こうもり


私はぷんぷんしながら家路についていた。
バイト先で生意気なガキ相手におもいっきり怒ったら、メインコーチにこっちが悪いみたいに逆に叱られた。
そりゃね、相手はお客様ですからね、でも、限度ってもんがあるじゃないのよ。
大人を完全になめやがって腹立つ!
ああ、もう、このムシムシした梅雨特有の湿っぽい天気もイライラに拍車をかけているんだわ!
コンビニでやけ買いしてやる!
「いらっしゃいませ〜」
ドアを開けたら別世界、ああ、涼しい。
ちょっとクールダウンしてこ。
ありゃ、漫画立ち読み、と思ったんだけど読みたいのに限ってビニールかけてあるわ、残念。
まあ店内をうろうろして涼んでからジュースとポテチでも買って帰ろうっと。

たいして用もないんだけど、ぐるっと一周して買うもの買って外へ出る。
ああ、じけじけしてるなあ、やっぱ‥‥
でもこの季節には紫陽花って言ういいものがあるしね。
このコンビニ出てすぐのとこにひそかに私が「紫陽花通り」と呼んでる道がある。
もう梅雨の頃は本当にうっとりするぐらいきれいなのよね〜、多分まだ花にはちょっと早いけど寄り道してこ。
案の定、まだそんなに色づいてないな‥‥
うおっ、でんでん虫!別名マイマイ、これってだれがつけた名前なのかな、なんか笑える。
絵でみたらかわいいんだけど、けっこうグロいよね、コイツ‥‥
言ってみりゃお家を背負ったナメクジだもん。

しゃがみこんでしげしげ見てたら、ひょいっと、かたつむりをつまむ指。
「何やってんだよ、顔がほとんど90度傾いてんじゃん」
おお、カンクロウくん、君か!
「なによ、ヒトが自然観察にいそしんでんのに」
「ああ、そうかい、ならもっとよく観察しろよ」
ぐいっと私の手を引っ張って腕に、の、のせやがったっ!
「ぎゃああああ、と、と、とってよ!!」
「ひゃはははは、苦手なのイモムシだけじゃねえのかよ、じっとみてるから好きなのかと思ったんじゃん」
デンデンムシをつまんで、もとのとこへ戻すカンクロウ。
今日は地味に黒いポロにジーンズにサンダルですか、忍び装束とにてるわね。
「なにじろじろ見てんだよ」
「ううん、カンクロウ先生のファッションを観察してただけよ。
今日のバイト、いや、任務はなにかなあ〜ってさ。
TPO重視派のカンクロウなら、察するとこ、肉体労働でしょ」
「当たらずとも遠からず、だな。
住宅展示会場の用心棒。」
それって‥‥モデルハウスの押し入れとかに隠れてて、いざってときにでてくるヒトよね。
小さい時見たことある、なんでこんなとこに人がいるのかなあ、って不思議だったわ。
‥‥つくづく、砂のバイト斡旋所って節操がないわね‥‥ホント、なんでもありじゃない。
「なに言ってるんだよ、どんな仕事にも適応できる優秀な人材があってこそじゃん」
ハイハイ、わかってますって。
お、珍しい、カンクロウがチャリンコ押してるよ。
「これ、どうしたの」
「ああ、会場ってかなり外れにあるじゃん、この暑いのに歩くのもかったるかったからな」
チャンス!
「ね、乗せてよ」
「は?」
「歩くのめんどいんでしょ、なら乗ってこうよ」
「‥‥誰がこぐんだよ」
「そりゃ、やっぱり所有者じゃないの」
、二人乗りしたら使うエネルギーは2倍じゃん?」
「いいじゃん、私のエネルギーは節約できるよ」
「お前なあ、やせるんじゃなかったのかよ」
「うるさいなあ、今スイミングで肉体労働して来たんだからいいじゃない」
「でも、ポテチ食って、コーラ飲んだら終わりじゃん」
ううう、痛いとこをつきやがる、手に持ってる袋の中身はまさにそれ。
「なんで何買ったかしってんのよ?」
「さっき、コンビニでぶつぶつ言いながら買い物してただろ」
「げ、アンタもいたの、なんで声かけてくんないのよ」
「一人でまたブツブツ言ってたし、なんか怒ってたみたいだったからな、お邪魔しちゃあ悪いと思ったんじゃん」
嘘つき!
「何怒ってたんだよ」
「え、ええっと、ちょっとバイト先でさ、ガキとけんかしたの」
「それだけかよ?」
「んで、そのことでメインコーチに叱られたの」
「そりゃお気の毒に、で、やけ食いか」
「いいの、成長期なんだからっ」
「んじゃ俺も」
あっ、こら、ポテチ返せ!
「まあ、まあ、ちょっとぐらいお裾分けしろよ、あとで乗せてやっからさ」
はなはだ怪しいセリフを吐きながら、あ〜あ、開けちゃった。
ま、いいか、一人で暗く食べるより、カンクロウと奪い合いながら(?)食べる方が楽しいし、って、しまった、コイツは食べるの早いんだ!
「もう、早すぎ!5枚もいっぺんにとらないでよ!」
コイツの手はでかいから、もうその点でハンデつきよ!
「枚数数える余裕があるなら急げよ、ホレ」
私の目の前でポテチつかんだ手をひらひらさせる。
「んもう〜!あ、その大きいの私の!」
「名前書いてないじゃん、だめ」
だれが書くのよ?!
「早過ぎよ〜、もっとゆっくり食べてよ!私食べるの遅いんだもん!」
「弱肉強食の世の中だぜ。
ま、いいや、これはおいといてやるよ」
恩着せがましく袋をこっちへよこすカンクロウ。
「んなこといって、あ〜、割れたちっこいのばっかじゃない!」
「どうせ腹にはいったら割れるじゃん」
「そういう問題じゃないっ!」
ああ、もう紫陽花鑑賞どころじゃないわ、カンクロウと二人言い合いしながら道を進んで行く。
「あ〜のど乾いた、これちょっとくれ」
え、缶ペット一本しかないもん、どうやって分けんのよ?
考えてる間にふた開けて、うわ、コーラを上から口めがけて流し込むか、普通?
「よ、よくむせないわね‥‥」
「ガキかよ、これくらいの炭酸でむせるのかよ、 は」
カチン
「やってやろうじゃないのよ!」
ふん、案外簡単なんじゃないの、やってやれないことはない‥‥
げほっ、か、からい〜っ!
「ぶははは、むせてやんの、やっぱガキじゃん」
「げほ、げほ、げほ、あ、あんたが変なのよ、普通むせるわよっ、げほっ」
「‥‥大丈夫かよ、あ〜あ、簡単に挑発にのるヤツだなあ、 は」
ちょっと心配そうな顔になって、背中をとんとんとたたいてくれてる。
「あ、あんたに、い、言われたくないわよ、げほっ」
嬉しいくせに憎まれ口聞いちゃう、意地っ張りな私。

「この暑いのにイチャイチャすんなよ、オニーチャンにオネーチャンよ」
誰よ、とげのある物言いね!
声のする方を振り返ると、やだ、よくコンビニの駐車場でたむろしてる原チャリboysじゃない‥‥
「あいつら、 の知り合いかよ」
「んなわけないでしょ!よく群れてバイクすっとばしてる子達よ。
いこ、かかわり合いにならない方がいいわよ」
知らん顔して通り過ぎようとする私の横でカンクロウの脚が止まる。
やな予感。
「自分らにマブだちいねえからって、ひがむなよな。
オトコノコばっかでお気の毒」
い、今の声、カ、カンクロウよね‥‥
「ば、ばかっ、何でスルーしないのよっ、ここらじゃ有名な悪ガキどもよ、何するかわかんないわよ!」
ぐいっとカンクロウの腕を引っ張って囁く。
「好きなように言われたまんまにしとけってのかよ」
あああ、挑発にのりやすいのはアンタじゃない!
「おい、生意気な野郎だな、アンタさ」
ほらほら、刺激するから!
「生意気ってのは年上が年下に言うセリフじゃん、ガキがかっこつけんなよ」
‥‥最悪の展開‥‥
ささっと目を走らせる。
一人、二人‥‥4人のインディアンボーイズならぬ、ゲンチャリ暴走族。
中学生なのは薄々しってるけど、体格ではもう高校生と変わんない。
でもって、こういう背伸びしたがる野郎にとっては『ガキ』というセリフはアキレス健そのもの。
もう見るからにカッカしてきてる。
「なんで挑発するようなこと言うのよ!
いくら相手が中坊で、原チャ程度しか乗ってないっていっても、むこうは4人よ?!」
「ふん、なめられてほっとけるか」
そういう問題じゃないっ!
「なめさせときゃいいじゃないのよ、アホにつきあってたら、こっちまでアホになるわよっ!」
横目でむこうの様子を伺いながらヒソヒソ声で耳打ちする。
「ふ〜ん、じゃあ今日 がプンプンしてた理由はどうなんだよ」
矛先を私に向けて来た。
「え?」
「お子様になめられて本気で怒ってたんだろ」
「う‥‥、で、でも、主原因はメインコーチに理不尽に怒られたからだもん!」
「へええええ〜〜〜〜」
くそっ‥‥って、こんなことで盛り上がってる場合じゃないよ。
あいつら険悪な雰囲気漂わせて原チャに乗り出したよ、ど、ど、どうすんのよ、ちょっと、カンクロウ!

「後ろ、乗れ!」
え?
「早く乗れって!」
「う、うん」
私がチャリの後ろに乗るや否や、カンクロウはすごいスピードで走り出した。
boys軍団がエンジンをスタートさせる音も聞こえて来た。
「しっかり掴まれよ!とばすからな!」
うわっ、本当にすごい加速!
照れくさいとか言ってらんない、カンクロウの腰に手を回して必死でしがみつく。
チャリ対原チャじゃ勝負は見えてるものの、さすが忍者というだけあってなかなか追いつかせない。
相手が通りにくいようなうねうねした狭い道をうまいこと選んで走る。
とはいっても、距離が開くはずもない‥‥うわ、だんだん間隔が縮まってきたよ!
おまけにどんどん人気のない方へ行ってるよ、いいのかな、
『こわいヒトに追いかけられたら、人の多い方へ逃げなさい』
という指導をいつも受けてきてた身としては……
「心配すんな、考えあってやってんだからな。
とにかく は落っこちんなよ」
振り向き様にカンクロウが、不謹慎にも楽しげにニヤっとしながら言う。
まあ、百戦錬磨のアンタが言うんなら、なんか考えあってのことなんでしょうよ、頼んだわよ、こんなとこでボーソーゾクの餌食になんかなりたかないもん!
回した腕に力が入る。
「そうそう、ここからもっと揺れるから、それぐらい必死こいて捕まっときな!」
言うが早いかさっとハンドルを切って、こともあろうに田んぼのあぜ道に入り込んだ。
こ、こんな細くて足場の悪いとこよくチャリで暴走するわ、見てらんない!
バイクの連中も戸惑ってるみたいで、追いかけてはくるものの、さっきまでのスピードはどこへやら、田んぼへ落っこちないようにほとんどおそるおそるのトロさ。
いきなりカンクロウが止まった。
「な、なんで止まるのよ!
今のうちに逃げようよ!」
ニヤニヤしてるカンクロウ。
「まあ、まあ。
それじゃ面白くねえじゃん。
せっかくこんなとこまで鬼ごっこしてきたんだから、もうちょい、遊んでやろうぜ」
そ、そういう場合なの?
「今日は一日ちっこいとこで座り込んでるだけだったからな、体がなまっちまった。
ちょっと軽い体操でもするか」
んなこといっても、今日は傀儡もないし、だいたい接近戦は苦手、なんでしょ?
「あるじゃん」
何が?
「傀儡のかわりになるものに決まってんじゃん」
出た!例のわけわかんない動き!
そして、その動きにあわせて田んぼの中からずずっと近寄って来たのは‥‥
案山子!?
ひえ〜、こんなもんが動くとけっこうホラーよね、つったってるだけならどうってことないけど‥‥
ちょうどその時、例のboys軍団どもがバイクのりすてて走って来た!
「一匹目!」
カンクロウが派手な動きをする。
ズザザザザッてな効果音をたてて、案山子が手に持ったほうきごと宙に浮かんでその「一匹目」クンを狙いに行く。
「ぎゃあああっ、なんだよ、これっ!」
一匹目君がほうきを食らって悲鳴をあげながらザブン、と水田におっこちる。
「にぃ匹目!」
ラジオ体操第二、みたいな動き‥‥
続いて後ろで固まってる少年に狙いが定められ、足下をほうきですくわれる。
みごとに頭から田んぼにつっこむ。
「三、四はご一緒じゃん!」
きびすを返して逃げようとしていた少年達の前を遮るように案山子が舞い降りる。
「うわああああああ!」反対を向いて走り出そうとしたら、案山子がもう一体。
‥‥なんて人の悪いやつなんだ、カンクロウってば‥‥
追い打ちかけて楽しんでるよ、コイツ‥‥
案山子にはさみうちをくらい度肝をぬかれた少年達は、田んぼに飛び降りると泥だらけになって、脚をもつれさせながら、なんとか原チャリのとこまでたどりつくと後ろも見ずに走り去った。

「あ〜あ、もう終わりかよ。
口ほどにもないじゃん」
当たり前よ‥‥なんかアイツらが気の毒な気がしてきちゃうわ、相手が悪すぎ。
「案山子を使うなんて、反則じゃない‥‥」
「何言ってるんだよ、傀儡なら血見るぜ。
それとも は、あいつらにいいようにボコボコにされたかったのかよ」
「ま、まさか‥‥。
ただ、カンクロウ、わざと誘ったんでしょ、アイツらを」
「まあ、な。
いいんじゃないの、夏も近いしホラーな目に遭うのも一興じゃん」
そうかねえ‥‥
ま、助かったんだし、よかったことにしますか。
「さ、かえるじゃん、乗んな」
「う、うん」

さっきは状況が状況だったから、しがみついたりしたんだけど、今度はちょっと‥‥////
「おい、ちゃんと掴まんねえと落ちるじゃん」
「わ、わかってるよ‥‥」
なんせ田んぼのあぜ道、細い上に凸凹してるときてる。
「おい、 、きいてんのかよっ」
「聞こえてるよっ」
「じゃあ、掴まれよ」
「だ、だってさ‥‥////」
「‥‥変に意識すんなよ、俺もやりにくいじゃんか‥‥////」
一旦気になっちゃうとどうしようもない。
二人してギクシャク、ギクシャクと自転車が進む。
薄暗くなって来てるから、余計に道も見にくくてかなり危なっかしい‥‥
ガタン!
え、うそっ、ぎゃあああっ
自転車が何かに引っかかって、ほとんど跳ね上がるみたいにしてバランスが崩れた!
バッシャーン!
あ〜あ‥‥人を呪わば穴二つ、だわ‥‥どろっどろよ。
カンクロウは、と見遣れば同じく泥もしたたるいいオトコ。
顔を見合わせて吹き出す。
「カンクロウ、すごいかっこうよ!」
「人のこと言えんのかよ、 、お前もたいがいじゃんよ!」
ゲラゲラ笑いあってたら、罵声が聞こえて来た、またアイツら?
「やっべ〜、きっとこの田んぼの持ち主じゃん、逃げるぞ!」
「こら〜っ、よくもワシの田んぼをむちゃくちゃにしおったなあ!
待てえ、待たんか!」
きゃああ、すごい形相のおっちゃんがこっちへ走ってくる!
「早く乗れよ!」
「うん!」
今度は照れてる場合じゃない。
さっきの少年よかずっといかついおっさん、理由も正当なもんだから迎え撃つ訳にもいかないし。
私が後ろに乗るが早いか、カンクロウがダッシュする。
ひゃあああ、やっぱ、この安定の悪い道を疾走するのは怖いよ!
思わずがしっとカンクロウにつかまる。
それを合図に彼も加速に拍車をかける。
おじさんの罵声を遠くに聞きながらあぜ道を一気に走り抜けて、一般道へ出た。

「あ〜、おっかなかった‥‥」
「何とか、逃げ仰せたって感じだな」
「でも、このまんま帰れないね‥‥どろどろだよ‥‥」
「まあな‥‥顔ぐらい、どこかで洗うじゃん」
スピードを落とした自転車でとろとろと街道を走る。
「ねえ、カンクロウ、道わかってんの」
「さあ、わかんねえけど、だいたいこっちの方向であってると思うぜ。
そのうち、どっかに出るじゃん」
まあ、いいけどね。
カンクロウのこぐ自転車に乗せてもらって、さっきの名残で私の腕はまだしっかり彼の腰にまわってる。
照れくさいけど、今離したら余計不自然でもっと恥ずかしいから、そのまんま。
どんどんうすぐらくなっていく道をカンクロウの広い背中にもたれかかりながら自転車に揺られてるってのも、かな〜りハッピー、じゃん////

勢いで思ったより遠くへ来てたみたいで、ようやく記憶にある小さな川とぶつかったころにはもう真っ暗。
「ちょっと、ここで顔ぐらい洗ってくか」
「うん。
ごめんね、疲れたでしょ‥‥ずっとこがせたから」
「これぐらいどうってことねえじゃん」
まあ、体力あるのはしってるけどさ、一応、ね。
自転車を一旦止めて、ガードレールを乗り越え河川敷へ降りる。
「こっちじゃん」
もうまっくらだから、手つないでもらって川っぷちへ。
川で顔洗うなんて、なんか、おっかしいの。
「なんだよ、原始的だってか。
‥‥任務のときは、これが一番てっとりばやいんだよ」
「そんなに汚れるの」
「‥‥任務内容にもよるけどな‥‥汚れたままじゃ困るんじゃん」
‥‥あ、傀儡が、って、こと?‥‥
‥‥さっきも、『傀儡なら血見るぜ』とか言ってたよね‥‥
私の目の前の、目つきはあんましよくないけど根は優しいカンクロウから、そんな姿は想像しにくいけど‥‥
でも抜け忍の話とか、以前もちらっとしてたっけ‥‥
「‥‥おっかねえか?」
顔を洗いながら、カンクロウが私の心の動きを見透かしたみたいに声をかける。
でも、私は目の前のカンクロウしか知らない訳で。
所詮、誰にだって秘密はある。
影の部分があるんだってはっきり言ってくれてるコイツはすごい正直で、それも‥‥嬉しい。
ばしゃばしゃっと水をはねかしながら顔を洗って、さっぱりした顔で元気よく返事する。
「ううん、全然!」
意外そうな顔をしたカンクロウだったけど、すぐいつもの表情に戻って、
「そっか、ならいい」
と短く言った。

顔を洗い終わってしばし、川の水音に耳を傾けていたその時。
ふわん
そんな音がぴったりするような光がすうっと、私たちの目の前を横切った。
「カンクロウ!」
声をひそめて、カンクロウのポロシャツの袖をひっぱる。
「なんだよ」
つられてカンクロウもひそひそ声で返事する。
「ホタルだよ、ほら!」
目が慣れてくるに従って、つぎつぎホタルが見えて来た。

ふわん
     ほわっ
ふわん

暗闇の中ぽうっと薄緑に光ってはすうっと闇に消える。
ここかと思えばまたあちら。
この世のものとも思えないような幻想的な眺めが広がる。
川のかなり上流に位置するこのあたりには人も来ない。
カンクロウと私の二人だけでこの夢のような景色を独り占め。
「きれいだね‥‥」
「ホントじゃん‥‥なんか、夢の世界にいるみたいだな‥‥」
写真、とれるかな。
ごそごそやりだした私の手を、カンクロウがおさえて言った。
「やめとけ。
頭ん中に残した方が、この眺めにはふさわしいじゃん」
‥‥本当だ‥‥。
私と、カンクロウの二人の記憶の中にだけ残るんだね‥‥。

ふわん
     ほわっ
ふわん

家についたのは9時過ぎ。
ラッキーなことに決算とか何とか言ってた親はまだ帰宅してなかった。
どろだらけでこんな時間に帰って来たら、何言われるかわかったもんじゃないわ。
「今日はありがと」
ホタルのことも、二人乗りのことも、ね。
「偶然だけどな、まあ、謝辞は受け取っとくじゃん」
エラソーに、あいかわらずねえ、ま、こうじゃなきゃカンクロウじゃないけどさ。
「つぎは私が乗せてあげるわ。
あぜ道はちょっと無理だけどね」
「ほ〜、そうかい、楽しみにしてるぜ。
んじゃな!」
「ま、待って!」
けげんそうに立ち止まるカンクロウ。
私ったらどうするつもりで引き止めたのか。
ただ、こんな素敵な時間の後でなんかそのまますっと別れたくなくて。
「なんだよ」
「え、え、え〜と、‥‥握手!」
さっと手を差し出す。
「はあ?」
「いや、だからさ、またヨロシクってことで」
ああ、もう、支離滅裂‥‥
でも、カンクロウには私の気持ちがすこ〜し伝わったみたい。
ニッとすると、私の手がぐっと握られたから。
「おう、んじゃ、 ちゃん、これからもヨロシクな」
ぶんぶんっ、と力強く手がふられた。
「じゃな」
いつものように、じゃない、今回はチャリンコなんだ。
カンクロウはさっとサドルにまたがると
「ブーン、ブン、ブン、ブン」
とふざけてエンジン音をまねた。
そして
「またな」
と一声残すとさあっと飛び出していった。

あ〜あ、行っちゃった。
少し寂しくなって空を見上げる。
あ、三日月だあ。
星は見えないけど、お月様は出てんのね。
ひとりで寂しくないですかあ。
と、その光をふっ、ふっと横切るもの達。
‥‥コウモリじゃない。
三日月とコウモリ、か。
なかなかいいコンビかもね、ふふふふ。
なんだかちょっと嬉しくなって、真っ暗な家に「ただいま〜っ」と大声出して入って行った。


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蛇足的後書:ホタルものを書く、と決めた以上なんとか季節に合うようにしました。
本当はこの前に一つ話がはいってるんですか、桜がらみなんで全然話が進まない‥‥
あんまり計画的に書けないんです、ピンと来たら勢いでやっつける、季節があってれば勝手に盛り上がるんで筆が進む、ってかんじで。
住宅展示会場、自転車二人のり、と知り合いの方からいただいたインスピレーション&エピソードはしっかりいれさせていただきました(笑)
いいエピソードあったらご教示下さいませ!