死体
雨戸から差し込むまぶしい光でようやく何日も続いた豪雨が上がった事を知る。
きっとあちこち大変な事になってるに違いない。
むくっと起き上がり出立の準備を整える。
思った通り、森の中はいたるところ土砂崩れのあとが見え、木々がなぎ倒されている。
鹿をやたら保護するのもいいけど、ちょっとは森の事も考えなさいよね。
バランスをくずした森はそう簡単には元には戻せないのに。
私は皮なめしを職業とする家に生まれ、自身もそれを生業にしている。
革製の忍具入れは忍者の必需品だから忍び里にいる限り食べるには困らない。
でも、この仕事は常に仕事場に動物の死体があるものだから、子供の頃は結構仲間はずれにされたり気持ち悪がられたりした。
こういう里でこういう仕事をしてると、成り行き上、人間の死体が家にあったこともある。
困った事に私は死体に何にも怖い感情を抱かなかったから、余計変な子だと思われたんだろう。
だって生きてる人間の方がずっとこわい‥‥
両親が、関わった仕事のせいで次々と殺された時からそれは確信に変わった。
そして私は生きている誰とも口をきかない子供になったんだ。
ガサガサ。
くまざさが生い茂る薄暗い林をうろつきまわり、めぼしい死体はないかと探す。
雨のせいでぬかるみだらけ、歩く度泥があちこちに跳ね飛んで自分でもひどい有様。
いい若い女が何やってんだろ、と少しおかしくなる。
でも生きてる動物を殺すより、事故やけがで死んだ動物を探す方が自然ってもの。
無駄な殺生はしたくない。
だからこんな嵐のあとの森は格好の採集場。
私たちは森の掃除屋、そんなことを両親はいってたっけ。
本当はそんなことは森が勝手にするものだけど、一旦均衡を人為的に崩した以上、その秩序の維持には人間がかかわるしかない。
だから特別に、奈良一族でもない私がこの森をうろつけるのだ。
大量の新しい土。
きっと最近掘りおこされたか埋めるのに使われたものがこの大雨で押し流されて来たんだろう。
ひょっとしたら逃げ遅れた動物がうまっているかもしれない。
かわいそうだけど繁殖期の今、子鹿が巻き込まれている可能性も大有りだ。
雨上がりの今がチャンス、土が柔らかいうちに。
そうは言ってもやり方を間違うと自分も土に飲み込まれかねない、用心深く少しづつ掘り起こしていく。
掘り出し物、なのだろうか。
掘り出したもの、ではあるけれど。
取得物を前に戸惑いを隠せない。
ばらばらではあるけれどほぼ完全な体のパーツ。
成人男性の。
悪名高いテロ集団の証の指輪をはめた手。
鋭敏な刃物のあとが切り口にはっきり残る頭部。
汚れを落として傷口を塞げばさぞハンサムだろう。
忍び独特の脚絆をつけたままの脚部。
爆発物でかなりひどいやけどを負っている胴部。
なんであんなところにこんな『モノ』があったのかは謎としかいいようがない。
しかも‥‥まるでたった今始末されたかのような瑞々しさ。
もう一度埋め戻そうか、と迷った。
でもその完全ともいえる造形物をまたあの暗い土中に埋葬することはとんでもない罪のような気がした。
ようやくぜんぶを掘り起こし、何回かにわけて運び終わったころにはもうとっくに日がくれていた。
動物の死体をかついで山を歩きまわる事に慣れているとはいえ、さすがに成人男性は重かった。
念のため、しっかり戸締まりをする。
ネクロフォビア。
そんな言葉が頭をよぎった。
そうだったとしても。
もの言わぬ魂の入れ物を見て、その美しさに見とれるのは罪なんだろうか。
どうせどこにあろうと朽ちていく運命、ならばその最後をみとる位いいだろう。
なんとでも呼べばいい。
‥‥いずれ私も彼と同じように、この小屋で一人さびしく死んでいくのだから。
私と言う観客がいるだけ、彼は私よりいい最後を迎えられる。
質素な食事と風呂をすませ、さっぱりしたところでこの『モノ』からも泥を落としにかかる。
それにしてもおかしな死体だ。
あちこちかすり傷や打撲があるとはいえ、死体独自のつめたさが感じられない。
‥‥非の打ち所のない鍛え上げられた肉体。
今にも口を開きそうなきれいな顔。
見ているうちに、つなぎあわせたくなった。
割ってしまった皿を、必ず誰もがつきあわせたくなるのと同じ衝動。
幸か不幸か、私にはその技術がある。
もっとも皮を縫いあわせるだけの技術だけれど、べつに生き返らせるわけではないのだからそれで充分。
‥‥‥この男性はいったいどんな人だったのだろうか。
固いマメのできた掌にいつもどんなものを握っていたのだろう。
なるべく傷が目立たないように、細心の注意をはらってつなぎあわせる。
今日は腕を、次の日は足を、調子のいい日は顔の傷口をなんとか目立たないようにしてみた。
一週間ほど費やしただろうか。
そのうち最初の疑問は確信に変わった。
この死体は死体じゃない。
パーツの状態が日を置いてもまるで変わらない、つまり腐らないのだ。
そしてつなぎあわせるそばから治癒していく。
いったいどうなっているのだという疑問と、もしかしたらこの男性を蘇らせる事ができるのではないかという途方も無い期待と。
そして、時間がない事も承知していた。
この男が訳あって殺されたなら、その死体がなくなっていることに遅かれ早かれ気がつかれるはず。
危険な事に首を突っ込んでしまったという悔悟の念がなかったといえば嘘になる。
けれど。
きっと、土の中からこのひとを掘り出した時に私の運命は決まっていたのだ。
途中で放り出す気は毛頭なかった。
悪魔を蘇らせてしまうのかもしれないとおびえつつも、その悪魔を蘇らせる事ができる歓びの方が大きかった。
とうとう最後までとっておいた頭部を胴体につける日がやって来た。
縫い合わせながら奇妙な傷に気がつく。
今私が縫い合わせているところ以外にも幾重にも、首に縫い傷があるのだ。
なんども同じ場所に、しかもこんな大事なところに傷を負うとは。
この美しい人は本当にとんでもない人間に違いなかった。
でもやり出した仕事を途中でやめる事はしたくなかった。
出来なかった、という方が正解だろう。
彼はあまりにも魅力的だった。
死んでいるにもかかわらず。
完璧。
非の打ち所の無いアポロのような肉体美。
彫りの深い彫刻のような顔。
眠っているとしか見えない。
「ねえ‥‥‥なんて名前なの」
一人きりでこんな山奥にいれば一日、それどころか何日も声を出さずに過ごしてしまう。
時々自分に声があることすら忘れている。
それがいきなりこんな質問を、しかも死体にするなんて。
おかしくなって一人で笑う。
「ヒ‥‥ダ‥‥ン」
鳥肌が立った。
誰?
まさか、この目の前の死体?
彼が生き返りゃしないかとずっと思っていたから空耳が聞こえたのかも。
そうね、そうに決まっている。
ちょっと横になった方がいいかもしれない、ここのところ作業をつめすぎたから。
死体にシーツをかけて、自分もそばの布団に横になる。
ミシッ‥‥ミシッ‥‥
うとうとする耳になにか物音が聞こえた。
重い足音のような‥‥
ハッとして飛び起きると暗闇に赤い眼が2つ光っている。
戸締まりはしっかりしたはず、忍びの里だといっても、こんな山奥に、しかも金目のものなんて
まるっきりないこの小屋へいままで誰も押し入ったことなんかない!!
何?‥‥‥誰?!
眼を凝らすと、間違いない、あの男だ。
さっと目を走らせたけど、彼のいた場所には誰もいなくなっていたから。
「さ‥‥むい‥‥」
寒い?
「さ、寒いの?」
恐怖とも興奮ともつかないもののせいで、こっちも歯の根があわなくなりつつも尋ねる。
「さむい‥‥くら‥‥い‥‥こ、こ‥‥は‥‥」
「大丈夫よ‥‥さあ‥‥こっちよ」
本当は怖くて仕方なかった。
死体のときは怖くなかったのに。
フラフラと動く彼を介添えして、そっと布団へ寝かせてやる。
上から私の毛布をかけてやる。
「さむい‥‥」
「まだ寒いの?」
そっと手を掴むと、ぎょっとするほど冷たい。
当たり前と言えば当たり前だ、さっきまで‥‥仮死状態だったのだから。
「あ‥あんたは‥‥あた‥たかい‥‥」
手を離してくれない。
こんなでかい図体して、なんか子供みたい。
おかしいと同時に可哀相になる。
きっと土の中は真っ暗だったに違いない。
死んでしまっているなら恐ろしくはないだろう、でも‥‥おそらく、彼は‥‥生きていたのだ。
どうやってなのかは私にはさっぱりわからないけれど。
そっと彼の横に添い寝する。
ぎこちない冷たい腕が私を抱く。
「あ‥‥った‥‥か‥‥い‥‥な‥‥アン‥‥タ」
「
よ‥‥」
「
‥‥オレ‥‥は飛段」
ひんやりと冷たい体が私の体温を感じて少しづつ暖まってゆく。
あわせた胸からいやでもきこえてくるかすかな心臓の音。
だらりとしていた腕に次第次第に力が戻って来ている。
耳元に聞こえる息づかいに彼が生きていることを実感させられる。
ひょっとしたら、このまま自分の体温が彼に乗り移って私は死んでしまうかもしれない。
‥‥それでもいい。
この美しい造形に息吹をとりもどす手伝いをできたのだから。
次第に夜の闇がうすらいできたころ、彼の声が聞こえた。
「
‥‥あんた、神様だな」
「え?」
ずいぶん唐突なことを言う。
「どういうこと?」
「俺を‥‥バラバラになってた俺を、つなぎあわせたんだろ?」
でも、つなぎあわせることは別に私じゃなくても出来る。
「私にはあなたの生命力の方が驚異だけど‥‥」
困惑した声で答える。
「ええ?げはははは、俺は死なないからな、げほっ」
ゲハハハ?
なんだかえらく‥‥下品な‥‥それに死なないって‥‥まあ、その力を目の当たりにしたのは事実だけど‥
「まだ完全になおっちゃいないんだから(多分)、無理しちゃだめ。
大人しくして、飛段」
「‥‥んなことね〜って。
ちょっと気を失ってたかもだけどな。
ほら‥‥もう元気なんだけどなぁ‥‥コッチの方もさ」
上目遣いでねだり顔。
‥‥呆れた。
布団から抜け出そうとしたけど、彼は腕をはなしてくれない。
「なあ‥‥だめ?」
どう返事すればいいのか、こっちが困ってしまう。
「神様のエネルギーをちょっと分けてくんねえかなあ。
‥‥後悔させねえぜ?」
惹かれてないと言えば嘘になるだろう。
振り払う事もできた、彼にもそれぐらいの遠慮はあったから。
でも、しなかった、できなかった。
こちらの心を読んだかのように手を伸ばして来て、私の束ねていた髪の毛をほどいた。
すっと上体を起こして首に口づける。
「神様に捧げものだ」
慣れた手つき、強引なようでいて繊細なキス、固い掌なのにおどろくほど優しい愛撫。
むき出しにされていく恐ろしさと女にされていく快感。
揺さぶられ次第にマヒする理性。
これがさっきまで死んでいた男なのか。
体の中で何かが爆発して頭が真っ白になった。
ぐったりした私を逞しい腕と胸が正面から支えてくれた。
閉じたまぶた越しにも朝がきたのがわかった。
どれ位時間がたっただろう。
小屋の周囲がなんだか騒がしい。
はっとして飛び起きると、彼はもう起き出していた。
「よく寝てたなあ、いつ起こそうか迷ったぜ」
「‥‥外‥‥」
「ああ、来たな」
「‥‥逃げて、飛段」
「言われなくてもわかってるよ。
も目ェ覚めたんなら用意しな」
「え、用意って‥‥」
「俺を助けといて無事ですむと思うか?
それに俺だって
をいただいてく理由は山ほどある」
‥‥忍びの闘いだ。
かつて両親が巻き込まれた。
「無理よ‥‥足手まといになるだけよ」
フン、と小馬鹿にしたような笑いを浮かべる飛段。
「じゃあ正式にお願いするぜ」
いきなり膝まずいて私の手をとる。
「女神様、来てくれよォ」
確信犯の狡さを宿す紅い瞳。
「でも‥‥」
「俺は不死身だっていっただろ?
さえ傷つかなきゃどうとでもなる。
来てくれんだろ?
さ、こっから先は見なくていい、
にはグロすぎるだろーからな。
女神様の次はジャシン様にも捧げものしねーと具合悪いからな」
「なによ、死体相手に生きてきたのよ、なめないで!」
さっとみぞおちにジャブを喰らわされた。
「女神様に他の死体に浮気してもらっちゃ困るんでね‥‥」
心惹かれた死体‥‥だった男、飛段。
生き返った彼に担ぎ上げられ今度は私が意識を失った。
*閉じてお戻りください*