雨のち晴
外は雨。
陰鬱な空と湿った不快な空気。
春と呼ぶにはまだ早いが、冬という言葉もそぐわない。
畳の上には予定外の珍客が転がっている‥‥嬉しいお客、でも想定外であることには変わりない。
「ねえ、なんで前もって来るって一言いってくれないのよ?」
無駄とわかりつつ、ついこぼしてしまう
。
「あァ?なんで言わなきゃなんないんだよ?
それとも他の誰かを待ってんのか、オイ?!
どうなんだよっ、
!?」
地雷を踏んだらしい。
飛段は今まで死んだように寝転んで目をつぶっていたのに、がばっと上半身を起こして
を睨みつける。
「バカ言わないでよ、そんなわけないでしょうが!」
額をぐいと押して、もとのポジションに戻す。
「イテテテッ、もっと優しくしてくれよ、まったく手荒れーんだよ、
は」
手当なんかしてもしなくてもいっしょとわかっているのだが、怪我をしている人間を放っておくのも気が引ける。
不死身だかなんだかしらないけれどここまで肉体を酷使していいのだろうか、と肩や胸の生々しい傷を消毒しながら
は思う。
‥‥せっかく彫刻みたいにきれいな体なのに‥‥
ふと感じる視線。
「‥‥何ですか、飛段先生‥‥」
「フン、べ〜つにィ」
さっきまでの険悪な光は影を潜め、赤い瞳に宿るのは子供っぽい優越感。
何よ、ちょっと見惚れてただけです〜ぐいい気になっちゃうんだから。
ふん、と
も目をそらせて飛段のねそべる布団のそばのクッションに座り込む。
また降り出した雨が窓を叩く。
「陰気くせー天気だなァ、ったく、よけい気がめいるぜ‥‥」
いくら不死身でも、けがをすれば痛いことにはかわりないだろう、飛段の機嫌が悪いのもきっとそのせいだ。
は壁にもたせかけた背中がずるずるとずり落ちるのににまかせながら、ぼんやりと飛段のしかめっ面を眺める。
まさかもどってくるなんて思ってなかったから、何にも用意していない。
どうせ一人のバレンタイン、チョコなんて見たくもない、と‥‥
それがふって湧いたこの粗大ゴミだ。
「チョコは?」
ぎょっ
「な、なによ、甘いもの嫌いなんでしょ」
「好きとか嫌いとか言う問題じゃねえだろ、フツーこの日にはカノジョはカレシにチョコを用意してるもんじゃねえのかよ、アア?」
体勢をかえて腹這いになると、ずりずりと
ににじり寄ってくる飛段。
「だって、いないと思ったんだもん」
「そういう問題かよ、いなくても待ってるとか言うけなげさは
にはねーのかよぉ」
勝手な奴!!
今まで何回約束をすっぽかされたと思ってるのよ?
アンタの知らないとこでどれだけ泣いたと思ってるのよ?
きっと飛段を睨みつけて唇を噛み締める。
カサッ
「誰だッ!!!」」
がばっと跳ね起きると飛段はつづき部屋のふすまを大きな音を立てて開く。
「だめっ!!!」
とっさに飛段の足にしがみつく
。
それを見て余計ボルテージが上がる飛段。
「やっぱ誰かいるんだな!?おい!
絶対浮気なんかさせね〜ぞ、バッラバラにしてアリのエサにしてやる!」
「違うって‥‥!!」
ゴソ‥‥
「ここだなっ、隠れても無駄だ、オラァこの‥‥‥!?!」
飛段がらんらんと目を光らせて払いのけたカーテンの影にいたのは。
きょとんとした顔のハムスタ−だった。
「どっ、どっ、どっ、どういうことだっ!」
のけぞる飛段の顔色は心なしか悪い。
「どうもこうも、だから隠しといたのに‥‥
ねえ、ハムすけvvv」
「こ、こらっ、
!よせっ、そんなものをケージから出すなっ」
「なによ、こんなに可愛いのに。
飛段も手に載せてみる?」
ずいっと目の前に差し出されたハムスターから、ざざざざっと後ろずさる飛段。
「やめろっ、俺がその手のケダモノ苦手なの知ってるだろっ!」
「な〜にが獣よ、ただのちっちゃいペットじゃない」
「うるせ〜っ、俺にはサイズなんか関係ねえんだよ、キライなもんはキライだっ!」
飛段は小動物の類いが、いや、動物全般が嫌いだ。
なぜと聞かれても理由なんか無い、嫌いなものは嫌いだ、の1点ばり。
まあ生理的な嫌悪というものはそんなものだろう。
しかし、この飛段がハムスターを前に顔色を無くしているのはいかにも締まりがない。
失笑しながらも、
はハムスターをカゴに戻して、部屋のふすまを閉める。
「‥‥どーゆーことだよ、説明してもらおうか?あ?」
ちゃぶ台の前のコーヒーに口もつけずに詰問口調の飛段。
それだけ余裕が無い、ということか。
無理も無い、ハムスターがさっきからがさがさと動き回り、飛段に彼の存在を忘れさせてくれないのだ。
「‥‥だって、寂しかったんだもん」
「ハァ?」
「言ってるじゃない、寂しかったんだって!!
飛段はいつ来るかさっぱりわかんないし、しょっちゅう浮気するし、そのくせ私がちょっと誰かと遊びにでると、そういう時に限って上がりこんで待ってて、ネチネチ文句言うし!!
大きい動物はどっちにせよここじゃ飼えないじゃない!!
だから!!分った!?」
一気にまくしたてる
。
飛段を睨みつけながら、気が高ぶったのか
の見開いた目から堰を切ったように涙がこぼれおちる。
あっけに取られる飛段。
カラカラカラカラカラ‥‥
ハムスターが回し車を駆ける音だけが響く。
いつの間にか雨が上がって窓の外に夕焼けが広がる。
「悪かったな‥‥」
しゃくりあげる
を抱いて飛段が言う。
「もう泣くなよ‥‥」
「な、ないて、泣いてないっ、ひくっ」
フン、ったく、この意地っ張りが。
「な、雨も上がったし、外に出ようぜ」
「‥‥」
「夕焼けもきれーだしな、晩飯の材料買いにいこうぜ。
俺がつくってやるよ、飛段様特製ディナー!!」
「‥‥ぶっ、いいよ〜、どうせつぶれた目玉焼きだもん」
「口が悪ぃな、
は!
人の好意は素直に受けとけよっ!!」
「ハイハイ、ありがと、んじゃロコモコ丼でもしよっか」
つっかけばきで外にでる2人。
「わー、きれいな夕焼け!」
「だろ、中でくさってるよかよっぽどいいだろーが」
「ふふふ、ホントね。
‥‥でもさ〜、真実は違うんでしょ」
「‥‥なんだよ、ソレ」
「ハムスターが、怖いんだあ〜」
「ざけんなよ、あんなチビスケがこわいわけねえだろっ」
「あら、そう、なら帰ったら肩に乗せたげるね」
「‥‥‥‥」
「そーだ、今ならバレンタインチョコ安売りしてるから、一個飛段に買ったげる」
「ンナローッ、このアマ!」
雨に洗われたオレンジ色の下、二つの影が引っ付いたり離れたりしながら遠ざかっていく。
二人とも今だけのつかの間の幸せと分っている。
でも、誰に明日の事なんてわかる?
いつまでも変わらぬ美しい夕焼けなんてありえない、でもそれでいい。
記憶の中では時の長さは意味をもたないのだから。