ハヤブサ

なんかの鳥の声がする‥‥
ぶるっ

はいつまでたっても紅葉が進まない近所の木々にしびれを切らし、衝動的に山に行こうと思いついた。
どうせ近くの山だし、ウインドブレーカーとスニーカーでいいだろう。
けれど、思いがけず美しい燃えるような紅葉をたどるうち、いつのまにか国定公園の山奥まで入り込んでしまった。
おまけに霧。
気がついたら‥‥迷子。
霧にまかれてしまうと、さっぱり方角なんてわからない。
あっという間に気温が下がり、自分の服装がいかにも薄着で、ハイカー達が重装備過ぎる位の格好をしていた理由を今更ながら痛感させられる。
後の祭り。
食べ物だって、ちょっとしたスナック程度のものしかリュックにはいってない。
どうしよう‥‥
心細さと、不安と、そこへ空腹が重なって、思わず涙が出そうになる。
もう、何やってもついてないんだ‥‥

と、その時、がさがさがさっと熊笹を踏みしだく大きな音がした。
来る途中「クマに注意」という看板があったことを急に思い出す。
クマなんて、と鼻の先で笑ってたものの、一人っきりで自然の奥深くに取り残されていると、にわかにそれが現実味を帯びる。

ガサガサガサッ

とっさに盲滅法走り出す。
動物園で檻の中にいたクマは別にどうってことなかったけれど、あんなのが柵ごしでなく、じかに目の前に現れたらと思うだけで恐怖でいっぱいになる。

どしん!
「いたっ!」「いってえ!」

覗き込んだ瞳は猛禽類。
「ぎゃああああああああああっ!」

「すげえ声‥‥人にぶつかっといて、すいません、ぐらい言えないのかね、うん」
え?え?え?
人なの?
確かに、いつか図鑑でみたハヤブサの目だと思ったんだけど‥‥?
「ご、ご、ご、ごめんなさい、く、く、クマに追いかけられてて‥‥」
「ハァ?クマぁ?」
「そう、がさがさがさっ、て‥‥」
「フ〜ン、イノシシとかシカってこともあるけどねえ。
よりによってクマかい?」
そう言われると、別に見た訳でもない。
「でも、秋も深まってる事だし、充分あり得る事でもあるよなあ、前でたらしいしね、この辺りでさ、うん」
は、人ごとみたいにうんうん頷く彼にむかっ腹をたてる。

「あっ、後ろっ」
「えっ」
「ふっふっふっ、キミってからかわれやすいタイプでしょ、ははははは」
「(怒)」
「ごめん、ごめん、オイラだっていきなり出会い頭にぶつかられたから結構痛かったんだぜ」
肩のあたりをなでる彼。
「すいません‥」
目の前の男をしげしげと見る
は、派手‥‥この山中になぜこのような人が‥‥‥
別に服装が、とかいうわけではない。
色目は地味だが本人が放つオーラが派手ならどうしようもない。
そこへもってきて、色鮮やかな金髪のロングヘアー。
‥‥そして、なによりも、さっきびっくりさせられたハヤブサの瞳。
実は は鳥が苦手なのだ。
絵にはなるお方ではあるけれど、バカにされてしゃくにもさわる。
だけど、この人から離れたら、どこにいるのかもさっぱりわからない。
ぐるぐるめぐる思考回路。

「迷子なんでしょ、君」
「‥‥はい」
「オイラも、ははは」
がくっ
でも、一人で迷子なのと、2人で迷子なのとでは心細さが全く違う。
「まあ、あわててもしょうがないよ、霧が晴れるまで待つしかないね、うん」
「そうですね」
なんとなく一緒に座り込む。

ぐ〜っ

「ぶはははは、正直なお腹だねえ、うん」
ちょっとまて、今のは ではない。
じ〜っ
ハヤブサそのものの目で凝視され、 はネズミになった気分。
降参するしかない。
「お腹空いてるんですか‥‥」
「決まってるよ、でなきゃこんな音でないだろ。
なんか、持ってる?」
厚かましい男である。
「まあ、スナックぐらいなら‥‥」
「助かった、ちょっとわけてくれない、うん?」
あげないなんてチョイスは、‥‥‥ネズミには、ない。

「うれしいな、オイラ甘いもの大好きだからな〜」
嬉々として板チョコにかぶりついてる美声年におかしくなる。
「ん?笑ってるけどさ、君は食べないの?全部食っちゃうよ」
「え、それは困ります」
「冗談だよ、はい、半分返すよ」
「リンゴもあるんだけど‥‥」
「関節キスになるから、ってんだろ、うん?」
「////べ、べつにっ////」
「ははは、貸しなよ、わけるから」
どうやって?
いぶかしがる の目に刃物が見えた。
「ん?どうしたのさ?クナイ見た事ないの?」
ク、クナイ〜ッ?!
凶器!!
しかも、それって忍者とか言う職業の人の持つものではないのだろうか。
どう見ても本人は芸能人の方が近いのに。
「そんなびびらないでよ、別にアンタ切ろうっていうんじゃないんだし。
命の糧を恵んでくれた人にそんなことしたら罰があたるってもんだよ、うん」
金髪男はなんだかんだいいながら、すぱっとリンゴを二つに切ると、一つを に差し出し、もう一つはクナイにずぶっとさしたまま口に運んだ。
見かけによらず男っぽい仕草にちょっとどきんとする。

「はまえ、はんての?」
「え?」
彼はリンゴを飲み下すと、もう一度言い直した。
「なまえさ、なんての?」
「あ‥‥ です‥‥おたくは?」
「あ、言ってなかったっけ?
オイラ、デイダラっての、そっか、知ってるわけないか、ははは」
何、そんなに有名人なのだろうか。
「すいません‥‥知らなくて‥‥」
「なんで謝んのさ〜、知ってたら今頃このクナイの出番‥‥なんちゃって、ほら〜、またびびるだろ〜」

一向に霧は晴れて来ない。
「あの〜、霧ってこんなにしつこいもんなんですか?」
「さあねえ、オイラも特別詳しくはないけど、運が悪けりゃ一週間でも悪天候ってこともあるよ、うん」
「えええ〜っ」
さんはさ、どうせ、近場だからってなめてたんじゃないの、うん」
「そうです‥‥」
「オイラも」
「もう〜っ」
「冗談半分、マジ半分、だよ。
あ、でも携帯位もってんでしょ、いざとなりゃそれで助け呼べばいいんじゃないの。
オイラは持ってないけど」
なるほど!
ごそごそ、とリュックから取り出してみると‥圏外。
「あ、残念でしたね」
あっさり言われる。
「ま、心配しなくてもなんとかなるよ、うん」
「なんとかって‥‥」
ずいぶん気楽に言うデイダラ。
実はアウトドアの達人なのだろうか。

食べるものを食べてしまうとする事がない。
デイダラ氏はひまつぶしなのか、手近な木の枝を折り取ると、クナイで削り出した。

シュッシュッ

どんなものができるのかな‥‥何となく気になる

シュッシュッ
シュッシュッ

1メートル四方の色鮮やかな空間に閉じ込められた二人。
デイデラが規則正しく動かすクナイの音しか聞こえない。
霧は光も音も吸い込んで世界は2人だけになる。

「あれ、見てたの?」
「うん‥‥何作るのかなあ、と」
「ただの暇つぶしだよ、ほら」
デイダラの掌には面白い形をした鳥がいた。
「やりたい?」
「うん!」
「悪いけど忍具は貸す訳にいかないからね、うん」
なんだ、ケチ!チョコ返せ!
「でもこれあげるよ」
鳥さん、ですか‥‥?
一瞬苦手意識が動いて躊躇する だが、まあ、動く訳じゃないし、と思い直す。
断るのも悪い。
「ありがと‥‥」
「いらね〜、とか思ってんだろ、顔にでてるからねえ、うん。
でももらえるものはもらっときなよ、いつ何時役に立つかわかんねえだろ」
はあ‥‥こんなデクの坊っぽい木の鳥が、ねえ。

そうこうするうちに暮れて来た。
「デイダラさん‥‥なんか、暗くなって来ちゃったんですが‥‥」
「ああ、そうだね、まあ太陽は昇った後は普通沈むからね、うん」
「そ、そりゃそうなんですけど、こ、怖いじゃないですかっ。
こんな山の中で夜真っ暗闇ですごすなんて!
クマに注意なんて書いてるしっ!!」
「そりゃ布団で寝る方がいいに決まってるけど、動いたって疲れるだけでどこにも行けないさ、この霧じゃあね。
じっとして晴れるの待つしかないよ、うん。
落ち着きなよ」
「達観してますね‥‥」
「ま、明日は日曜だし、 さんは勤め人でしょ、別にいいじゃない、ゆっくりしてけば」
「そ、そう言う問題じゃなくて」
「じゃあ、何が問題?」
「‥‥‥」

ふざけてるのかと思ったけど、どうもマジらしい。

「でも寒いっちゃ寒いか、まあちっちゃい焚き火ならクマよけのためにもいいかもね」
「クマよけ‥‥‥」
「獣は火に弱いからね、んじゃもういい加減暗いしキャンプファイアーでもしようか」
「ま、待ってよ、ここ国立公園だから焚き火はだめなんじゃ‥‥」
さん、アンタ、頭固いねえ、凍えてる時にそんな規則守ってもだれもほめてくれないぜ?
後で怒られようと、クマに襲われるよかいいだろ、うん」

シュッ
デイダラは火遁の印を結ぶとさっきの木屑に火をつけた。
は目が点。

「何?
ああ、火遁も見るの初めてなのか。
いいねえ〜、新鮮なリアクションでさ!
オイラのまわりはこんなの誰も驚いてくれないからつまんねえなあ、うん」
「そ、そうなんですか」
「さ、ちょっとそこらへんから薪を拾ってくるとするか。
あ、 さんはいいよ、動いたら最後あんた戻って来れないからね、うん」
あっさり怖い事をいうと、デイダラはすっと霧の壁を出て行った。

‥‥‥‥

あたりは乳白色の霧に包まれしんと静まりかえっている。
頼りなげな炎の中でぱちぱちと小枝のはぜる音がするばかり。
‥‥どれ位時間がたったろうか。
なんだか心細くなってそこらへんに落ちていた木の棒で焚き火をつつく。
一瞬めらめらと火が大きくなるものの、またすぐ縮んでしまう。
‥‥本当に戻ってくるのかな。
ふと疑いが頭をかすめた。
何ができるわけもない なんか放っておいて、さっさと山から下りてしまったのではないだろうか。
霧は相変わらず晴れず、宵闇は深まるばかり。
手当たり次第目につく燃えそうなものを焚き火に放り込むが、少しずつ火の勢いが弱まって行く。

ホー ホー

ぎょっとする。
フクロウ?
ここにそんな鳥がいるなんて思いもよらなかった。
近場の山とはいえ、街とは全く違う自然が息づいているのだ。

鳥は嫌いだ‥‥
あの目。
ペットだろうとどんなに飼いならそうと野生の光は隠せない。
‥‥そしてどこにでも飛んで行ってしまう翼。
昔飼っていた空色の小さなインコ。
ある日空っぽになった鳥かごだけが の部屋に残された。
どんなに大切にしたって、結局待ってるのは別れ。
‥‥どうせあのハヤブサ男も同じ事だ。
ちょっと食べ物もらって、おしゃべりして時間つぶしして、そして何も言わずに去って行く。
‥‥こないだ別れたカレシだって同じだった。
もういい。
みんな、自分のことばっかり。

ぬうっと大きな影がいきなり乳白色の壁を突き破って入って来た。
「ぎゃあっ」
「なんだよ、オイラさ、デイダラだよ。
ありそうでなくってねえ、薪になりそうな木ってさ‥‥」
言いかけて を凝視する。
「な、なんですか」
デイダラは木の束をばさっと放り出すと焚き火のそばに座り、火にくべ出した。
「オイラってよっぽどあてになんねえ外見してんだなあ、何も泣かなくってもいいんじゃないの、うん」
え、泣いてた?
慌てて目をこする
「戻ってこないって思ったんだろ?
迷ってる人間を途中で放り出すくらいなら最初っから相手にしやしないよ」
「べ、別にそんなつもりじゃ‥‥」
「‥‥ さん、あんたさ、道だけじゃなくて人生にも迷ってんだろ、うん」
グサッ
「何があったか知らないけどさ、人生一度きりだからあまり考えてもしょうがないんじゃないの」
「‥そりゃそうだけど‥‥」
「その様子じゃカレシと別れたとかなんとかなんだろ。
じゃあ、腹いせにオイラと寝る?」
「!!!!!」
「ははは、そう引かないでよ、冗談だって‥‥あ、別れたってのひょっとして図星?」
「‥‥」
デイダラはちょっと慌てた顔になり、頭に手をやる。
「ごめん、からかったつもりだったんだけど、オイラ妙に鋭いとこあるからなあ、うん」
謝罪か自画自賛か、なんなんだ。
「ま〜、生きてりゃいろいろあるよ、元気だしな」
どういう慰め方なんだろう、とあきれる
「デイダラさんは悩みなんかなさげですね」
イヤミたっぷり、のつもりだったのだが、あっさり肯定される。
「ああ、ないね。
前進あるのみだからさ、うん」
「あ、そ〜ですか」
「後ろ見たら死ぬからね、オイラ達は」
ぎょっとしてデイダラの顔を見る。
焚き火に照らされたその横顔は陰影がくっきりつき、表情がよめない。
「疾走するだけさ、目的に向かってね」
ぱちんと木がはぜて炎が大きく上がる。
ハヤブサの瞳の中の炎も大きくなる。

「‥‥なんかね、捨てられたっぽい」
「カレシに?」
「そう。連絡とってもなしのつぶて、だし。
はっきりいってくれたらまだいいのに、逃げてるだけみたいで‥‥
行き場がないじゃない、こっちは?」
「ふ〜ん、卑怯者だな」
「そうよ!!」
「クズだね、そんな男は」
「そう!」
「大型ゴミ、うん」
「‥‥ま、ね」
「人間以下」
「‥‥そこまで言わなくても‥‥」
「役立たずのゴキブリ男」
「‥‥デイダラさんの知り合いじゃないでしょ‥‥」
「女たらしのどうしよういもないアホ」
「やめてよ!」
「何ムキになってんだい、あんたの味方してんだぜ、うん」
「そ、それは分ってるけど‥‥」
「ねえ、 さん、はっきりしてないのはあんたじゃないの?
あんたのカレシはもう戻ってこないんだ。
前向きなよ。
男は他にもいっぱいいるんだからさ、世の中半分は男だぜ。
ほら目の前にもいるだろ、うん?」
わかってる、わかっている、でもそう簡単にはいかない。
だから‥‥いつまでも夏のなごりをひきずってる街じゃなく、すっきり姿をかえている秋の山へ来たかったのだ。
「そうよね‥‥」
滲む目をこすりながら無理に笑顔を作ろうとする
彼女を見つめるハヤブサの瞳が笑った。
さん、あんたは充分魅力的だよ、自信持ちな。
んじゃ〜景気づけにちょっと火で遊ぼうか、うん」
いうやいなや、ぶわっと炎を大きくした。
「ど、どうやってんの‥‥」
「企業秘密、まあ見てなよ、秋の花火もきれいだろ」
手をこすりあわせて何かちいさな物体をどこからともなくとりだした。
さっきの木彫りの鳥と似ている。
それをつぎつぎと火に投げ込むデイダラ。
そのたびに炎のなかで様々な色がはぜた。
金色、銀色、赤、青、緑、むらさき‥‥
小さな火花が炎の中で踊る。
パン、パン、パン‥‥
小さな破裂音が鳴る度、 はなんだか自分の心の中のもやもやした気持ちが消えて行くような気がした。

‥‥‥‥‥

さむ‥‥。
目を開けると、傍らには燃え終わった焚き火のあと。
霧はすっかり晴れ、燃えるような秋の山と真っ青な秋空が彼女を取り巻いている。
迷った、迷ったと思っていたのに、すぐそこに遊歩道があった。
デイダラの姿は‥‥ない。
‥‥夢、なわけないよね‥‥自力で焚き火なんてつくれないもの。
あれからなんかいろいろ話したような気がするけど‥‥
今度は自分の頭の中が霧だわ、と自嘲気味に笑う
でも、結局行っちゃったんだ。
寂しさがこみ上げる。

悲しい気持ちを振り払って、とりあえず起き上がる。
バサッ
の背中から革ジャンが落ちた。
デイダラのだ。
例の木彫りの鳥も今まで横になっていたところに転がっている。

すっと遠い木立の中を青い鳥が横切って行った、気がした。
急いで辺りを探してももう姿は見えない。

突然思い出した。
昔、近所にスズメの群れの中に同じようにあざやかな空色のインコがいたことを。
あの鳥は飛び去ってしまったわけではなかった。
のことを忘れ去ってしまったのではなかったのだ。
‥‥そのことを忘れていたのは、自分。
小学生の に笑われているような気がした。
しっかりしろ、

借り受けたジャンパーを羽織る。
ポケットの中の小さな鳥を握りしめる。
また会えるよね。
木のぬくもりが返事代わり。
しばらく貸しといてやるよ、チョコのお礼にね、うん。
そんな声が聞こえて来た気がした。

は胸一杯に冷たく澄んだ秋の空気を吸い込み、戻る道を歩きだした。

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