5月のサイクリング

キュッ、キュッ
力を入れてスポーク一本一本を磨く。
5月になったらサイクリングに行こうぜ、と言ったカンクロウの顔を思い出しながら。
「ちょっと手入れしてやりゃ、さびた自転車だってそれなりに光るもんじゃん」
私が自分の自転車がボロだとかなんとか文句言ったらそんな風に言ったっけ。
傀儡を大事に手入れしてる彼のセリフだけに聞き流す訳にもいかない。

油を注して、ギアとブレーキを確かめれば一丁上がり。
なれない作業だったから、うまく行ったのが嬉しくてなんかにやける。
どう、私だってなかなかやるじゃない、って自慢したい気分。
やんちゃ坊主が明るい光を浴びて、さあ、早く出かけようと誘ってる。

その声にまんまと乗っかって、私はペダルを踏み始める。
キラキラとスポークが光を反射し、車輪が加速する。
時折さあっと強い風が吹き、並木の新緑を大きく揺らす。
沿道に咲き乱れるツツジから甘い香りが立ち上る。
青々と葉を茂らせた紫陽花が、もう花芽を膨らませて来たる季節に備えている。
こないだまで枯れ枝ばかりに見えたのに、早いなあ。
空気に湿り気が感じられる。
一雨来るかも、と空模様を伺う。
さっきまでの青空が薄曇りに変わったかと思う間もなく、顔に冷たいものが当たってはじけた。

5月。
若葉がむせるような芳香を放ち、日増しに緑が濃くなって、生命が一気に開花する。
だから雨に降られてもみじめさは0パーセント。
五月雨は豊穣を約束する恵みの雨だから。
びしょぬれになりながらもただひたすらペダルをこぐ。
じゃかじゃか降る雨のせいでまるで大泣きしてるみたいに目がかすむ。
でもさ、たまには思い切り泣くのもいいもんよね、それが本物だろうと借り物だろうと。
時々わけもないのに感じる閉塞感。
出口が見つからないまま鬱積する不満や孤独。
そんなモヤモヤもこの雨が一緒に洗い流してくれるといい。
つまんない感情なんて忘れればいい、とばかりにきれいさっぱり。
‥‥誰にもこんな気持ち、話した事ないけどさ。

夢中で走っているうちにいつのまにか、雨も小降りになり、じきに上がった。
あれだけ降ってたのがうそみたい、もう太陽が雲の切れ間から降り注いでる。
派手に濡れちゃったな、気持ちよかったけど。
と、向こうから自転車が走ってきて止まった。
私同様びしょぬれの運転手はカンクロウ。
びっくりしてまじまじと彼の顔を見る。
むこうもしげしげと私の顔をみてたけど、ニタッと口角が持ち上がる。

「なんだよ、、そのいい格好」
憎まれ口は先攻がコツ、を地でいくこの態度!
「もうっ、カンクロウも人の事言えないでしょうが」
「俺はいいんだよ、水もしたたるいい男」
ニヤニヤ笑って自画自賛。

彼も‥‥ひょっとしたら、自分の中の何かを洗い流したくて雨に打たれながら走ったんだろうか。
聞いてみたいような、でも聞くのがこわいような。

「チャリンコ、磨いたんだな」
あ、気がついてたんだ。
「ふふん、きれいになったでしょ」
カンクロウのうぬぼれ癖がうつったわ。
、お前ってヘンな奴だな、こんな雨の中わざわざ磨き立てのチャリ乗るなんてさ」
緑の目を細めてさっそく皮肉を言ってくれる。
くそ、褒め言葉はその突っ込みの布石だったのね!
「ご挨拶ね、ならカンクロウだってヘンな奴じゃない!」
「フフン、雨の中の暴走の良さは、乗ってみなきゃわかんねえじゃん。
‥‥だろ?」

‥‥図星。
見透かされたような気恥ずかしさと、ああ、同じだ、という嬉しさと。
誰だって心の内に何かしら問題を抱えている。
ひとりぼっちだと感じない日なんてない。
それでも‥‥‥こんな風に同じ感性に出会えたら、その瞬間は何物にも代えがたい。
孤独な心の内を照らす共通の明かりを見つけたような。

「どうせなら乾くまで、もうひとっ走りいくか、
額から濡れた髪をかきあげながらカンクロウが言う。
その仕草にちょっとどきっとする。
「酔狂だね、カンクロウってばさ」
出てくる言葉はそれとは裏腹で、足の方はもうペダルをこぎ出してるけど。
カンクロウがすぐに、私の後を追ってくる。
どこまで一緒に走って行けるのか。
そんなことはわかりゃしない。

「カンクロウ、ほら、虹!」
「ほんとじゃん、端は‥‥公園の方だな」
「じゃさ、そこまで競争、負けた方がジュースおごるの」
「へん、はマジで俺にかなうと思ってんのかよ」
「そんなこと、やってみなきゃ分んないでしょ」
「分り切ってるじゃん」
「分んない!」
「あっそ、んじゃ、お先にしっつれい〜」
「ずるい〜っ、カンクロウ、待て、こら〜っ」

近づけそうでなかなか近づけない。
でも、私を振り返り振り返り走って行く後ろ姿を追っかけるのは楽しい。
離れたり近づいたりしながら2台は走る。
同じ目標へ向かって。
この先もずっと同じ道を走れるとは限らないけど。
それでも、このひとときは二人一緒だから。
子供の頃の思い出みたいに、時間をへても色あせない瞬間は確かに存在する。

暖かな風が私たちを包む。
どこかから漂ってくる桜の香り。
しっとりとした緑陰。
ひらひらと揺れる白や薄紅色のハナミズキ。
大好きな5月。
心躍る夏が始まる。

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蛇足的後書:カンクロウ誕生月お祝いの皮切りです。
どうってことないようですが、感性が同じ、笑うツボが重なるってすごく大切なことだと思います。