仮面

レンゲ畑は果てしなく続く夢の空間。
無尽蔵の花畑、つんでつんで、花輪をつくっておままごとして、あげくのはてはシャワーまでして、それでもつきることのなかった私たちのための花園。
春浅い1ヶ月ほどは田んぼは子供の楽園だった。
レンゲの花しかない世界は、想像の中でどんな遊園地よりもすごい遊技場になった。
何もかも忘れて遊びほうける事のできたあの日。
今じゃレンゲも珍しいし、そんなとこにはたいてい立ち入り禁止の札がさされてて敷居の高いこと。
だから住宅街の片隅に、こんなレンゲ畑が出現して本当にびっくりしたんだ。
春の優しいゆっくりとした夕暮れ空の下、地面にも同じ茜色がじゅうたんのように広がっていた。

二度驚いたのはそこにいた人物のせい。
これが怪しくなかったら一体誰が怪しいのってくらいのお姿。
オレンジの仮面に黒尽くめの衣装。
そのくせかけ声だけはなんだかユーモラスに「えっほ」「えっほ」とかいいながら
なにやら懐かしい鋤なんつ〜農具を振り回してる。
春の薄暮に浮かび上がる現実感のないその光景につい足をとめて見入ってしまった。

と。
その怪しさマックスな黒装束のオレンジ仮面がひょい、とこっちを見た。
見たように思った、と言った方がいいのかも。
だって、目の穴らしきものも手抜きなのかなんなのか一つしかない。
不気味っちゃ不気味なんだけど、それよりこっけいといったほうがいい雰囲気。
つい仮面ライダーの悪役だって目は二つあるわよ、とかつっこみたくなっちゃう。
で、この仮面の男は相変わらずこっちを見て動きを止めたまま。

「こ‥‥んにちは」
バカじゃない、あたし、と思いつつ、社会人たる良識が出しゃばって頭を下げてしまった。
「あ、ども」
むこうもペコリ。
あら‥‥いい人。
「き‥‥きれいなレンゲ畑ですねえ」
なんかいわなくちゃ、とついまぬけなセリフを吐いてしまった。
でもそのオレンジ君はそれをシカトすることもなく、ちゃんと返事が返ってくる。
「そ〜すね〜、でもこれを今晩中に掘り起こして整地しなきゃなんない俺的にはあんまり景色をめでてる余裕はないんすけどね」
いいながら、どうもなまける口実を探してたみたいで、彼は鋤にもたれかかって一休み。
いつから始めたんだろ、ほとんどすすんでないんだけど‥‥
「あの〜、ここ、ずっと前からこんな畑だったんですか?」
いつも通勤で通ってるのに、まるで気がつかなかった私は好奇心から聞いてみる。
「気がつかなかったんでしょ。
まあけっこう隠れた場所にあるからね。
結界も張ってあるし」
「は?」
「あ、これは忘れて下さい」
余計なことを言った、と言わんばかりに仮面の前で手をふるオレンジマン。
けっかい?まんがの読み過ぎじゃないの?
‥‥本職は何してるんだろ、この人。
仕事ぶりもあまり慣れてるとは言いがたいし、農家って感じじゃないし。
と、私の心の中を見透かしたみたいに声が返って来た。
「オレの本職は鳶職っすよ、見て分んない?」
うそだ〜。
「ご冗談を、鳶職の人ってそんなお面つけてないでしょ?」
「ああ、これね。
これはさ、ほら、制服でもスカート丈つめたり、ズボンだって細くしたり太くしたりずらしたりしてちょっとしたオリジナリティを出そうとするじゃないっすか。
アレと同じっすよ」
こんな非日常的な空間で非現実的な方とわけわかんないお話してるうちに、私の口も段々軽くなってきたみたい。
「ちょっとしたってレベルじゃないと思うけど‥‥ほとんどサーカスじゃない?」
うわ、失礼〜っ!
「言いたいこと言いますねえ、まあ何言われても別になれてますからいいんすけどね」
あっさり。
よかった、逆ギレとかされたらどうしようとか思ったよ。
そんなこと思いつつ、表情の読めない相手との会話のスリルを楽しんでる私。
「あの、でも、鳶職って大工さんの手伝いみたいな仕事じゃなかたっけ?
今あなたがしてるのはどう考えても野良仕事って奴?」
つい図に乗って言ってしまう。
でも、多分‥‥きっと、怒んないよ?
‥‥なんだかこの人、初対面って感じしない。
外観は超ヘンだけど、ヘンすぎてこっちがガード張る気なくしちゃうわ。
「ははは、ばれちゃったか。
まあ、いいじゃないすか、肉体労働してるコトには変わりないんだから」
「そうね‥‥でも、どうして今時『鋤』なの?
普通機械つかってない?」
「ここの畑の持ち主が有機農業にはまっててね、農薬も機械も使わない主義なんすよ。
自分は働かないってものその主義にはいるらしくて、まあそのお陰でこうやって臨時の小遣い稼ぎができるんすけどね」
ふ〜ん‥‥

仕事を再開してバッタみたいにちょこまか、ちょこまかうごきまわる自称鳶職君。
あつっくるしい格好してるわりに身軽なもんね。
それにしても‥‥
「ねえ、なんでそんなはしっこから片付けてくの?」
「だっておねえさんはレンゲにみとれてここに来たんでしょ?
一気に片付けたらかわいそうじゃないすか、花にもあんたにも」
あら〜、仕事のじゃましちゃってるのか。
「すいません‥‥」
でも、立ち去りがたい。
なんだか今ここを離れたらもう二度とこの光景を見れない気がして。
「いいっすよ、別に、見たいだけ見ていけば。
俺も、な〜んか自分に見とれてもらえてるみたいでやりがいが出るってもんすよ」
ぶっ、激しくおかしい、この人!

「鳶職君って面白い」
「それをいうなら『トビ君』でお願いします」
「はあ、じゃあトビ君、ユニークですね、あなた」
「本人はいたって真面目なんすけどねぇ〜、どうしてこう笑われキャラなんすかねえ」
「あら、癒し系じゃないの」
「お、いいこと言ってくれますねえ、お姉さん!お名前は?」
「ふふふ、 よ」
さんすか、実にいい名前だなあ〜」
「調子いいんだから」
「俺から調子いいとことったら何にも残んないからね」
自虐的なこの台詞も彼が言うと全然シリアスにも嫌みにも聞こえない。
実にナチュラル。
いいなあ、会社で利益という名前のモンスター相手に戦って神経すりへらす日常にいると、こういう素でいられる相手って実に貴重。
仲良しみたいな同僚でも、子供時代の友達とはやっぱり違う。
全部みせちゃうことなんか、できっこない。
‥‥学校と違って会社ってそういうトコだってのは百も承知なんだけどね。
皆、どっか相手を警戒してる気がする‥‥
今日は特に、仕事に厳しい先輩に怒られた後だから余計にそんなこと思っちゃう。

トビが遠巻きに見てる私の方を見て、声をかけてきた。
さん、そんなとこで見てないで、入って来たらどうですか?」
「え、いいの?」
「どうせ耕しちゃうんだから」
そっか。
「じゃあ、遠慮なく‥‥」
あら〜、レンゲってこんなに小さな花だったっけ、って、あたしがでかくなっちゃったのか。
しゃがんで子供の目線に返ってみる。
とたんに私の周りは花だけになる。
なつかしい感覚。
「遊べば?」
「え?」
「ほら、よく女の子は花冠作ったりするじゃないすか。
今なら取りホーダイだからね、こんなチャンスないっすよ?!」
確かに。
そそのかされるままにレンゲを摘み出す。
最初はおずおずと手を伸ばす、作り方を覚えてるか自信なくって。
でもどんどん長くなる花のネックレスが、確かにレンゲ畑で過ごした日々があったと物語る。
「うまいもんっすねえ〜」
いつの間にか隣で私の手をみてるトビ。
「トビくんもやったら?簡単よ?」
「簡単‥‥っすかね」
「ほら、こうやってさ、次々足して行くの」
「ふ〜ん、どれ」
しかし、トビは不器用なのか、レンゲでなんか遊んだ事無かったのか、どっちなのかわかんないけど
とにかくポロポロ花を取り落とすばかりで一向に鎖になっていかない。
「そうじゃなくてさ‥‥」
手を持って教えてあげるものの、なんともおぼつかない。

教えながら、思ったより大きな手に改めて、ああ、この人そういえば今日初めて会った成人男性だったっけ、なんて。
仮面つけてると誰にでも思えて、なんか幼なじみみたいな気がしちゃってたから。
「トビくん、やっぱ鳶職向きじゃないよ、あれって器用じゃないとだめなんでしょ」
自分の中でトビへの思いがちょっと親しい方へ傾いた事にわけもなく焦って話題を変える。
「キッツ〜、ははは、でもあたってるかもね〜。
まあ俺は失業はしてないから心配しなくても大丈夫っすよ」
「ふ〜ん、あまり器用さは要求されない仕事とか?営業?」
「まあね、でも、やるときゃやりますから心配ご無用」
ホントかね。
「はい、あげるね、レンゲのお礼」
トビの頭に問答無用で花冠をかぶせる。
オレンジの仮面にレンゲの冠、どう見てもミスマッチだけど、懐かしい遊びに招待してくれたことに少しでも感謝の念を表したくて。
「おお、感動!
ほら、似合います〜?」
さっと立ち上がってファッションショーのようにくるりとまわってみせる。
「うふふ、全然!でも素敵よ」
「超矛盾した褒め方っすねえ〜、まあいいや、ありがとうございます」
「でも昔さ〜、花冠かぶった子が鬼ごっこの鬼したりもしたのよね〜」
「な〜んだ、ちぇ〜、ま、いいっすよ、なんでももらえるならね」
わっかを頭に乗せたまま、彼は中断している仕事を開始する。
私は場所を移動しながら花を摘み続ける。
あたたかな春の風がきもちよく花を揺らしてゆく。

ずっとしゃがんでたら足が痺れて来て、立ち上がって伸びをする。
あいかわらず端っこで「えっほ、えっほ」と掘り返す作業に取り組んでるトビ。
なんだか彼のやってる仕事も結構面白そうに見えて来た。
‥‥人の仕事ってそういうもんよね。
今時人力でこういう作業してるのも珍しいし。

さんもやってみます?」
突然思考が遮られる。
「へ?何を?」
「何って俺がやってる作業っすよ」
「じょ、冗談でしょ、やった事無いわよ、そんな仕事」
「俺だってなかったすよ、でも誰だって最初は素人でしょ。
はい、どうぞ」
いつの間にやら私の手にも鋤が。
「‥‥」
「ほら、そんなシケた顔してないでさ、やってみたら結構おもしろいもんすよ」
‥‥アンタがいうのかい、トビ男クン、さっきさぼってたじゃない。
「ほら、こうやるといいみたいっすよ」
実際に鋤をもってえっほ、えっほ、とさっきの妙なかけ声をかけながら体を動かすトビ氏。
ま、やってみっか。
今日は会社帰りとはいえ、ジーンズにスニーカーだから。
「よいしょ」
持ち上げて振り下ろす。
あらら、結構難しいのね、見てたら簡単そうだったのに?
「ほら、声かけた方がやりやすいんすよ、ご一緒にどうぞ」
う〜‥‥その、えっほ、えっほ、ですかあ‥‥だっさいなあ‥‥
「えっほ、えっほ」
「え‥‥っほ‥‥」
「ホラホラ、もっとリズムよくさ〜、えっほ、えっほ」
「え‥‥っほ、えっほ‥‥」
あれ、不思議なもんで、確かにかけ声と一緒に鋤を動かすとなんかリズミカルにいきますねえ。
「はい。えっほ、えっほ!」
「えっほ、えっほ」
「まだまだ、、もっと大声で!えっほ、えっほ!」
ヤケクソよ、もう。
「えっほ、えっほ!」

だんだん汗ばんでくる体。
運動不足が祟って、鋤をもちあげる腕が痛くなってくる。
でもいっしょにぴょんぴょんやってるトビ氏はあいかわらず同じ調子で身軽に動いて黒い土を掘り起こして行く。
なんか私もムキになって来て、「えっほ、えっほ!」と声を張り上げ、彼の後ろを負けじと引っ付いてまわる。
だんだん頭が空っぽになってきた。
体を動かすとドーパミンだったか、アドレナリンだったか、そんなのが分泌されてきて高揚感に浸れるとかなんとかどっかで読んだけど、ホントそんな感じ。
会社で全く使わないままのホコリかぶった自分を引っ張り出せたみたいで、妙に嬉しくなってくる。
掘り起こす真っ黒な土と対照的な濃いピンク色のレンゲ達が夕風に揺れている。
暮れなずんで来た空も東の宵闇と西の茜色が同じような対比を見せる。
一瞬自分が子供時代に返って帰宅前の短い時間を惜しんで、レンゲ畑を息を弾ませながら誰かと駆け回っているような、そんな錯覚に陥った。

「アララ、すっかり暗くなっちゃいましたね、もう さんはいいっすよ?」
トビの声に我に返る。
畑の方も、半分はなんとか掘り返せてる。
「へえ〜、あたしも捨てたもんじゃないわね」
「初トライにしちゃいいんじゃないすかね。
次も手伝って下さいよ〜、田植えとか雑草取りとか大変なんだから〜。
水田を中腰でさ、たまんないっすよ」
「ふふふ、考えとく」
「あ、なんならここの地主さんに紹介しましょうか」
「え、なんで」
「息子がいるみたいだからさ」
「‥‥それとこれとどうゆう関係が‥‥」
「もちろん嫁さんですよ」
「‥‥トビ、アンタね‥‥」
「あ、 さん、もう誰かといい仲なんだ、すいませんねえ〜」
「‥‥いないわよ」
「否定するとこが怪しいな〜」
別に誰かとつきあってるってわけじゃない、実際。
でも、なんていうか、トビにいきなりそんな風に言われると、あたしは100%彼の眼中にない、ってはっきり言われてるみたいで‥‥不愉快。
‥‥こんな初対面の、しかも素性どころか素顔もわかんないヘンテコリンな男に興味なんかない、モチロン、断じて!
だけど、だけどさ‥‥今の今まで一緒に子供に返ってレンゲ畑を走り回ってたのはトビだったのに。

「‥‥帰ります」
「お疲れさんっす!!」
あっさり言われてさらに拍子抜け。
そうよね、どうせ通りすがりのオネーチャンだもんね。
また仕事を開始したトビをちょっと恨めしく眺めてから歩き出す。
うつむき加減で意気消沈。
なによ、トビのバカタレめ!
さっきより気分が落ち込んだわよ‥‥
せっかく、レンゲ畑でつかまえて、じゃないけど、元気をチャージできたと思ったのに。

どんっ
しまった、下むいてたから、すれ違い様に誰かと肩をぶつけてしまった。
「ご、ごめんなさい!」
「こちらこそ‥‥あら〜、 サンじゃないの」
げっ、例の今日怒られた先輩だ!
苦手なのに、この人‥‥
「すっ、すいません‥‥」
「あれ、なあに、レンゲの花輪?なっつかしいもの持ってるのね?!
今時そんなレンゲなんてあるの?」
え?
きょどってると頭の上を指差す。
あれっ、あたしトビの頭には載っけたけど、自分には載せたりした覚えないよ‥‥
「ふふふ、そんなびっくりしないでよ。
今日はごめんなさいね、でも期待してるからこそ怒るのよ?!
また明日から頑張りましょうね」
びっくりした。
この先輩の笑顔なんて初めて見たかもしれない‥‥レンゲの効用‥‥?
「は、はいっ」
「じゃあね〜」

すたすたと立ち去って行く先輩を見送りながら呆然と立ち尽くす私。
‥‥共通する子供時代の記憶のなせる技。
社会に出るとみんな知らない間に身につけている仮面。
それがぽろりとはずれて素顔が覗いたのだ。

仮面なしでは戦えない、社会はそんなに甘くない。
いや、社会だけじゃない、学校でだって、どこでだって。
人生と言うべきか。
でも、仮面つけてる事を忘れてもいけないんだ。
皆、素顔のある人間、血の通った人。
だから一緒にいられるんだ。

頭に手をやる。
確かに載ってる、レンゲの冠。
トビの仕業?
もう日はすっかり落ちてしまって、あたりは薄暗くなりつつあったけど、どうしてももう一度、彼とあいたいと思った。
くるっ
今来た道を逆戻り。
だんだん小走りになる。
見つかるだろうか?
見つからないんじゃないだろうか?
不安は的中した。
確かにたどった道を戻ったのに、あの畑はどこにもない。
そんなはずはないと、その辺一体をぐるぐるまわって、あのレンゲ畑の出現したあたりをくまなく探した。
なのに、ない‥‥。

そうこうしてるうちに、すっかり暗くなってしまった。
いくら通い慣れてる道とはいえ、こう暗くなってしまってからじゃ、明るいときでさえみつからない目標物なんか探せっこない。
走り回る間に落っことしそうで手に持ってた花輪をしげしげと今一度眺める。
確かに、あたしが作ったのだ‥‥
いつの間に私にかぶせたんだろ、トビの奴。
‥‥どこ行っちゃったのよ?
せっかく大事なこと、アンタのおかげで思い出せたのに。
なによ、人にあげたはずの冠かぶせて、鬼にでもしたつもりなの?

「オニサン、コチラ、テノナルホウヘ」
はっ
聞き覚えのある声にうつむいてた顔を上げる。
「トビ!」
どこから声がしてるのかわからない。
「鬼は さんすよ、冠返したからね」
「トビ!」

目の前の角にふわっと黒い影が消えた。
大慌てで追っかける。
角をまがったら‥‥行き止まりだった。
「トビ!」
返事はなかった。

‥‥いいわよ、鬼ね、受けて立つわよ!
「次は田植え?それとも草取り?
フン、ちゃ〜んとその頃には見つけるから!」
私は壁に向かって捨て台詞を吐き、見えないトビに見せつけるように冠をかぶり直した。
「仮面ひっぺがしてやるから覚えてなさいよね〜、鬼ごっこ、強かったんだから!」
「お〜恐!」
そんな声がどこかで聞こえた気がした。

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蛇足的後書:トビって味わい深いキャラで好きですねえ。
基本的にバカになれる人って大好きなんで(え、バカじゃないかって?それは‥‥汗)
続く、かも知れません(笑)。彼がカエルと田植えする姿や水鳥に混じって虫取りする姿もツボだから。
レンゲ畑は実際この春に発見してびっくりしました、すごく嬉しくて形に残したかったんです。
なせトビ、と言われると‥‥やっぱ、春に似合うボケキャラが良いのかも(苦笑)。