Help me to breathe
〜前編〜
ちくたくちくたく……
ちくたくちくたく……
ちくたくちくたく……
時計の秒針が灰色の空にうるさく響いていた。
どこからか湿った洗濯物のような匂いがして、また雨の降る気配を伝える。
通りすがりの猫も、自らの前足にじゃれ付くように顔を洗っていた。
(今日も雨? やんなるわね)
ウザいし、と吐き捨てるように言ったのはである。
彼女は中忍。花も恥らう16歳。
現在、垂れ込めた雲の下、任務を終え、少々憂鬱な気持ちで帰宅する途中である。その足取りは、やる気の見られない歩き方であるにも関わらず速かった。しかし、やはり不機嫌な空気が滲み出している。
どうやら彼女は、じめじめした日が好きではないようだった。
そして、彼女の今日の任務というのがアカデミーのお守のようなものだった事が、余計に彼女の機嫌を悪化させていた。
がちゃ
バタンッ
向こうには誰もいないドアを開け、そして閉めた。
乱暴に靴を脱ぐとそのまま脱衣所へ向かう。これまた乱暴に服を脱ぎ捨ててお風呂場へ直行だ。
シャァーとシャワーの音がして、20分後。
彼女が濡れた髪をわしわしと拭きながらTシャツ一枚というリラックスしすぎた格好で出てくる。まあ、そんな格好でもここでは問題ない。なぜなら、彼女は一人暮らしであり、さらに、忍者であるため泥棒さんだの痴漢さんだのは相当の使い手でもない限り返り討ちに出来るからだ。
そんなは、ぼすっと勢いよくソファに腰を埋めた。
「まったく…鬱陶しいったらありゃしない」
そう言ってまだ雫の滴る長い髪を掻き上げる。飛び散った雫がいくつかソファに染みを作ったが彼女はそんな事には頓着していない様子であった。
の部屋は女にしては殺風景で、必要最低限の日用品しか置いていない。
そう言うと、ずぼらそうに聞こえるかもしれないが、彼女がずぼらでない事を部屋の綺麗さが証明している。
彼女は意外にも家庭的な性格らしく、部屋に散らかったものもなく実に整理整頓が行き届いている。
料理も得意なようで台所も使い勝手がいいように工夫されていた。
ヴン……
手持ち無沙汰のは、いかにも面倒くさそうにテレビのリモコンを手に取った。最近このリモコンの感度が悪く彼女を苛つかせる。
何度かようやっと映像が中心から湧き上がるように表示されてきた。
老人が重い腰を上げるようにして、ようやく映し出した映像は、何かのドラマらしく男女が 室内で言い合っていた。女のほうがヒステリーを起してキンキン声で何やら叫んでいる。男は困惑した様子を見せつつも、かなり偉そうに言い訳をしていた。
(……アイツだったら、どうするかな)
は、テレビの中のような状況――つまり自分がヒステリーを起しているような状況で、彼がどう対処するのかを想像してみた。
まず、彼ならば、自分がガーッと言い終わるまで口を挟む隙もなく黙っているだろう。その時、もし彼に非がなければ、その後彼も言い返すだろうし、もし非があれば……。
「くくっ」
彼女は自身の想像に、思わず笑ってしまった。
もし非があれば、彼はかなり動揺しつつ、なんとか自分との仲が壊れないようにするはずだ。しかし、口ベタでやたらと矜持だけはある彼だから、素直に謝れずにそっぽを向いてむすっとしていそうなのだ。
その姿を想像するだけで、彼女の笑いのツボが刺激された。
(あたしが、その可愛さに折れそうだわ)
きっとそんなものである。
……と言うより、彼と彼女。
すなわち、サスケとにそんなドラマのような事態は起こりそうもなかったが。
ふとテレビに視線を戻すとスタッフロールが流れている。
あの展開でここまで早く結末を迎える事はないだろうから、このドラマはどうやら連続ドラマだったようだ。そういえば、友人が最近流行のドラマだから見てみろと言っていたような気がする。
どう見ても、少なくともが見た先程の部分からは、昼メロ以外の何者でもないはずだが、どういうわけかこのドラマは夜に枠を持っているから不思議だ。
とりあえず、彼女は流行の一端に触れたらしい事を認識しながら、背もたれに深く己を沈ませた。
背筋が伸びて心地よい。マッサージチェアがあればもっと良いのだが。
『明日の天気は――』
ほんの数分の間の番組にサンドイッチにされた天気予報。
ぺらぺらとよくしゃべる声が聞こえる。
『木の葉の里、明日は快晴です。絶好の洗濯日和となるでしょう』
がばっ
と音を立てては起き上がった。
『快晴です』と言い切った天気予報の豪胆さに驚いて起きたわけではない。
後半の『絶好の洗濯日和』という部分に反応して起きたのである。
(ここ最近、雨ばっかだったし…洗濯物溜まってんのよね
そうだっ!!)
やおら立ち上がって、は洗濯機のほうへと移動した。
子供は寝ている時間に、の家からはがらんごろんと洗濯機の音がしばらく響いていた。
***
「サ・ス・ケ〜〜〜っ!!」
早朝のうちは家に若々しい乙女の声が響き渡った。
早朝も早朝。
午前6時である。
子供は寝ている者が殆どではないだろうか。
ぴぽぴんぽ〜ん♪とが押すと陽気になるチャイムの音が、霧立ちのぼる朝に鳴り響く。
の目の前には大きなお邸。
面倒なので門は飛び越えて来たのが彼女の忍者らしいところであり、今チャイムを押しているのが彼女なりの最低限の礼儀であった。
もっとも、彼らは御大層な礼儀をわきまえねばならぬほどの水くさい仲ではなかったが、「親しき仲にも礼儀あり」なのである。
ついでに言えば、早朝訪問は礼儀にかなっているとは、言い難い事に彼女は気付いていない。
「サスケ〜〜! ちょっと、彼女のあたしが来てるのよ? いつまで待たせる気? 出てきなさいってば〜!」
ちなみに待ったのはせいぜい20秒がいいとこであるが、彼女にとっては「いつまで」という表現に当て嵌まる時間のようであった。
そんなに長い気の持ち合わせはない。
勝手に入るわよ、の一言でずかずかとサスケ邸に上がりこんだ。
入ってみれば、自分の足音以外は聞こえないくらいにシンと静まり返っている。
もう夏も近いとはいえ、早朝のこの時間帯はそこそこ寒い。
しかも、邸の中は、節電よろしく薄暗い。サスケの一人暮らしなので当然と言えば当然なのだが。
(アイツ、召使も週一なのよね)
週一回掃除に来てもらうと聞いたことがあるが、この馬鹿でかい邸なら仕方のない事であろう。
(そんなサスケのために、心優しいさんが、一肌脱いであげるのよ)
ふふふと怪しい笑みを浮かべて、は、サスケがいるであろう――つまりサスケの寝室である二階に足を踏み入れた。
勝手知ったる他人の家。
忍者特有の歩みで、抜き足差し足忍び足。
必要以上に音を消して、はサスケの部屋に向かう。
足音も気配も消してしまうのは、もはや習慣と言えた。
るんたった るんたった
るんたった るんたった
彼女は足音こそさせていないが、そんな雰囲気をばら撒いていた。サスケの部屋の方向を器用に除いて「るんたった」を撒き散らしていることから、彼女の実力がうかがえる。尤も、こんなところで実力を発揮しても、大した役には立たないのだが、彼女の欲求――もとい小さな企み……いやいや、乙女のちょっとした悪戯は、この実力を以て達成すべき任務なのである。
るんた るんた るんたった
彼女が飛ばす音符が止まった。
の足は、サスケの部屋の扉の前にある。
(さぁて、どうしようか?)
腕組して思案するフリはしていても、その口元にはニヤリという形容が相応しい笑みが貼り付いている。
かちゃり……
とも音をさせずに、部屋へと侵入する。
廊下とのちょっとした気温差も、実は初めて入ったサスケの部屋に目を奪われて気にならなかった。
自分の部屋よりさらに殺風景な部屋を見せ付けられて、驚くどころか納得したは、そのまま歩を進める。
一歩…二歩…三歩…
サスケの髪がカーテンの隙間から差し込む淡い朝日にきらきらと輝いている。
もう一歩…もう二歩…
ここまで来ると、サスケの顔をはっきりと拝む事ができた。
サスケが僅かに身動ぎをする度に、さらりと頬を流れる黒髪。
少しだけ寄せられた眉根。
(………かわいいじゃないの)
鋭い印象を与える目を瞼が覆い隠した事で、彼の表情は和らいで見えた。
しかも、無防備に寝ている様などは――
(襲っていい?)
……ついつい煩悩を発揮しそうである。
「………ん…うん…」
妙に艶めいた声を発しながら、サスケがこちら側へと寝返りを打つ。
その拍子にはらりと毛布が肩を滑って、ほどよく鍛えられた二の腕が顕になった。
じーーーーーーーーっ
、サスケを観察中。
はっきり言って、サスケのこんな姿は滅多に見られるものではない。とくと拝見すべしという結論に至ったのである。
その目をサスケに固定したまま、大胆にもベッドの脇に腰掛けた。
無論、ギシなどという無粋な音を立てぬよう注意は怠らない。
観賞する事、しばし。
(…………はっ! さすがにずっと見てるわけにはいかないわよね。
あ〜でも、勿体ないわ。カメラ持ってくるんだった)
木の葉におけるカメラの存在は、ナルトの忍者登録写真やカカシのベッド傍にある写真で証明済みであるので問題ない。使い捨てカメラ(通称:バ○チョンカメラ)が存在するかどうかはいささか疑問ではあるが。
そんな事はともかく、は、カメラ不所持を後悔しつつも、サスケへと手を伸ばした。
伸ばした指の先がほんの少し、サスケの頬に触れる。
ちょん、とつついてみると、曖昧な寝言を残すのみで起きる気配はない。
それに味を占めたは、調子に乗って、サスケの頬を撫でてみた。
さらりと滑らかな触り心地である事を、自らの手が伝えてくれる。
(女のあたしより、滑らかってどーよ?)
確かに眠っているサスケは中性的な魅力すら持っているので、がこれからしようとしている事を思いついたとしても誰も責められはしまい。
すなわち――
ごそごそ……
などという音はしないが、懐から取り出した薄っぺらい布。
一体何に使用するのか。
そんな問いに対し、は行動で解答を示し始めた。
まず、彼女は、サスケに絡み付いている毛布を勢いよく引っぺがした。
この時、サスケにいかに衝撃を与えないように、かつ素早く剥き取るかがポイントである。優秀な彼女は、己の才能をここでも遺憾なく発揮し、無事に毛布を毟り取る事に成功した。
毛布をサスケの足元のほうへと追いやれば、あどけなく眠るサスケの全貌が明かされる。
寝巻き代わりに使っているらしいタンクトップが捲れ上がって、ちらりと腹が見えるのがまた可愛らしい。
下に穿いているのはいつもの半ズボンで、毛布なしにそれでは少々寒いのか、サスケは再び微妙な寝言を発すると、猫のように丸まった。
(……これは本当にカメラを持って来るべきだったわ)
そんな後悔を背負いながら、は先程の薄い布をベッドの脇に置き、おもむろに、サスケのタンクトップに手を掛けた。
そのタンクトップはの手によって腹チラどころか、胸まで捲られて――
と言うより、脱がされている。
眠っている間に脱がすという非人道的行為をしているにもかかわらず、は上機嫌で作業を続けている。
もし、静かにする必要がなければ、彼女は鼻歌でもアカペラでも歌っていた事であろう。
そして、の絶妙な手腕によって、サスケを起す事なく、彼の上半身をすべて顕にすることに成功した。
さてさて、次はズボンであるが……。
彼は丸くなっているため、このまま脱がせば膝に突っかかってしまうより前に腰あたりの重みの反動で彼が起きてしまうだろう。
(ん〜、どうするかな?)
この行為を諦めるという答えは最初から存在していないようだ。
はしばし、腕を組んでいたが、まあいいかという表情で作業を再開した。
彼女が取った手段。
それは至極単純なもの。
「せーのっ!」
ていっ!
力技。
そのまま引っ張って脱がす。
これではどう考えてもサスケを起してしまうだろうが、よくよく考えてみれば、彼女はパンツまで脱がす気はさすがにないので、それでも良い、という結論に達したのであった。
そして、大方の予想通り――
「〜〜〜〜〜〜なっ!!?」
サスケ起床。
彼は、状況を把握していないらしく、視線をきょろきょろと彷徨わせている。
そして、すぐそばにを見つけてしまった事で余計に混乱してしまったらしく、ずざっとベッドの端まで後退した。
「サスケ、おはよー」
平然と、さも当然であるかのように朝の挨拶をするに、サスケの混乱はさらに深まった。
(ど、どういうことだ? なんでコイツがここにいるんだよ?
ここは、オレの部屋だよな? だったら――)
そこで彼の思考は一時停止した。
自らの視界に違和感を感じたのである。
決定打を与えたのは、壁に当る背中から与えられる感触だった。
冷たい。
布越しではない感覚を彼の体は伝えてくる。
サスケが自らを手探りしながら見下ろせば……。
「っ!!!?」
状況把握。
そこで、サスケは寝ぼけた思考を覚醒させ、起きた瞬間を思い出してみる。
自分はに何をされたのだろうか、と。
……と自分を見比べる事、しばし。
彼は結論に至った。
すなわち、彼は彼女に剥かれてしまった、と(笑)。
サスケの身を隠すものはパンツ一枚。
その事実にサスケは、その身を朱に染めた。
だが、そこは男の子。少しは反論せねばならない。
「っ! これはどういうことだよ!?」
まあ、こんな姿では迫力欠けまくりであったが。
「どーゆーことって?」
は、サスケから奪ったタンクトップを畳みながら言った。
「ぐっ……だから、なんでオレの部屋にお前がいて、しかも、オレが脱がされているんだ!?」
最もな言い分であるが……
「別にいいじゃない。減るもんじゃなし」
にかかればこの一言だ。
心の何か大事な部分が「減る」ような気もしたが、ここで「減るっ!」などと言うのは彼のキャラではない。
サスケは本能的になるべくに肌を見せないように、まだベッドの隅で蟠っていたシーツを引っ張り寄せた。
だが……
「あっ! それもダメよ!」
ていっ、とあっけなくサスケの手から取上げられるシーツ。
そして、ベッドの上には、パンツ一枚というこの上なく無防備なサスケが取り残される。
そう。
それだけならば、まだ良かったのだ。
サスケにとって、だが。
「何すんだよ?」
寝起きなためか、いまいち声に迫力のないままに、を睨みつけるサスケ。
本気で怒っているというよりは、拗ねているという表現のほうがより近いだろう。
頬を心持ふくらませて、朱に染めた姿は、その無防備さと相俟ってを誘っているようにも見えたが、彼女には、今、為さねばならぬ事があったので、その誘惑は渋々見送ることにする。
「サスケ。昨日も一昨日も雨だったよね?」
「? ああ、そうだな」
「その前も…確かその前の前も雨だったよね?」
「……だから、それがどうしたんだよ?」
サスケは、の言わんとしていることがわからずに、首を傾げる。
「つ・ま・り。
可愛い彼女のこのあたしが、洗濯してあげよーって言ってるのよ!」
にーっこりと笑うに対し、しばしサスケは呆然としていた。
やがて、その意味を解し、
「は? お前、何言って……」
「だって、今日は快晴決定なようだし。サスケだって、洗濯物、溜まってるんじゃないの?」
サスケにみなまで言わせずが切り返した。
「お前だって洗濯物あるだろ?」
何となく嫌な予感がしないでもなかったが、サスケはそう言って、かすかな希望を持たずにはいられなかった。
「もう終わってるに決まってるじゃない」
さも当然とばかりの返答。
「……なんで、洗濯」
「彼女がやるもんなんじゃなかったっけ? こーゆーの」
の言う「こーゆーの」とは、おそらく彼氏の家に来て掃除などを甲斐甲斐しくする彼女さんのイメージから来ているものだと推測される。掃除の片手間に浮気していないか調査するのもお決まりであるが、ここでの想像はそれを含んでいないようだった。
なぜなら、サスケが浮気するほどの甲斐性を持っているとは、は全く考えていなかったからである。
「ま、そーゆーワケだから」
そう言うと、は、先程サスケから奪取したシーツその他を運び出そうとした。
「おい、ちょっと待て」
その背後から声がかかる。
が振り返ると、パンツ一枚で心なしか寒そうなサスケがいた。
「オレの服は……?」
その言葉に、はちらりと箪笥に視線を走らせたが、くすっと笑って何事もないように言い放つ。
「全部洗濯するからないわよ」
きっぱり。
「………なっ!?」
瞠目するサスケに、はとどめの一撃を放つ。
「サスケが着るやるは、それね」
の指差した先。
そこには、がサスケを起す前に懐より取りいだした薄い布――すなわち、ひらひらの――ピン○ハウスを連想させる服が鎮座していた。
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