって。
今は我愛羅もいるし、そのくらいどうってことないじゃん。」

な、と振り返ると、つい今の今まで泰然と座っていた我愛羅の姿が消えていて、血まみれの着物が脱ぎ捨てられていた。

「おい、我愛羅!!」

怒鳴るカンクロウに声だけが戻ってきた。

『害虫駆除は巣をたたくのが一番だ……。』

カンクロウは額に手をあてて、ため息を漏らした。
が今にも泣きそうになりながらも、眉をつり上げ必死の形相で見上げてくる。

「カンクロウ、逃げて。あいつらに見つかる前にあんたも逃げて。
ここはあたしがなんとかするから……。」

部屋を見回せば、大刀二本に笠、血まみれの着物まで残っている。
ここまで立派な手がかりがあって、男達がを何事もなく見逃すとは到底考えられない。

、お前には借りがある。
ここで返さなかったら男が廃(すた)るってもんじゃん。」

両手での頬を挟み、安心させるようにのぞき込んで微笑んだ。
黒い瞳から涙が溢れてきた。

「バカ!
借りなんて言わないでよ!
あたしはね、惚れた男に生き延びてもらいたいだけなんだ!」

の腕がカンクロウの頭を引き寄せて、噛みつくように唇を重ねた。
すぐにカンクロウの胸を突き飛ばすようにして離れる。

「早く行って!!!」

カンクロウが出て行く姿を見たくなくて、自分の情けない顔を見られたくなくて、は背中を向けたまま言った。
顔が熱くて、耳の奥で鼓動が響いている。
この一月、ずっと同じ部屋に寝起きしてはいたけれど、カンクロウは一度もに手を出したことはなかった。
それは、のカンクロウへの信頼を強固にするものでもあり、恋心がつのるにつれて膨らんできた不満でもあった。
今のが最初で最後の口づけになるんだ――。
それでもよかった。
うれしさと、悲しさが胸の中でぐちゃぐちゃになって、たった今感じたカンクロウの温もりを思い返す。
"客"の残していったものを隠さなければならないと気づき、脱ぎ捨てられた着物に手を伸ばした。
その手を温かくて大きな手がしっかりと掴んだ。

「やられっぱなしは、俺の趣味じゃねえんだ。」

声の方を見上げれば翠の三白眼がじっと自分を見つめている。

、女は男に守られるもんだってこと教えてやるよ。」

腕を引かれ広い胸に引き寄せられると、温かな唇が落ちてきた。
はそっと眼を閉じると、それを受け止めた。


ドヤドヤと荒々しい足音が鳴り響く。
どうやら店の誰かが不振な"客"のことを漏らしたらしい。真っ直ぐこっちに向かってくる。
足音が近付くにつれ、ガチャガチャと刀の鳴る音も大きくなる。
廊下を曲がると、坪庭にたたずむカンクロウに男達が気付いた。
が"危ない奴ら"と言った理由はすぐにわかった。
着流しに二本差し。羽織を羽織っている者もいるし、髷も結っている。
一見どこぞのご家来衆のように見えなくもないが、本物の侍にある一本通った筋、ぴしっと背中を真っ直ぐにする何かが男達にはなかった。
(………野伏せり……か……。)
弟の厄介事を引き寄せる体質に、思わず苦笑が漏れた。

「ダンナ方がお探しの侍は、とっくに逃げ出しちまったぜ。」

カンクロウは手にした刀と笠を持ち上げて見せた。

「だからここをいくら探しても何にも出てこねえ。
さっさと帰ってくんねーかな?」

口の端を持ち上げる。
男達の半分が庭に降りてきて、残りはパシンと音を立てて障子を開けると部屋の中を調べ始めた。

「おいおい、時間の無駄を省いてやってんじゃん。
たまには人の言うことも信用したっていいんじゃねーの?」

男達の頭と思われる男がズイと前に出てきた。

「小僧。
お前がその笠と刀の持ち主かもしれないって可能性もあるんだぜ。」

一瞬、カンクロウはキョトンと眼を見張ると、やがて、くくく…と肩を震わせて笑い出した。

「あんた、結構、頭回るんだな。」

チンと男が鯉口を切る音を合図に、庭に立つ男達が次々に刀を抜いた。
頭の男も刀身を月明かりに輝かせながら抜いた。

「おいおい、勘弁してくれよ。
俺、ヤットウは苦手なんだよ。」

ゆっくりと後ずさるカンクロウに、気合いを上げながら男が二人斬りかかってきた。
刀を振りかざす男達に、カンクロウは持っていた二本の太刀を力一杯投げつけた。
かなりの重量の太刀を顔面で受け止めた二人が、そのまま背中からどさりと仰向けに倒れた。
ぐしゃりという嫌な音がした上、ビクリとも動かなくなったところを見ると眉間の急所に当たったのだろう。
一瞬ひるんだ仲間は、一定の距離を保ちながら、扇のように広がって半円状にカンクロウを取り囲む。
周りは手に手に刀を持った侍崩れ。
そしてカンクロウはほたる屋の法被を着た単なる郭の男衆。さらに言えば空手の素手だった。

「お仲間が鼻の骨折って痛がってるじゃん。
お互い無駄な体力消耗するのはよそうぜ。」

状況は圧倒的に不利なはずなのに、カンクロウの口元には薄く笑みが張り付いている。それが余裕を窺わせて、却って男達の怒りを煽った。

「少なくともお前を切れば、俺達の気が晴れるわ!」

斬りかかってきた男の刀の下をかいくぐり、カンクロウは手を伸ばした。
するとさっき投げつけた刀が、抜身になって磁石に引き寄せられる鉄のように、カンクロウの手に戻ってきた。
背中合わせになった男の背に、脇の下をから背後に刀をつきだして刺した。

「やられっぱなしは、好きじゃねえんだ。」

柄を引っ張ると、支えを失った男がどさりと倒れる。
これで都合三人が倒れた。
残った男達はたった今見たものに肝を冷やしていた。
(投げた刀が独りでに手元に戻ってきた――――。)
斬りかかった男もカンクロウが素手だからこそ、かなり無防備につっこんでいったのだ。
人外のあやかしを見たかのように男達は、知らず知らずカンクロウを取り囲む円を広げていた。

「オイ!こっちだ!!!」

頭の男が声を掛けると、家捜しをしていた男達がバラバラと庭に下りてきた。

「おらっ!! 大人しくしろっ!!!」

そのうちの一人が女を部屋から引きずり出してきた。
後ろからを羽交い締めにし、そののど元に刀切っ先をあてる。
は声もなくただ震えている。
カンクロウの口元から笑みが消えるのを見て取ると、頭の男は形勢が逆転したことを悟った。

「おい、女の命が惜しかったら刀を捨てろ!」

言われるまま、カンクロウは刀を高く放った。
投げられた刀は刀身を下にして、まっすぐ落ちてくると、カンクロウと男達の間にぐっさりと突き刺さった。
素手になったカンクロウを男達が取り囲む。
その後ろに、を捕らえた男。
女の肌が香るのか、特にその男は顔を崩して笑っている。
シシシ…と下卑た声を上げながら。

「おい、気を抜いて女を逃がしやがったりしたらただじゃおかねえぞ!!」

頭の男が、部下の気のゆるみを引き締めようと怒鳴った。
だが、男の笑い声は止まらない。

「おい、いい加減に……。」

振り返ると、を取り押さえていた男の喉がぱっくりと開き、噴水のように血しぶきが上がっている。
男の笑い声はいつのまにか、血しぶきの噴き出すシューシューという音に変わっていた。
男達が一瞬ひるんだ隙にカンクロウの腕が大きく動くと、宙をすべるようにが向かってきた。
途中、カンクロウが投げ捨てた刀を手にすると、はカンクロウとの間に立ちふさがる二人を切り倒した。
カンクロウの前に立ち、は刀を構えた。
雲間から月が現れて、に光を降り注いだ。
の左手、手首の当たりから鋭利な刃物がつきだしている。
そこからしたたる血は、のものではなく、を捕らえていた男のものと思われた。
の動きもどこかおかしい。男達を見るために見回す首が、カクン、カクンと妙な節をつけて動く。
なによりも、眼が尋常ではない。
月明かりの中、猫のように爛々と輝いている。

「な、なんだこの女……。」

うろたえた男の声を合図に、の顔からザラザラと砂が落ちて人形の顔が現れた。
端正な作りだが、糸もなく動く人形は男達にとって不気味なものとしか映らない。
怖じ気づく男達を前に、カンクロウは不適に笑った。

「おめーらに仕込みを使うのはもったいねーじゃん。」

くいくいっとカンクロウが指を動かすと、先ほど投げつけた刀のもう一本が、人形の手に自ら飛んできた。
舞姫の両手に太刀を握らせて、カンクロウは構えた。

「カラクリ演舞、花吹雪の舞。」

何度かほたる屋で舞姫の踊りを見たものなら、それが一番の人気の舞であることに気付いただろう。

「天女の舞」と言われ、観客をみな夢見心地にさせるものだ。
もちろん、舞台でに舞姫が手にしていたのは扇だ。そして、演出として花びらに見立てた紙吹雪を散らした。
今夜、この狭い庭に舞うのは、紙ではなく男達の身体から吹き出した真っ赤な血しぶきだ。
さらに言うなら、今夜の観客は本当に天女のためにあの世を見ることになった。
ただし、男達が行くあの世は空の上ではなく地面の下の方だが――――。


庭や廊下がおびただしい血の臭いであふれかえった。
静まりかえった庭に響くのは、カンクロウの乱れた息の音だけだった。
カンクロウは舞姫を一旦巻物に戻し、血まみれのほたる屋のハッピを脱ぎ捨てると、の部屋に戻った。
畳の一枚をひっくり返し、そこに小さく丸まって震えているを見つけて引っ張り上げた。
月明かりの下で、血まみれになりながらも無事に笑うカンクロウを見つけると、その首にすがっては声を上げて泣き出した。
カンクロウは優しくその背中を撫でながらそっと言った。

、今までありがとうな。
俺、今夜限りでここを出て行く。最後の最後にとんでもないことに巻き込んじまって悪かった。」

「カンクロウ、あんた、旅芸人なんかじゃなかったんだね……。」

「騙してて悪かった。
俺も我愛羅と同じ――――、お前に言わせりゃ得体の知れない人間なんだ。
最後まで嘘を突き通すつもりだったけど、こんなことになっちまったからな。
お前とこの郭を守るには仕方なかった。」

カンクロウが離れようとするのを、は必死に腕に力を込めて留めた。

「カンクロウがカンクロウだったら、どんな人間でもかまわないよ。
騙されたなんて思ってない。
あたしに笑いかけてくれたことまで、嘘だったわけじゃないだろ?」

の言葉に眼を見開いた後、カンクロウはくしゃりと笑った。

「お前、ホントいい女じゃん。」

も笑い返すと、カンクロウから手を離した。
これ以上自分が引き留めてはいけない。
所詮、自分は、郭の遊女。
この先も男は自分の元を通り過ぎていくだけで、留まったりすることはないのだから。
表の方から大勢の人がこちらに渡ってくる気配がした。
店の者が呼んだ役人達だろう。

「早くお行きよ!
男衆やお役人には、男達が勝手に仲間割れして斬り合ったってそう言っとくから!」

カンクロウの胸を押しながら後のことは心配ないと告げる。
時間がないのは自分にさえわかっているのに、なんでカンクロウはグズグズしているんだろう…?
見上げると、優しい翠のまなざしがそこにあった。

「朔の夜―――。忘れるな。」

次の瞬間、今の今まで目の前にあって、手のひらに感じていたカンクロウが消えた。
の手は空を掴んで、畳の上に落ちた。






一人の遊女を巡って十人もの男達が切り結んだという話は瞬く間に街道中に知れ渡った。
人気の芸妓がいなくなったものの、ほたる屋には相変わらず客が詰めかける毎日だった。

騒ぎの後、は役人や店の主人から事情を聞かれたが、男達が互いに斬り合いをはじめ、恐ろしくて部屋の隅で泣いていたという話を疑う者は誰もいなかった。
取り調べの後、はショックから高熱を出してしばらく寝込んだ。
熱が引いて眼が覚めたとき、郭はこれまでとかわらない郭に戻っていた。

目覚めたが、なによりも一番不思議に思ったのは、郭の人間は誰もカンクロウのことを覚えていないということだった。
あまり自分からカンクロウのことを口にしてやぶ蛇になってはいけないと、なるべく口をつぐんでいたが、見舞いに訪れる遊女仲間や下働きの少女にもそれとなく話を振ってみたが、皆、不思議そうに首をかしげるだけだった。
あの血なまぐさい事件に巻き込まれたせいで、は混乱して、夢と現実の区別がつかなくなっているのだろう、と郭の人間は噂した。
床に伏せった遊女など、普通ならすぐにでも郭を追い出されるところだが、一人の遊女を巡って十人もの男達が切り結んだという話は瞬く間に街道中に知れ渡っていたため、当の遊女を出せと詰めかける客で、郭は引きも切らぬ賑わいを見せていた。そのため、客寄せとしてのを主人は手厚く看病させた。
十日あまり、は寝たり起きたりの生活を続けた。
さすがに明日からは客をとってもらうよ。と主人がの部屋に来て言い置いて行った夜。
郭の表からの三味線の音や笑い声を遠く耳にしながら、は廊下に立って夜空を見上げた。
猫の爪のような月は昨日までで、今日の空に月はなかった。
星が綺麗に見える新月の夜だった。

「あたしは、ずっと夢でも見ていたのかもしれないね……。
昔から、月の光は人を惑わすって言うからさ、満月でありもしないものを見ちまったのかもね…。」

そうつぶやいたものの、手に、頬に、唇に残るカンクロウの温かなぬくもりは夢だとは思えない。
震える指で、そっと唇に触れると、頬を伝って落ちるものに気付いた。

夢で見た人に、こんなにも胸が痛くなるくらい恋い焦がれるものなのだろうか……?
遊女の自分が、よりによって夢の中の相手に恋だなんて……。

「なんだよ、なんにも支度してねーじゃん。」

突然、部屋の中から聞こえてきた声に、は心臓が止まりそうなくらい驚いた。
身体が強ばって、手足が震える。

「てっきり仕事中で、帰ってきたところを驚かそうって思ってたのによ。
俺の方が驚かされちまった。
なあ、。」

返事もせず、振り向きもしないの背後にゆっくりと近付く気配。

…。」

耳のすぐ側に声が落ちてきた。
肩が大きく跳ね上がる。心臓の鼓動がますます早くなる。
―――恐くて、――恐くて、振り返ることができない。
小さなため息が聞こえた。

「すっかり怖がらせちまったな。
この様子だと、身体まで悪くして寝込んでたってことか……。
悪かった……。俺…、てっきり……。」

肩にそっと温かい手が触れた。
の身体が大きくビクンと震える。

「たったの二週間なのに、ずいぶん痩せたな…。
身体は大事にしろ。って…、こうなった原因作った俺が言うことじゃねえな。」

ほんの少しだけ、細い肩に置いた手に力を込めた。少しでもの震えが止まって欲しいと願って―――。
だけど、それはかなわなかった。

「ごめんな。
………もう、これっきりだ。
じゃあな。」

離れようとする、カンクロウの手を白く華奢な手が押さえた。

……?」

「……あったかい……、カンクロウ……、あったかい、あんただ……。」

白く細い指は冷たかった。
だからこそ余計にカンクロウの指が温かく感じられた。
震える指ですがるようにカンクロウの指を握ると、背中からフワリと抱きしめられた。

「俺が、恐くなったんじゃねぇのか…?」

猫の仔のように腕の中で震えるは、少し腕に力を込めたら壊れてしまいそうだった。

「恐いよ…。また、カンクロウが消えちまうんじゃないかって、そう思うと恐いよ……。
郭の人間は皆あんたのこと綺麗さっぱり忘れちまってた。
あたしまで、あんたのこと夢か幻だったんじゃないかって思い始めて……。」

の頬を後から後から涙が流れ落ち、カンクロウの腕にパタパタと染みを作った。
カンクロウの腕の中は温かくて、冷え切った身体も、心もゆっくりと熱を取り戻す。

「後腐れないように、郭の連中にはあらかじめ術を掛けておいた。
だけど、ちゃんとお前には"朔の夜"って言っただろ。」

「あれだけで、なにが"ちゃんと"だい!!何がわかるってのさ!
だいたい、"さくのよる"って何さ?」

急にの口調が元に戻ったことにカンクロウはギョッとして、くるりとこちらを向かせた。
黒い瞳は涙に濡れたままだけど、眼にはしっかりした光が戻ってきてて、カンクロウの知る勝ち気で面倒見のいいがいた。

「お前……、何にも知らねーんだな。」

「仕方ないだろ。子供の頃からずっとこの郭のことしか知らずに育ったんだから……。
どうせあたしは読み書きもできないし、学なんてないさ…。」

呆れたようなカンクロウの声に、顔を真っ赤にしてがそっぽを向いた。

「教えてやるよ。」

落ちてきた声に はカンクロウを見上げた。
この前の夜と同じ優しい翠の眼がそこにあった。

「郭の外の、広い世界のこと、教えてやる。
だから、一緒に行こうぜ。」

なっ、と微笑む顔は、 が見知った悪戯小僧のそれだった。



街道沿いに新たな話が伝わった。

天から下りてきた舞姫は、人々を苦しめる悪い男達を成敗すると、再び天へと帰っていった―――。と。

GIFT目次へ戻る

 

『愛のかさぶた』ヨーコさんから、11,111HITのキリリクで頂きました!
このドリーミーな設定にどっぷりはまらないカンクロウスキーはいないでしょう!
ヒロインを守って言葉も戦術もあざやかに敵を始末するカンクロウにただただうっとりです。
SAMURAI7の世界でカンクロウを活躍させて下さいという、わがままなリクを見事にかなえて下さりひたすら感激。
しかも大好きなシーンにうまくはめて、しかもしかも原作ではおそらく実る事のない恋をちゃんと成就させて!!
ヨーコさんちではすんばらしいイラストつきです、必見です、カンクロウが男前過ぎだ〜っ!!罪な奴!!ヨーコさんのセンスの良さに脱帽!!