新学期

ダッシュ!!
閉まりかけた電車のドアにあやうく滑り込んだ。
(よかった、入学早々遅刻で目立つのなんかいやだもの)
一息ついて車内を一瞥、たちまちの顔色が変わる。
学生はたくさんいるものの、同じ制服姿が全くいないのだ。
時間帯はわずかに遅いとはいえ、通学時間圏内のはず。
‥‥ひょっとして、アタシ急行に乗った?
の高校への最寄り駅は普通電車しか止まらない。
あせりつつきょろきょろ見回すと、少し離れた窓際に同じ学校の制服がもう一人。
よかった、間違えてない‥‥

やおら聞こえてくる他校生の声。
「あの制服って、○○高校だよね」
「まちがえちゃったんじゃない、あの子」
「かもね、まだ制服も鞄も新しいから新入生なんじゃないの」
ひえ〜っ、ど、どうしようっ!
窓際にへばりついて身を縮める。
でも、じゃあ、あのヒトはいったいなんで?彼も間違えたの?
なんにせよ一人で他校生の視線に晒されるより、2人でいる方が心強い。
意を決してはその男子生徒のところへにじり寄っていく。

床に直置きのでかいボストン、
スニーカーに平気で校則違反の色ソックス。
壁にもたれて腕組みで寝てるこのふてぶてしさ。
どう見ても新入生ではなさそうだ‥‥えらそうな態度もやけにサマになってるし。
しかし。
上級生が電車を間違えるって、どうよ?!
自分のことは棚に上げてくだんの彼氏をじろじろ見ていると
「‥‥なにか用か」
すごみのある低い声が聞こえて来た。
とっさのことにキョドっていると目の前の彼氏の寝不足の目がまっすぐの目を捕らえた。
げっ、すごいクマ‥‥
そしてそれ以上に印象的な翡翠色の大きな瞳。
「あ、あ、あ、な、なんでも‥‥」
ありません、といいそうになったところで本来なら下車すべき駅が遠ざかっていくのが車窓から見え、正気をとりもどす
「電車‥‥間違えてませんか」
一瞬の沈黙の後、彼はぷいっと横を向いて言った。
「分ってたら言うな‥‥かっこ悪い」
一気に気が楽になる。
黒い額縁付きの大きな目はとてつもなく機嫌が悪そうだったので少々びびっていたのだ。
「そういうお前も間違えたんだろ」
「はい、でも‥‥私一年だから」
じろり。
「‥‥悪かったな。今日は珍しく電車だから間違えただけだ」
「え、他に通学の方法なんてあるんですか」
あきれたような声が返って来た。
「自転車というものがあるだろう」
「あ、そっか、その手があるんですね。
でも定期使って電車に乗るのって憧れだったから」
「フフン、新入生らしい答えだな。
何ヶ月定期買ったんだ」
「そりゃあ一番安くなるから3ヶ月です」
「後悔するぞ」
「え」

その時電車が駅に滑り込み、停車した。
「降りるぞ!」
ドアに殺到する人波にはおろおろ。
最後に降りようと思ったら、どどっと人が乗って来てあたふた。
一旦降りた先輩はその様子を見かねたのか、戻って来ると、の腕を掴んで強引に人の流れに逆らい降ろしてくれた。
「ぼーっとすんな、一年坊主」
「スイマセン‥‥」
素直に謝りつつも一年坊主、という呼称には内心カチンときた。
アナタだってぼーっとしてたから急行になんか乗ってたんでしょ、と心の中でひそかに言い返す
と、その考えを見透かしたようにまたじろり。
「俺が今日電車にのったのは途中で自転車がパンクするというアクシデントがあったからだ。
しらん駅から乗ったらうっかり急行だっただけのこと」
な〜んか言い訳がましいなあ、とは思いつつ
「はあ」
とだけ返事しておく。
「さあ、戻るぞ」
さっときびすを返すとすたすた違うホームへ向かう。
遅れては大変とは小走りでついていく。
「遅刻しちゃいましたね‥‥」
「電車で通う限り、お前またやるぞ」
「どーゆー意味ですかっ、アタシがどんくさいと‥‥」
「ウチの高校には不利な時間帯に普通が走っているというだけのことだ」
「よく知ってますね‥‥あっ、先輩も昔電車通学だったんですか」
「‥‥普通がきたぞ」
の問いかけを無視する当たり「そうでした」と言っているのも同然。
すっかりは嬉しくなって、この一見コワいながらも実は親切で愉快な先輩にもっと話し掛けたくなったのだが‥‥
〜!!」
同じクラスの子だ、どうやら遅刻は彼女だけじゃなかったらしい。
「どしたの、遅刻じゃない」
「何言ってるの、もでしょ!それになんでこんなトコから乗って来たの?」
「え〜、それはさ、ちょっと間違えちゃって‥‥ねえ、先輩‥‥」
どこからともなく車内に紛れ込んだ桜の花びらが、ふわっと目の前を横切った。
その隙に彼は姿をくらましてしまっていた。

数週間後。
は学校へ向かう坂道をえっちらおっちら自転車で上っていた。
もう少しで坂を上り切れる、そこまで行けばあとは下り、もう少し、もう少しよ‥‥
ガクン。
衝撃があって急にタイヤが重くなる。
どうやら尖った小石かなにかに乗り上げて、パンクしてしまったようだ。
「え〜、信じらんない!どうしよ‥‥」
空気の抜けた自転車なんて重たいだけのお荷物だ。
しかも本日の一時間目の先生は遅刻にものすごく厳しい。
必死で坂道を重たい鞄と重たい自転車を引きずり上げる。
実は前回の遅刻の時もその先生だったのだ、もし今日も遅刻でもしようものなら‥‥

「一年坊主、パンクか」
後ろから聞き覚えのある声。
まさか、と思いつつ振り返ると自転車にまたがったあの先輩。
「クマ先輩!」
「‥‥‥クマァ?」
しまった、と思ったがあとの祭り。
あれからずっと会いたいと思いながら電車でも校内でもあえないまま。
いろいろ考えてるうちに頭の中で勝手にあだ名をつけてしまったのだ。
もちろんこのクマは動物のクマではなく、目の回りにあるくろぐろとしたクマが由来。
「‥‥勝手に変な名前をつけるな、俺は我愛羅だ」
「スイマセン‥‥」
「まあいい、それより遅刻するぞ」
「自転車が‥‥」
「そんなもん、帰りにひきとればいいだろ、カギかけてそこへ置いとけ」
「でも‥‥」
徒歩ではどうせ間に合わない、といいかけると
「乗れ」
耳を疑った。
「乗れと言っている」
「え、でも‥‥」
「早くしろ!」
「は、はいっ」
いそいで後ろの荷物台にちょこんと乗る。
「つかまれ、飛ばすぞ!」

上り坂だというのにどうだろう、が返事をする間もなく自転車は凄いスピードで動き出した。
ひょろっとして見えたのに。
我愛羅先輩のこぐ自転車は力強く坂を上っていく。
ペダルのリズムにあわせて右に左に揺れる学生服の背中はこうして間近にみると予想外に広くてドキンとした。
路肩につつじの咲いている頂上にたどり着いた自転車は、今度はすごい勢いで下り出す。
その遠慮のない加速ぶりに内心びびりながらも、まったく動じない運転手にへんに感服する。
「ブレーキ、かけないんですか〜っ」
耳をかすめる風に声をかき消されないように大声を張り上げる。
「それじゃ遅れるだろうがっ」
「でもっ」
「俺の運転が信用できないのか」
「‥いいえ」
そういう問題ではないんだけど。
今度は我愛羅先輩から質問が飛ぶ。
「自転車に替えたんだな、一年坊主」
どうやら通学手段のことを言っているらしい。
「はい‥‥ずっと早いし‥‥」
「で、3ヶ月定期はいいのか」
からかうような声。
「し、仕方ないじゃないですかっ、チャリの方が便利なんだもん」
「ククク、そうだな、俺もそれで大損したから知ってる」
なんだ、やっぱりそうなんだ。
「それに自転車の方がトレーニングにもなるしな」
「え?」
「一年坊主はクラブに入ってないのか」
「‥‥帰宅部です‥‥」
「なんだ、若さの無い」
(そのセリフのどこが若いのよ?)
心の中で言い返しながらは言う。
「だって運動苦手なんだもん、見る方専門‥‥」
「でも気は強そうだな」
「ほっといて下さい!」
背中しか見えないとはいえ、我愛羅先輩がニヤニヤわらっているのがわかる。

校門が見えて来た。
キキキキッ
ブレーキがきしんで自転車が急停車。
「きゃっ」
どしん!
「いたたたた‥‥」
前の人間の背中に思い切り鼻をぶつけた
「わるい、遅れそうな上2人乗りばれたらつるし上げくらうからな。
一時間目にはぎりぎり間に合うだろ、ほら行け、一年坊主」
ムッ
です!」
「は?」
「私の名前っ!一年坊主じゃありません!」
気の強い奴だな、とややあきれた表情の彼。
「わかった、おれもクマ先輩じゃない、『我愛羅』だ、いいな」
「はい!あの‥‥我愛羅先輩、ありがとう!」
「礼なんかいいから走れ、!」
「はい!」

その朝はどうやら遅刻は免れた。
お礼を言わなきゃ、とクマ先輩、もとい我愛羅先輩の姿を探すものの一向に出会えない。
仕方ないと言えば仕方ない、一年だけでも10クラス以上もあるのだ。
みな同じような制服姿で授業から授業の移動だけでは、出会うことのできない人の方が多くても不思議は無い。
心残りをかかえたまま日が流れていく。

そんな放課後、はぼんやり教室から外を眺めていた。
だんだん高校生活のリズムにも慣れてくると、なんだか学校と家の往復だけの生活がものたりない。
クラブに入ろうかな‥‥
しかし入部にはやや出遅れた感のある今、どこに入ればいいだろう。
文化部ってがらじゃないし、運動部はいいと思うもののいまさら新入部員として入るのも運動音痴だけに気が引けた。

カーン
金属バットの音。
今日は野球部のローテーションらしい、大きくグラウンドを使って練習している。
野球かあ‥‥一度近くで見てみようかな。

ホコリっぽい校庭ではユニフォーム姿の男子生徒達が声を張り上げて走り回っていた。
いつもは隅っこでノックやキャッチボール練習なんかをちまちましている様子しか見ていなかったので、
ちゃんとグラウンドいっぱいに守備練習している姿が新鮮だ。
しばらくしてバッテリー登場。
ピッチャーはマウンドを足でならしながら、手の感触を確かめるかのように掌でボールをポンポン上下させている。
なんだか、この人どこかで見たことあるような‥‥
キャッチャーが座り、マスクを下げて投げるように手を挙げて合図した。
ピッチャーが頷いて構える。
蹴り上げられた足、しなる腕、帽子のつばの下に垣間見えた真摯な瞳。
空気の流れが止まり、彼の一挙一投足がスローモーションとなっての目に焼き付いた。
パシッ
白球が鋭い音をたてて、ミットに収まった。
クマ先輩だ!

『♪下校時間になりました。
教室に残っている生徒も、クラブ活動をしている生徒も片付けをして速やかに帰宅して下さい‥‥』
げっ、下校時間までねばっちゃった‥‥
は時間のたつのをまったく意識していなかったらしい。
西の空が赤くなってきている。
考えてみればクマ先輩が何かスポーツをしているのははっきりしていたのだから、
片っ端から運動部をあたればもっと早くに出会えたはずだったのだ。
で‥‥‥‥出会ってどうすんの?
自分でも分らなかったけれど、とにかく以前送ってもらったお礼を言いたいと思った。
‥‥本当はそれだけじゃない、という気はしていたけれど。
「おつかれ〜」
「お先〜」
「また明日な」
野球部のメンバーも次々にかえっていく。
なるべく目立たないように、でも先輩を見過ごさないように物陰にかくれて待つ。
いきなり後ろから声がした。
「何やってる、一年坊主」
ぎゃっ、と飛び上がらんばかりに驚いたの目と鼻の先には我愛羅先輩が野球帽にユニフォーム姿で立っていた。
「こ、こんにちはっ、我愛羅先輩‥‥‥お久しぶりです」
「今日はずっと見てたんだろ、なにを今さら」
「ま、まあそうですけど、練習中に声かけらんないじゃないですかっ」
「そりゃそうだな、ほれ、自転車置場行くぞ。
早く帰らないと部活停止くらうからな」

夕焼け空の下、2台の自転車とそれを押す2人の影がならぶ。
長いだらだらの上り坂を自転車で登るには疲れすぎているから。
「野球部だったんですね」
「‥‥ああ」
練習の後のせいか、あまり話をしたそうでもない。
どうしたものかと考えあぐねていると
「一年ぼう‥‥はクラブに入ったのか」
「いいえ、まだです‥‥」
「さっさとしないと入りそびれるぞ」
まさにその通りです、と痛い所をつかれてうなだれるに意外な一言。
「‥‥マネジやらないか」
「え?」
「マネージャーだよ、野球部の」
「で、でも、もう誰かいてるんでしょ?」
「いや、この春に卒業したから今は空いてる。
それにはマネジ向きだ」
「あたしが?」
意外だった。
マネジって献身的じゃなきゃだめなんだよね、よくは知らないけど。
実際には妹弟がいるので、必然的に面倒見はいい方ではあった。
それを献身的というのかどうかは自分でもあやしいとは思ったが。
でも、そんなこと先輩が知ってるわけない。
なんで向いてるなんて言うんだろ‥‥
でも悪い気はしなかった。
が。
は気が強いからな」
が〜ん。
なによ、それ〜っ?!
「な、なんでそれがマネジにむいてることになるんですかあ?!」
「陣取り合戦知ってるだろ、うちの高校はグラウンドがあまり広くないから。
それを伝統的にマネジ達が仕切ってる。
今日だってグラウンドあれだけ使えたのは2週間ぶりだ。
、お前なら他の部の古狸とも渡り合えると見た。
頼む、マネジやってくれ」
先輩はいきなり立ち止まると野球帽を取って敬礼。
「ちょ、ちょ、ちょっと!やめて下さいっ!
もう、やだ、わかりました、わかりましたってば!
やればいいんでしょ?!」
顔を上げた先輩は実に嬉しそうにニヤニヤしている。
くそ、はめられた‥‥

「じゃあ、頼むぞ」
「わかりました‥‥」
ちぇっ。
マネジなんて頼まれるから、ちょっとだけ期待したのに。
つまんないの‥‥
丁度頂上につき、2人は自転車に乗って走り出す。
しばらく走ったとき、後ろからもう一人のユニフォーム姿が追いついてきた。
「おー、我愛羅、その子がうわさの子かよ?」
は?
怪訝そうなの顔をその人物が覗き込んでニタッとする。
「どーも、チャン。
俺キャッチャーのカンクロウってんだよ、ヨロシク」
「はあ‥‥」
がリアクションに困っていると
「ふ〜ん、かわいいじゃん、どーりで我愛羅が他のマネジ候補を蹴るはずだな」
赤面したのは だけではなかった。
「黙れっ、カンクロウ!」
先輩が珍しく声を荒げている。
「へへへっ、おじゃましました、おっさき〜」
その人の乗った自転車はたったか坂道を下っていった。

カー
 カー
  カー

カラスの声がやけに響く。
気まずい沈黙‥‥
私の名前、あの人知ってた‥‥
てことは、我愛羅先輩が私のこと話してた、ってコトよね‥‥
噂の子、って‥‥
他のマネジ候補を蹴ったって‥‥
「あ、あの〜///」
「あ、あいつが変なこと言ってすまん。
とっとにかく、明日は放課後グランドに来い、いいな」
「はあ‥‥」
「じゃあなっ、俺はこっちだから」
「あっ、さよなら、我愛羅先輩‥‥」
の声も聞こえていたかどうか。
先輩は先に消えたキャッチャーだとかいっていた少年のあとを猛スピードで追いかけていった。
耳に残ったのは、らしくない焦ったような声。

夕闇迫る帰宅道。
一人とりのこされたの胸に生まれたあたたかい気持ち。
春の宵。
恋の予感。
自転車は坂道を加速度をつけて走りだした。


目次へ戻る


蛇足的後書:弊サイト5万ヒットキリリク、お題は『さわやかな我愛羅君@ピッチャー』でございました。
あきこさん、2ヶ月以上もお待たせしてしまい、本当に申し訳ありません!!(滝汗)
おまけに野球をしているシーンって、どこ?みたいな‥‥爽やかなの?って‥‥完全なパラレルだというのに‥‥実力不足です‥‥ごめんなさい!!
こ、このような作品ですがよろしければ、あきこさん、お持ち帰り下さいませ。
私自身は時間がなくて書くのはものっそとろとろしましたが、高校時代を思い返したりして、大変楽しませて頂きました。
素敵なリクエストをありがとうございました<(_ _)>。