夏の受難

夏は赤丸にとって受難の季節だ‥‥‥つまり、おれにとっても。
まず、雷。
犬ってのは鼻がいいのはもちろんだが、耳も人間とは比べ物になんないぐらいいい。
ヒトにはとうてい聞こえないような音でも感じる。
それがアダになって、雷の音なんか、はるか彼方にあるころから聞こえちまう。
しかもすごい音量で、らしい。
どうも空模様が怪しくなってきたなあ、と感じるや否や、赤丸は震え出す。
忍犬だから、ある程度は我慢してるようだが、それでもおれのパーカにもぐりこんでガタガタ震えてる。
もう一つは、花火だ。
コイツもひどく耳障りらしく、お盆をはさんであちこちで花火大会が開催されるころになると、毎晩ふるえあがることになる。
そして、これは俺にとっても受難だ。
だって、「花火を見る」という大義名分で彼女をデートに誘う、という夏恒例の男に許された口実を使用できないんだから。
しかも、この「花火」は、盛り上げるのにこちらは何も努力を要しないという、非常にオイシイ設定なのだ。
おまけに、彼女がちょっとおしゃれな子であれば、浴衣でデート、というシチュエーションにもなりうる。
あ〜あ、赤丸がもう成犬であれば、コイツを放っといて、という選択肢もあるが、なんといっても、まだ子犬だ。
そんな無責任なことはできないし。
せっかく並みいるライバルをおしやって、と仲良くなったってのになあ。
ねえちゃんの友達だっていうんでちょっとばかし、手伝ってもらったんだけどさ。
おかげで、ねえちゃんには頭があがんねえよ。
だけどなあ、だいたいが年下ってんでばかにされてるのに、この絶好のデートチャンスに誘わないとなったら、あきれられて、きっと他の男にかっさらわれちまうに決まってるぜ‥‥

明日は花火大会という日。
なるべく顔をあわせないようにしていたのに、とばったり道で出くわしちまった。
「ねえ、キバ、なんか、あたしのこと、さけてない?」
うっ、あいかわらず単刀直入なやつだ。
「そ、そんなことねえぜ。
気のせいだろ」
「ふ〜ん。
あ、あのさ、明日なんだけど、花火があるじゃない……」
ヤバい、ここは逃げるしかねぇ!
「悪いっ、姉貴に用事頼まれてんだ、またなっ」
速攻、返事もきかずにダッシュで逃げた。
びっくりしたの顔の残像が頭に浮かぶ。
「く〜ん‥‥」
しかたねぇよ、赤丸。
お前のせいじゃねえよ‥‥いや、やっぱ、お前のせいだけど、不可抗力ってことだ。
一心同体のおれたちには他に選択肢はねえもんな。

花火大会当日。
オレは赤丸に少しでも負担がかからないようにと、町はずれの洞穴にはいりこんでいた。
かわいそうに、それでもやっぱり聞こえるらしい、がたがた震えてる。
しかし、俺もかわいそうだよなあ‥‥こんなこと、ねえちゃんに聞かれたらぶっとばされそうだけどよ。
「忍犬は自分の命の次に大事にしなきゃいけない」が口癖だもんな、トホホ。
おっと、こんどのヤツは大掛かりな仕掛け花火らしいな、俺も耳は悪い方じゃないとは言え、俺に聞こえるってことは、赤丸には耳元で爆竹ならされてるみたいなんじゃねえか。
身をありったけちぢこめて、パーカにもぐりこんでる。
まったく、罪作りな花火だぜ。
あれ、誰か飛びこんできやがった、こんなとこに入ってきてどういうつもりだよ、にわか雨でもないってのに。
え?‥‥うそだろ、じゃねえか!
「やっぱり、ここだったんだ」
「ど、どうしたんだよ、一体‥‥」
「ふふ、赤丸でしょ、原因は」
「え‥‥」
「あたしもさ、つい最近犬飼いだしたんだよね。
ほら。」
そう言っては上着のファスナーをちょっとずらした。
ありゃ、そこには赤丸と同じようにふるえてる子犬がいる。
「昨日、あれ、な〜によ、ひとの話もきかないで、逃げちゃってさ。
『花火あるけど、犬がこわがるからいけないの。
赤丸もそうでしょ』
って言おうとしてたのに。」
二の句がつげず、ぽかんと口をあけたまんまの俺をデコピンして話を続ける
「この犬はさ、別に忍犬じゃないのよね、だからよけい恐がりでどうしようもないのよ。
花火や雷ならまだいいんだけど、ドアがしまる音でもびびるし、雨もいやがるし、もう手を焼いてるのよ。
‥‥でも、かわいいんだけどね。」
そうりゃそうだろう、さもなきゃ、こんなとこまでわざわざ、自分の懐に入れてかばうみたいにして連れてきやしないだろうさ。
「雷なんかの時はここに来るって、ずっと前、キバがいってたの思い出してさ」
そんなこと言ったっけ。いつもと会う時は結構舞い上がってて、何話したかよく覚えてない‥‥情けねぇ‥‥
「正直なとこ、いつも『赤丸、赤丸』だから、妬いてたんだ。
でも、今ならわかるよ、キバの気持ちがね。」
妬いてたぁ? うそだろ‥‥
「キバにはもうちょ〜っと女心というものを分かってほしいわね。
姉貴もいるくせに、まったくなってないわ。
どうせ、私が焼きもち妬くなんて想像もしてなかったんでしょ。」
ず、図星だ。
「あんたね、私が年上だから苦労してるってのもわかってないでしょ」
え、なんでが苦労すんだよ、してんのはオレじゃねえか‥‥
「そこが、ガキだっての。
あんたは自覚してないんだろうけど、けっこうモテるみたいじゃない、つきあいだしてから、何回イヤミいわれたか」
だ、誰にだよ。
「あんたの同期の女の子達によ。
聞こえよがしにオバハンよばわりされるし、男どもは年下弄ぶなとか言うし、まったく報われないわよ」

‥‥これは考えても見なかった‥‥ガキよばわりされても仕方ねえ、自分のことしか考えてなかったぜ‥‥
「ま、そんな単細胞ぶりもキバのいいとこではあるんだけどさ、おっと、これは失言、ごめん」
子犬をなでてやりながらぶつぶつ言ってる
ちょっとすねたような表情がいつものクールな彼女とは違って、やたら可愛く思えた。
気がついたら、の肩を抱き寄せてた。
俺からの珍しいアプローチにびっくり顔の
ちょっと赤くなりながらも、俺の方へもたれかかってくる。
お互いの体の暖かみが伝わってきて、洞窟の中の夏とはいえひんやりした空気の中ではほっとする。
彼女の上着からのぞいた子犬が赤丸にちょっかいをだしている。
赤丸も適当にかわしながらも仲間がいて嬉しそうに見える。
かすかに、また、花火の音がしたとたん、2匹とも俺たちの懐へ大慌てで引っ込んだ。
その様子がおかしくて二人で笑う。
フン、花火は逃したけど、こんなふうな時間を過ごすのもいいな。
どうやったっては俺より大人でそれは埋めようがないけど‥‥だって苦労しながらも俺とつきあってくれてんだから、そんなことでヘコんでちゃ男じゃねえ。

「なあ、コイツの名前、なんての」
「チビ」
「‥‥今はいいけど、でかくなったらどうすんだよ」
「あ、そうね。まあ、いいじゃん、昔は小さくてかわいかったのにねえ、なんていうのもさ」
はこういうギャップがいいんだなあ。
おっと、んなこと感心してる場合じゃないんだ。
「あのさ、チビの散歩どうしてんの」
「え、まだあんまり行ってないんだ、早いかな、とか思って」
「そんなことないぜ、もう十分連れて行けるっつ〜か、連れてってやんなきゃだめだぜ」
「そうなの」
「そう。世界が広がれば、そんなに恐がりじゃなくなるかもしれないじゃん。
‥‥よかったら、一緒に行こうぜ、赤丸も喜ぶし」
じーっとこっちを見る
くそ、ばれてるか、下心ありあり、だもんな。
「‥‥ありがと、キバ、嬉しい。
じゃあ、明日、呼びに来てくれる?
その‥‥あたし、すごい寝坊なんだ‥‥
だから、散歩行ってないってのが、ほんとかも」
へ、そうなんだ。
舌を出して恥ずかしそうに笑うが愛らしくて、つい、くしゃくしゃっと頭をなでてしまった。
「‥‥なんか、今の、犬にやってるっぽかったけど‥‥」
ジトメの
「ははは、んなことねえよ、気のせい気のせい。
んじゃ、明日呼びに行くからよ。」
「ん、待ってる、てか、寝てる」
「コラ!」
「へへへ」
こづき合って笑いながら、花火の音がやんだ外へ出る。
すっかり暗くなって、空には満天の星。
「うわあ〜、すっげえきれいだな!おい、赤丸、もう大丈夫だぞ、出てこい、ホラ、すげえ星だぞ」
「ク〜ン」
くすくすわらう
「本当にあんた達って、コンビなのねえ。おっかしいの」
自分もチビに星を見せようと上着からひっぱりだしてるくせに。
「ね、今流れ星見たら何お願いする?」
と、
「え〜、そうだなあ、もっと強くなれますように、かな」
「な〜んだ、全然ロマンチックじゃないのね、ま、優秀な忍者を目指す心意気は買うけどね」
「ちぇっ、なら、は何をお願いすんだよ」
「ふふふ‥‥明日起きられますようにって」
のほうがずっとロマンチックじゃねえだろうが!」
「あら〜、でも実現する可能性は高いでしょ、キバのみたいに抽象的じゃないもの」
あ〜あ、いつもの調子にもどってきたな、お子様なキバくんと大人な姉さん、か。
「それに、起こし方一つでロマンチックにもなるじゃない」
「へ?」
「王子サマが眠り姫をどうやって起こしたかしらないの?」
ぼんっ
俺は真っ赤になった。
「キャハハハハ、やっぱりキバって、かっわい〜い!
じゃね、明日楽しみにしてるわよ!」
きゃらきゃら笑いながらは走り去った。

ああ、当分俺の受難は続きそうだな‥‥
「ワン!」
元気に赤丸が吠えた。


目次へもどる


蛇足的後書: キバくん、お誕生日おめでとう、ということでキバドリに挑戦してみました。
彼の特徴が出せているかどうかは全く自信ないのですが‥‥スイマセン‥‥
まあ、カン兄とも縁のあった彼なので、また本編で助け合いとかしてくれるといいな、という願いを込めて。