蒼穹
時は早春。
とはいえ、岩だらけのこの山脈にまだ春の息吹は感じられない。
青緑色の氷河が屹立し、万年雪は灰色になってうずくまる。
険しい岩と雪まみれの崖道を一行は黙々と進んで行く。
先頭を行く少年の足取りだけが羽根でも生えているかのように軽い。
「あんたら、歩くのおっせえなあ。
日が暮れちまうよ、うん」
皆の突き刺さるような視線等どこ吹く風。
「ガキが、黙ってろ!ここから突き落とすぞ!」
一人が怒鳴り返す。
「ハイハイ、唯一の道案内を失っちゃってもいいんならお好きにどうぞ」
「おい、デイダラいい加減にしろ!てめえらも黙れ!」
ボスらしき人物が寒さでどす黒くなった顔で怒鳴ると、みんな押し黙る。
フン、と小馬鹿にした顔をすると、デイダラは頭数が揃っているか数えた。
最後尾に彼女はいた。
いくら薄汚れた旅の衣装をまとっていても、ヤクザものの中にいて、その姿はいやでも目立つ。
「今日のところはここらで野宿だな、うん」
うめき声や吐息が漏れて、みなどっかりとその場に座り込む。
「おい!
、水くんでこい!飯の支度だ」
と呼ばれた少女は、無言でバケツをつかんで立ち上がると川へむかった。
デイダラは少し遅れて、その後を追った。
手の切れそうな冷たい水をくんでいる
のそばに一緒にしゃがみこむ。
「なあ、
とかいったな。
なんであんなやつらと一緒にいるんだ、さらわれたのかよ」
返事はない。
正攻法はやめて、挑発に切り替えるデイダラ。
「ははあ、あのボスが親父かあ。
強盗団の箱入り娘ってとこか、なるほどね、そう言や似てるしな、うん」
少女はじろりとデイダラを睨むとぼそっと答えた。
「・・・・冗談きついわ。
・・・村を抜けるために集団に入れてもらっただけよ」
デイダラはずけずけと言葉を重ねる。
「ふ〜ん、で、これからどうすんだよ。
まさかあいつらのアジトで働くつもりなんかねえんだろ、うん」
「・・・・町に出たら・・・修道院に行って働かせてもらう」
口ごもりながら言った
の言葉が真意でないとすぐ見抜いてからかう。
「おいおい、頭丸めるのか、オイラなら死んでもやだけどなあ」
あくまでも軽いノリの彼にちょっといらいらしながら答える
。
「髪ぐらい何よ。村に残って売り飛ばされるよりずっとましよ」
「だけど身元もわかんねえ奴をそう簡単に修道院が入れてくれるもんか。
だいたい町までどれだけ遠いと思ってんだ、こんな調子じゃいつ着くのかもわかりゃしないぜ。
それに・・・あんな盗賊どもといっしょにいて道中無事ですむと思ってんのか、うん」
後半は警告だった。
今日の未明に出発してまだ一日もたっていないのに、連中の彼女を見る目はケダモノそのものだった。
「・・・そんなことわかってる。
早いとこ姿をくらますつもりだけど・・・・チャンスがなかったんだもの」
もちろんデイダラにしろ、切羽詰まっての
の行状なのは薄々見当がついた。
このあたりの辺境の村では貧しさ故、女と生まれた者の行く末は決まっていた。
結納金のために早くに結婚させられ、嫁いだ先でこき使われるか、さもなければ身売り同然に働きに行かされるか。
肉親を失った
には悠長に村で迷っている時間などなかった。
村を出るチャンスがあれば、誰と道中をともにするにせよ、逃す訳にはいかなかった。
「おい」
背中からいきなりボスのだみ声が聞こえた。
「ただの水汲みにいつまでかかってんだ、てめえら」
「・・・すいません」
は一応頭は下げたが、デイダラは知らん顔。
ボスはその様子を憎々しげにみると、今度は
に向き直り、むんずと腕をつかんだ。
「お前には別の用事もあるんだ、水はその小僧にまかせて早く来い」
思わず腕を振り払おうとするがそんなことで逃げ切れるものではない。
「離してっ!」
「黙れ小娘、さっさと来るんだ!」
すい、っとデイダラが動いたかと思うと、ボスの手をつかんであっさり振りほどかせた。
「やめな、この娘は俺が貰う」
「なあにい?案内ふぜいが何寝ぼけた事言ってんだ。
だいたいお前には大金払ってんだろうが」
「気が変わった。
この娘も追加でよこしな、そしたら最後まで道案内してやるよ。
あんた達がおもったよりとろくさいし、手こずりそうな道だからな。
それともトンズラしちまってもいいんだぜ、オイラは別に困りゃしねえ。
道に迷って夏に骸骨で発見されるのはあんた達だしな、うん」
さっきまでのいい加減な態度はすっかりなりをひそめ、まるで別人のようなデイダラの冷酷な表情。
自分の将来が自分に関係ないところで売り買いされている。
は背筋が冷たくなるのを感じた。
村にいる時と同じだ。
だれも味方なんてしてくれない。
にらみ合う親方とデイダラのすきをついて、
はさっと逃げ出した。
「おいっ、逃げる気かっ、
!」
「あんたはここにいな、俺が捕まえる。
俺の女に手出しすると全滅だぜ、忘れるな」
「・・チィッ」
はやく、もっと遠くへ逃げないと!
の吐く荒い息が暗さを増す空気に白く流れる。
けれどきつい一日の道程のあとでは思うように足も動かない。
「無駄だよ、どこ行く気だい」
ぎょっとするほど近くでデイダラの声がした。
雪に足を取られて転びそうになる。
「おい、そっちは危ねえから行くなって」
「ほっといてっ」
伸ばされたデイダラの手をはたいたその瞬間、
の足下の地面がなくなった。
「・・・だから、行くなっ、・・・・て、いっただろうが!」
クレバスが底の見えない口をぱっくりとあけている。
自分の横を落ちて行った雪の塊が奈落の底に見えなくなった。
恐ろしさで気が遠くなりそうになる。
「バカ、下を見るな!」
その声に釣られて
が目を上げれば、腹這いになって自分の腕をつかんでいるデイダラがいた。
その掌は今気がついたがケガでもしたのか包帯でぐるぐる巻きになっている。
彼は顔を苦痛で歪めながらも、ぐいっと
を引き上げてくれた。
「・・・ありがとう」
「気をつけろよ、この辺は裂け目が雪に隠れてるから危ないんだよ、うん」
「手・・・大丈夫?」
包帯に血がにじんでいる。
「手?ああ、大丈夫さ。
こんなの手術したときの痛みに比べりゃなんてことねえよ、うん」
「手術?ケガでもしたの?」
デイダラがおかしそうに口を歪める。
「違うさ、まあ形成手術とでもいうのかな、もっと強くなる為にね」
おかしな事を言う人だ。
そう思った瞬間彼が傷口の具合をみるため包帯をとった。
その下にある異形のものを見て、
は思わずあっと声をだしてしまった。
薄ら笑いを浮かべるデイダラ。
「そんなにびっくりしないでもいいだろ。
別にこの口でアンタをとって食うわけじゃないさ」
「そ、そんな事思ってないけど・・・」
「なんでそんなもん、ってか?
コイツさえあれば、オイラはもうこわいものナシさ。
アンタみたいな一般人にはわかんないだろうけどね、うん」
どこかで聞いた事はあった。
忍びの中にはさらなる強さを手に入れる為に体にメスをいれ、自らを唯一無二の凶器に変えて行く者がいると。
けれどまさか自分とせいぜい2.3歳違うだけの少年が本当にそんな事をするとは、夢にも思わなかった。
「そんなに不思議か?」
の顔を見てデイダラが聞いた。
「だって、体を改造するなんて・・・」
「神様から頂いたありがたい体だもんなあ」
にやついた口元でいやみったらしく言ったかと思うと、急に目が真剣になった。
「いもしない神様なんか頼れるかよ。
誰よりも強くなることがオイラの芸術、目標さ。
そのために代価を支払う事なんか苦痛でもなんでもない。
オイラがどうするかはオイラが決めるさ、神がなんだ。
だって、二度と村には戻れないっていうリスク承知で身一つで村を飛び出て来たんだろ。
お前の目的が何かは、知らねえけどな。
どっちにせよ神なんか信じてないくせに、何が修道院だ、笑わせやがる」
言い返す事はできなかった。
確かにデイダラの言うように、
は村を捨てたのだ。
待っていたって神様は助けてくれはしない。
留まる限り、泣いて運命を受け入れるしかない。
そんなのは嫌だ!
だから、うまくいく保証は何もないけれど、このチャンスにかけたのだ。
村を抜けたが最後、自分を守ってくれるものは自分以外誰もいないのを承知の上で。
「
」
名を呼ばれて顔を上げる間もなく、彼女は雪の上にねじ伏せられてしまった。
じたばたしてもびくともしない。
たいして大柄にも見えないのに、なんていう力!
「離して!」
怖くなって大声をあげる。
「それでいい、もっとでかい声を出しな」
「?」
「ほら、俺に襲われてんだよ、
は、わかってるのか、うん?」
ぐいっと手をねじり上げられ、今度は痛みに耐えかねて悲鳴をあげる。
「女だてらに自由をおっかけて安全な村を飛び出て来たんだ、よっぽどやりたい事があったんだろ。
ならこんなとこで運命に流されて、あんなクソ野郎の好きにされちまうわけにはいかねえだろ」
この人は・・・・味方なんだろうか?
そんな気がしたのもつかの間、さらにきつく腕をねじり上げられて大声を出してしまう。
「悪いな、でもちょいと痛いだけですむんだから我慢しな。
拷問ならこんなもんじゃすまないぜ」
顔に何かを押し付けられたかと思うと、染料のにおいが鼻につく。
「殴られた跡ってことで、ちょっと顔がきたなくなるけど一週間ほどすりゃ落ちるからな」
「どうして・・・」
味方をしてくれるのか、と聞きたかったが、デイダラは違う事を言った。
「
は俺の物って、誇示しとかないとどうなるかわかってるだろ。
・・・悪く思わないでくれよな、うん」
再度の気の遠くなるような痛みに耐えかねた
の悲鳴が山にこだました。
意識を失った彼女を抱えてデイダラはもと来た道を戻った。
待ち受けていた狼のような連中を冷ややかなまなざしで睥睨するとデイダラは、
「この女は俺のもんだぜ、うん。
手出ししたらどうなるかは、あんたたちのボスに聞いただろ。
さ、明日も早いぜ、さっさと寝な」
言い捨てて、
を担いだままキャンプの角に行き、そっと彼女をおろすとその傍らにごろりと体を横たえた。
**********
翌日も同じように、一行はひたすら歩き続けた。
その明くる日も。
そのまた明くる日も。
どんよりと重苦しくたれ込めた空の下、岩山の間を縫って無言の行進が続いた。
いい加減うんざりした気の短い連中がついに不満の声を上げ始めた。
「まだつかねえのかよ、おい!」
「本当にこの道であってんのか」
「俺たちをだましてんじゃねえだろうな、デイダラ!」
そんな声を軽くいなして、
「そんなに信用できねえならとっとと先に行けよ。
まあ、この渓谷を岩忍のガイドなしで通り過ごせたやつなんてオイラは知らねえけどな、うん」
一同は押し黙るしかなかった。
は常にデイダラの目の届くところにいた。
「隙を見せるな、何するかわからない連中だからな」
それは彼らの目を見ればわかった。
とはいえ、四六時中デイダラと引っ付いている訳にも行かない。
一人で食事の支度をしていた
にある男がちょっかいをかけに行ったのだが、大慌てでボスの所へ戻って来た。
「ボス、あの女ハッパもってますぜ!」
血相を変えたボスが
を問いただすと
「火薬ぐらい使えるわよ、今ここで爆発させて雪崩おこすぐらい何でもないわ」
「いったいどこから手に入れたんだ?」
は何も言わなかったが、デイダラにはすぐわかった。
食事の後、2人になるとデイダラはいつになくきつい口調で言った。
「おまえ、オイラの粘土盗んだな」
「人聞きの悪い事言わないでよ・・・・ちょっと借りただけじゃない」
「そんなことはどうでもいい。
なんであれが爆発するってわかったんだ。
見た目やにおいじゃわかるはずないのに」
「・・・・爆発物はわかるわよ、花火師のカンね」
「花火師?どういう事か説明してもらおうか」
有無を言わさないデイダラの態度に
はしぶしぶ重い口を開いた。
の亡き父親は花火師だった。
寒村にいて、女でも手に職をもつことの大切さを教えてくれたのは彼だった。
だが、花火師の地位は爆発で岩山を砕いて開発する荒っぽい仕事に比べ低く、稼ぎもしれていた。
だから、父親は
に仕事を継承させようとはしなかった。
しかし、
はひそかに、父親のあとを継いで、花火師になるつもりだった。
ところが流行病が次々と両親を奪ってしまった。
「・・・いざ好きでもない人のところへ嫁にやられそうになった時に思い浮かんだのは、やっぱり花火だった。
それにいつも仕事はみてたから火薬を扱う基本は知ってる」
ふ〜ん、と言う顔で話を聞いていたデイダラだったが、じきにいつもの薄ら笑いを浮かべて
「そんじゃ
の夢ってのは花火師になることか、女流の」
なんとなく侮蔑の響きを感じてむきになる
。
「そうよ。ここ、土の国じゃあ火薬っていえば爆発させることの方が大切みたいで、花火なんて馬鹿にされてるけど。
私は・・・同じ火薬を使うなら、人に夢を見させる事のできる花火を選ぶわ」
はつい問われるままに言ってしまって後悔する。
(どうせ、この人も馬鹿にするに決まってる。
何夢みたいなこと言って、って・・・)
「いい夢だな」
耳を疑った。
「無事この旅を終えたら、いつかすんげえ花火を見せてくれるんだろうな、え?
約束だぜ、いいな。
オイラはどっちかってえと破壊アート専門だけど、破壊する神ってのは往々にして創造神でもあるからな。
クリエイティブな仕事にも理解があるってことさ。
ちなみに、
の持ってる粘土はそれだけありゃ、この山一つはぶっとばせるしろものだぜ、うん」
ぎょっとしてポケットの中の粘土を見る
。
「もっとも、オイラのチャクラが練り込まれてりゃ、の話だけどな。
まあそれぐらいやるよ、脅かす材料ぐらいにはなるだろ」
皮肉っぽく笑うデイダラ。
「・・・どうして、助けてくれるの」
は思い切って聞いてみた。
「さあねえ。
あんたの方がオジサンたちよかマシだからじゃないの、うん」
「もう!」
高笑いをしながら向こうへ行ってしまったデイダラだったが、
は久しく感じる事のなかった他人の優しさに触れた気がした。
その数日後に事件は起きた。
まちわびた春を予感させるような日だった。
小鳥のさえずりが聞こえ、空は春めき、荒くれ者達の間にも道々うきうきした空気が流れた。
・・・しかし暖かさが災いした。
山頂で小さな雪崩が起きた。
先頭集団にいながらそれに気付くのに遅れたボスを含めた数名が、あっという間に巻き込まれ、流されてしまったのだ。
残された連中は統率者を失った烏合の衆と化し、口々にデイダラと
をののしり始めた。
「おめえが変なコースをすすんだからだ!」
「その女がハッパ使ったに違いねえ!!」
「こんなやつら殺しちまえ!ここまでくれば案内なんかいなくてもどうにでもなる!
谷を降りて川を下って行けばいいんだ」
じりじりと包囲網をせばめてくる男ども。
はむき出しの敵意にぞっとしたがデイダラはいつもの調子をくずさない。
「俺をやとった親父は死んじまったか、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
ならこの案内を続ける義務もないな、うん」
「んだとお〜っ!!」
「やっちまえ!!」
激昂した男たちにデイダラが冷ややかに言い放った。
「やれるもんならやってみな。
俺はあんたらみたいに、始終だれかの首にぶら下がって生きてきた訳じゃねえんだ」
その声が終わるか終わらないかのうちに、
はぐいっとデイダラに引き寄せられ、飛んだ!
どこからともなく現れた巨大な鳥。
男たちはずっと眼下だ。
「卑怯だぞ!」
足下から怒声が聞こえる。
「あんたたちに言われたくねえな、ちなみに用心した方がいいぜ!うん」
彼はひょいっと何かを投げた。
「喝!」
小さな爆発音のあとに地鳴りが聞こえて来た。
雪崩だ!
今度のものはさっきのように小規模ではなかった。
蟻を散らすように男たちは逃げ惑ったが、大雪崩は彼らを飲み込んで一気に下って行った。
しばらく空を飛んだ後、
とデイダラは地面に降りた。
突然のことに口もきけない
を見ながらデイダラは言う。
「な、使える粘土だろ」
「・・・・・」
「そんな顔すんなよ、殺さなきゃ殺されてたんだぜ、うん」
「・・・・わかってるわよ・・・」
「まあ無理しなくていいぜ、ちょっと休んでな、オイラは様子見て来るから」
デイダラはへたり込んだ
を残して様子を見に行った。
彼が以前言っていた言葉が頭によみがえる。
自分は破壊神だと。
破壊すると言う行為を忌まわしく思う反面、まさしくその破壊する神に救われた。
そして、彼に惹かれ始めていることを否定はできない。
どう考えればいいのか。
思いが乱れて考えがまとまらない。
シュッ
頬を刃物がかすめた。
正気に戻った
の目に見えたのは、彼女めがけてやってくる盗賊の残党だった。
山賊の男の足と少女の足では結果は目に見えている。
とうとうがけっぷちに追いつめられた。
「助けを求めたって無駄だぞ。
あの男は俺が殺したからな!」
うそだ!
背後には崖、これ以上後退する事は無理だ。
じりじりと距離が狭められる。
雪の塊が足下から崩れ真っ逆さまに落ちて行く。
雪解け水が流れる音と、その雪の塊が水に落ちた音が、かすかに聞こえて来た。
ごくりと息をのむと、
は空を舞った。
万に一つの可能性にかけて。
こんな場所で死ぬもんか!
死んだりするもんか・・・・
デイダラだって!
きっと生きてる!
加速度をつけて落下していきながら
の意識は闇に沈んだ。
「おい、おきろ、おきろって!」
頬を何度かはたかれて、気がつくとデイダラが覗き込んでいた。
やはり彼は死んでいなかったのだ!
嬉しくていっそ飛びつきたかったけれど、鉛のような体は言う事を聞かない。
「まったく無鉄砲と言うか、おまえも悪運強いぜ、うん。
隙をついて助けようとしたら、まさかあんな高いところから飛び降りちまうとはな、あわてたぜ。
水深がかなりあってよかった」
の目を見てデイダラは彼女の思う事がわかったのだろう。
「そんな簡単にオイラがやられるかよ、岩忍をなめてもらっちゃ困るな。
やられたのは分身だよ、分身。
生き残りが一匹、
に食いついたのは計算外だったなあ、うん、まあ適当に始末しといたけどな」
何かいわなければ、と思うが口が凍り付いてうまく動かせない。
「ああ、寒いか。
それに痛えよなあ。
氷みたいな水に叩き付けられたんだから」
デイダラが起こしてくれたたき火がすぐそばにあったが、一旦氷水に落ちた後の体は簡単には暖まらない。
「このままじゃ
が凍え死んじまうか、うん。
・・・・しょうがないな」
そういうと彼は上着を脱ぎ捨て、
に向き合った。
最早少年とは言えない一人の青年がそこにはいた。
若い牡鹿を思わせる、伸びやかで、引き締まった無駄のない体。
が、彼女が息をのんだのはそのためではなく、体のいたるところにある手術跡のせいだった。
掌だけではなかったのだ。
ことに心臓のあたりの、封印を思わせるなぞめいた縫い目にはいやでも目が吸い付けられた。
「これか。
オイラを最強の武器にしてくれる最高の芸術さ」
何も言えなかった。
この人は自分の信条の為なら本当になんでもするのだと、改めて思い知らされた。
ためらわず人を手にかけもする。
しかし、だからこそ
にも手を貸してくれたのだ。
私にも夢があったから。
「じろじろ見てないでさ、さっさと濡れた服を脱ぎな
。
せっかく助かったのに凍死したいのか?
こういう時は裸で抱き合って体温を上げるのがお決まりなんだよ。
オイラは心配しなくても
みたいなお子様に欲情なんかしないさ、うん」
青い瞳がからかうように笑う。
カチン。
ガキで悪かったわね。
あんただって言うほど年もかわんないでしょうが!
同時に、こんな時にもまだむかっ腹を立てられる自分が少しこっけいでもあった。
容赦なく襲いかかって来る寒さに押さえようもなく体ががたがた震える。
ためらいながらも背に腹はかえられず、ずっしりと水を吸った重たい服を、かじかんだ手で苦労しながら一枚一枚はぎ取る。
見ればデイダラはわざとそっぽをむいていていてくれていた。
けれど、まだ男性の前でこんな姿になったことはない
。
恥ずかしくて恥ずかしくて、顔を上げる事も、それ以上自分から動く事もできない。
の体にはらり、と金色の長い髪がかかったかと思うと、熱い肌がぴったりと自分の肌に押し付けられた。
心音が一気に跳ね上がる。
が、少しずつその音が落ち着くにつれ、いいようのない安堵感が
を包んだ。
村を出て以来はりつめていた緊張の糸がぷつりと切れたような。
人の肌の温かさと柔らかさに、ガチガチにこわばった身も心も一気に氷解して行く。
頬を温かいものが伝う。
「泣くなよ・・・ガキだな」
憎まれ口とは裏腹な優しい手を背中に感じる。
彼の背中にまわした手をぎゅっと結び合わせる。
「・・・・刺激すんなよ・・・うん」
困惑気味の声が強気な彼らしくなくておかしかった。
見上げればデイダラの瞳と同じ真っ青な空が彼の肩越しに目に飛び込んで来た。
目にしみるような鮮やかな春の青空。
その青は、重たくたれ込めた雲を縫うように広がり、どこまでも続いていた。
**********
花火が夜空に次々と打ちあげられる。
万華鏡さながらに色を変える光の洪水。
流れ星のように次々と斜めに打ち上げられては消えて行く火花。
フィナーレには、空高くあがった大玉がはじけて、あとには金粉が濃紺の空いっぱいにキラキラと舞うように広がった。
見物客がいなくなった後、花火師たちも三々五々散ってゆき、会場には後片付けの
だけが残された。
まだまだ下っ端だけど、花火師の弟子として働けるようになったのだ。
あの日、デイダラは泥のようにねむりこけた
を修道院に預けると、彼女に別れをつげることもなく姿を消してしまった。
置き去りにされた
は始めこそ意気消沈したが、気をもちなおし、体が回復するとすぐに修道院を出た。
そして、断られても断られても花火師に弟子入りすべく粘りに粘った。
山越えした時のことを思えば、こんな苦労は苦労にはいらない。
・・・デイダラに負けられやしない。私には、私の夢がある。
ついに根負けした親方のもとで修行をして弟子として働くところまでいった。
今日も名前こそ出してもらえなかったが、何発かは彼女の作品だった。
「たいしたもんでしょ、やっとここまで来たわよ」
誰に言うともなくつぶやく。
本当は聞いて欲しい相手はたった一人だったけれど。
がさ、っと下草を踏みしだく音がして、はっと我に返る。
音のした方を向けば、闇にとけ込むような黒いマントを着た懐かしい人物が立っていた。
「どうやってここへ・・・」
言いかけて思い出す、ああ、彼は空を飛べるんだった。
風の噂に聞いていた通りの暁の姿。
あの日よりずっと大人びた顔。
あの時にはしていなかった人差し指のリング。
きっと・・・傷跡はさらに増えているに違いない。
でもそんなことを口にするのもためらわれて、わざと違う事を言ってしまう。
「・・・髪の毛、ずいぶん伸びたね」
デイダラがにやっと笑う。
「オイラは修道院なんかに行かなかったからな」
ああ、あのときのままの笑顔だ。
「花火、見事だったぜ」
の目にまっすぐに飛び込んで来た青い瞳に嘘はなかった。
「ありがとう」
「オイラの崇高な芸術にはとうてい及ばないけどな、うん」
「ふんだ、ぶっ壊すだけならそこらへんのゴロツキにだってできるわよ!」
「バカヤロー、オイラの芸術とそこらへんのハッパ屋をいっしょにすんな!」
久しぶりに会ったというのに、険悪な雰囲気になりかける。
違う、こんな風に言い合いたくなんかないのに。
うつむいていたデイダラが再び口を開いた。
「ふん。
、おまえ、夢、かなえたな」
(・・・デイダラのおかげだよ)
言葉にならなかった。
黙って彼に抱きついた。
「おいおい、もう子供じゃないんだから、ムラムラきてもしらねえぞ、うん」
「・・・バカ」
記憶と同じようにやさしく抱きしめられる。
「さすが俺が見込んだだけの事はあったな」
「うまい事言うわね、全然音沙汰もなかったくせに!」
「これでも結構多忙でね、うん」
口元は笑っていたが目は笑っていなかった。
「・・・ごめん」
ため息をついてデイダラがいう。
「悪いな、時間がない、もう行くぜ」
「もう?!」
「俺はまだ夢の途中だからな、うん」
一体どんな夢、と出かかった言葉を飲み込んだ。
・・・破壊神の夢なんか聞いても仕方ない。
相容れることのない夢。
あまりにも違う世界の住人。
・・・・それでも手を差し伸べてくれた。
「来てくれて、ありがとう。
あの時デイダラが助けてくれたから、ここまでこれたよ」
じっと
を見つめるデイダラ。
さっと表情が皮肉な笑みにすり替わる。
「
はオイラが誰か知ってんだろ、もう」
「まあね」
「泣く子も黙るテロ集団の一員だぜ。
そんな俺に恩を感じてどうすんだ」
「・・・わかんない。
でも、デイダラのことは、ずっと・・・好きだったし・・・これからも好きだと思う」
黙って
を見つめる大きな瞳。
青空と同じ色。
ふっと目を閉じたと思うといたずらっぽい光が宿った。
「じゃ、次会ったら俺の嫁にでもなるか」
「・・・・うそばっかり」
もう会う事なんか、来てくれる事なんか、ないくせに。
「でも、ちょっといい嘘だろ。
そのまま信じとけよ、うん。
・・・・あばよ」
デイダラの束ねた長髪が風を切って、暗闇に黄金色の軌跡を描いた。
そして巨鳥は音もなく舞い上がり、あっという間に闇夜に消えた。
泣くまいときつく目を閉じた。
まぶたの裏に浮かび上がって来たのは。
抜けるような青。
さらさらと流れる金色の光。
凍り付いた肌を溶かしてくれた温かさ。
この記憶はずっと、消えない。
・・・目を閉じれば、デイダラは、私の中にいる。
は目を開いて、ゆっくりと一歩目を踏み出した。