メロンソーダ

『みんなの○○」
という名前の商品の狙いは明らかである。
『お母さんの』や『ボクの』あるいは『私の』では対象が絞られてしまい、その人称でない人は「あ、私むけじゃないのね」「オレのじゃないし」と、無意識のうちにその品物を遠避けてしまう。
そこを『みんなの』と銘打てば、不特定多数かつ全ての人が含まれる。
そして『みんな』というキーワードは、なんとなく誰もが自分も入らざるをえない、また入りたいと思うオーラを持つ不思議な言葉でもある。
売る方としては角もたたず、すべての人向けであることをアピールできる、便利な言葉という訳だ。

さて。
夏を目前にしたある日届いた子供向けメロンソーダ。
別に名前等考えずに注文されたのでろうが、カートンには『みんなのメロンソーダ』と印刷されてある。
夏の休暇シーズンに向けて、風影邸の3人の子どものために特別にバキが頼んだのだ。
案の条、すでにその存在を嗅ぎ付けた3姉弟が台所に集合している。
めいめい手にはメロンソーダの缶。
清涼飲料水などという『軟弱な飲み物は忍びのものではない』とか、なんとか、普段はめったに飲ませてもらえないので一気飲みである。

「うめ〜っ!」
「おいしい!」
「・・・」

3番目は甘党ではないので、本当に美味しいとおもったのかどうか、この発言では不明だが、兄姉が飲んでいるのに自分は不参加などということは考えられないのだろう。

さて、冷蔵庫にあった分はすぐになくなったので、次なるものを冷やす段階になってもめ事発生。

「カンクロウ、お前なんで2つしか入れないんだよ」
「だって、テマリも我愛羅もメロンソーダなんて好きじゃないじゃん」
「・・・だからといって自分だけ飲む気か、それは許さん」
「そうだよ、バキ先生がせっかく買ってくれたのに」
「お前らこそ、嫌いなのに飲むなよ、もったいない」
「嫌いだ等といつ言った、しかも『みんなのメロンソーダ』と書いてあるだろう」
「・・・しるかよ、そんなこと!ならこうすりゃ俺のもんじゃん」

カンクロウはペンを取ると、カートンの『みんな』の文字を消して、『オレの』と書いてしまった。

「バカじゃないの?なら、こうすればアタシのもんなのかい?」
テマリも負けていない。
その上からさらに『アタシの』と書き換える。
我愛羅も黙っているわけにはいかず
『俺様の』と書き加える。
もうわけがわからない。

そこへバキ先生登場。
「こらっ、何やってる!」
「ひゃっ、バキだ」
「だって先生、カンクロウが・・・・」
「・・・こんな名前だから誤解を産むんだ」

ぐちゃぐちゃ書き加えられたカートンを見て、一部始終を悟ったバキ。
つかつかと箱のところへ進むと、無言で『オレの』やら『アタシの』やら『俺様の』の文字を消し、でかでかとなにやら書き加えた。

『親父のメロンソーダ』

静まり返る子ども達。
『親父』イコール『4代目風影』イコール強権者。
すごすごと退散する3姉弟。
やれやれ、これで喧嘩もないだろう、と思いつつも、冷蔵庫へ3本のメロンソーダを新しく入れる気配りの人バキ。

が。
その後、メロンソーダは一向に減らないまま。
「なぜ飲まないんだ」
子ども達に聞いても
「だって親父のじゃん、オレ親父じゃねえし」
「・・・親父のものなど、飲めるか」
「とうさんが飲めばいいんだ、親父なんて書いてあるのに飲めるわけないだろ」
異口同音の返事。

『親父』イコール『おっさん』でもあった。
しまった、思春期に差しかかりつつある子ども達の微妙な心理を読み間違えた、と思ったが後の祭り。
そして・・・迫る消費期限。

「俺はこんな甘ったるいものは好まないのはお前はよく知っているだろう。
どうして子ども達が手を付けなかったのだ?」
いつにもまして不機嫌な4代目風影の仏頂面の前に冷や汗でひたすら平身低頭のバキ。
「それは・・・」
言える訳がない。
テーブルを挟んだ二人の前にはキンキンに冷えた『みんなの』メロンソーダ。

「しょうがない、お前も飲め」
「はっ」

晩酌ならぬ晩ソーダで腹を膨らませる砂の『親父』たちであった。

 

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