俺が生まれた夜には一体どんな月がかかっていたんだろうか。
夜の帳に覆われた砂漠を歩きながら我愛羅は思う。
誕生日が来る度蘇る苦い思い。
自分を産み落として母は命を失ったのだ。
もっとも出産はそれ自体リスクを伴う。
別に生んだのが我愛羅でなくとも、体の弱っていた母親は命を落としたかもしれないではないか、と彼の苦悩を知るものは言う。
そうかもしれない。
だが、張本人たる我愛羅にはそれは慰めにはなっても真実とはなりえない。
しょせん、この痛みは彼が墓場までいっしょに持って行くしかないのだろう。
砂の忍びには遺品はない。
遺骨も含めて身の回りのもの全ては焼却され、風葬される。
ものを書くのが好きだったと言う母親の思いも、今となっては知る術もない。
辺りをとりまく砂の一粒一粒が、彼女の思いをひっそりと閉じ込めている。
母親から彼に残されたのは我愛羅と言う名前だけ。
どういう意味なのかと考えるのはとうにやめた。
名前を残してくれた、それだけでいいではないか。
今はそう思える。
名付けるという行為は、その存在を受け入れたと言う証拠なのだから。
なぜだろう、月は母親のイメージと重なる。
太陽とは比べ物にならないちっぽけな存在なのに、すべての生物のリズムを支配する。
今宵は新月。
夜空には星だけが頼りなげに光る。
けれど見えない月の存在を俺たちは知っている。
今はそこにいなくても必ずまた、その柔らかな光を空から降り注いでくれるだろうことも。
今日は俺の誕生日、そして母加流羅の命日。
俺は彼女の忘れ形見。
母親は、あれほど渇望した母親は、彼女の思いと共に今自分の中にある。
人間は一人で生まれはしない。
皆誰かの思いを背負ってこの世に生まれ、そして己の思いを誰かに託して去っていく。
姿を消した月を失われた月と呼ばずに新しい月と呼ぶ不思議。
この暗さは再生への道。
新月の闇が深ければ深いほど、生まれ変わった月はまぶしい。
俺も、俺の心も、新月となって他の誰かの中に生まれ変わる日が来るのだろうか。
いつか‥‥
我愛羅にとって現実は痛いでしょう。
彼を産んで母親が亡くなったのは事実ですから、誕生日は葛藤を呼び覚ます日だと思います。
でもそれを乗り越えて生きていってほしい、生きていける強さを備えた、身につけた彼であってほしいです。
お誕生日おめでとう、我愛羅。