スローライト・リアリティー
今年もアカデミー恒例の『お月見会』が終わった。
「カンクロウ先生、ばいばーい」
「おう。明日は遅刻すんなよ」
いつものやんちゃ坊主達も、両親の前では当然のように無邪気だ。
アカデミーに在籍している子供達の親は殆どが忍。
故に今夜のように家族揃って月を眺めるなんて、のんびりとした時間を取ることさえままならないのが現実だ。
子供なりに分かっているからこそ、こんな日だけは素直に父や母に甘えられるのだろう。
微笑ましい後姿を見送り、青白い月を見上げ、凝った肩を回して調理室に戻った。
調理室では、バキと
が残った団子を摘みながら世間話で盛り上がっていた。
「カンクロウもどうだ? なかなかうまいぞ」
俺を見つけたバキは団子の乗った皿を差し出し、またひとつ団子を口に入れた。
「けど、もう散々食ったしな」
「いらないならいいわよ。バキ先生と食べるから」
はバキから皿を奪い、それを抱え込むと、俺に背を向けて団子を次々と口へ運んだ。
「誰も食わないなんて言ってねぇじゃん」
「おらひれしょ!(同じでしょ!)」
食べ物を口の中に詰め込みすぎたリスのように、頬を膨らませ抗議する彼女。
それを見たバキがお茶を啜りながら言う。
「その団子は俺たち用にさっき
が作ったばかりなんだぞ」
(なんだと! そんないいもん一人で食ってんじゃねえよ、バキ!)
今日、俺が食べた団子といえば、ごま団子に見せ掛けた砂団子だったり、抹茶風味に見せ掛けたほうれん草風味の団子だった。
子供達がこねくり回した不思議団子をイヤというほど口に入れらた俺には、彼女の作ったという清潔な団子がとても魅力的に見えた。
「ふーん。……あ、なんだあれ!」
「なに?」
俺は窓の外を指差して彼女が皿から目を離した隙に、団子をひとつ口に入れた。
「うわっ、うめぇ! 普通の団子がこんなにうまいと思ったのは今日がはじめてじゃん」
「ちょっとカンクロウ先生……。それって褒めてんの?」
彼女は団子を飲み込むと、やれやれと言わんばかりの表情でバキの隣から立ち上がって俺を見た。
「ああ、そうだけど。気に入らなかったか?」
「あんまり嬉しくない」
俺たちのやりとりを見ていたバキは、またかと言わんばかりの表情を浮かべ、湯飲みをシンクまで運び終えると「お先に」と言って部屋を出て行った。
急に静まり返った部屋の中、俺は彼女の団子を黙って全部平らげた。
「あ、サンキュー」
彼女はお茶を運んできて、俺の前のテーブルに置いた。
「なんか、これうまいじゃん。何てお茶だ? 今度から俺んちもこれに……」
「普通・・のお茶」
「…………」
遮るようにそう言われてしまい、バツが悪くなった俺は口を噤んだ。
しかし、彼女はそんな俺に構うことなく黙ったまま後片付けをはじめる。
いささか居心地が悪く感じた俺は秘めた想いを更に潜め、だが、この機を逃すことなく恐る恐る彼女に声を掛けてみることにした。
「手伝うじゃん」
「ああ、こっちは気にしないで帰っていいよ」
彼女は今し方の感じ悪さも覚えていないような顔でしれっと言い、すぐに手元に目を戻す。
俺は少しばかり気落ちした自分を素直に認め、何とかして彼女の傍に居座ろうと目論んだ。
確か彼女には、俺の知る限りで決まった男はいなかったはずだ。
彼女を密かに狙っているヤツは知っているが、俺の足元にも及ばない。
自信過剰も甚だしいが、実際にそういうヤツなのだから言い過ぎだとは思わない。
この俺が手も出さずに辛抱強くチャンスを狙ってきたのだ。
帰っていいと言われたからといって、そう簡単に頷ける道理がない。
俺は彼女に気付かれないように指先からチャクラ糸を伸ばし、シンクの脇に置いてあった缶詰を床に落とした。
「あ……」
すぐに彼女は拾おうとしたが、俺はそれを自分の足元方面へと引っ張った。
「これって余ってるのか?」
俺は小豆の缶詰を拾い上げ、さり気無く彼女に近付きながら訊ねた。
「そうだけど、食べる?」
「食う食う。缶切りは?」
「えーっと……」
彼女は手元にある幾つかの引き出しを手当たり次第に開けていったが、なかなか見つけられない。
俺は何気ないフリで、まだ開けていない引き出しを開けながら、少しずつ彼女に接近する。
しかし開けていない引き出しはすぐになくなり、俺は彼女の手が掛かった引き出しの奥を覗いてみた。
「そこにあるじゃん」
「あ、ホントだ。もしかして、カンクロウ先生って探し物得意?」
缶切りを引っ張り出した俺に、彼女は目を丸くして言った。
「アンタがボケてるだけじゃん」
俺が突っ込むと彼女は、あははと笑ったが、次の瞬間には怪訝な表情で隣の俺を覗き込む。
「ねえ、カンクロウ先生ってさ……」
そう言い掛けて、俺の気に入っているレモン形の目で見つめる彼女。
「なんだよ……」
自分から接近したくせして、少々怯みそうになる。気の強そうな口元が、ゆっくりと形を変えた。
「どうして私のこと、名前で呼んでくれないの?」
「いや、それは……別に、深い意味はねぇじゃん」
いきなり痛いところをつかれて、あからさまに動揺した俺は顔を背けると情けない音を立てながら缶詰を開けた。
しかし彼女は反対側に回り込み、懲りもせずに俺の顔をじっと見つめる。
「じゃあ、これからは名前で呼んでよ」
バンビのような無垢な瞳に見つめられてしまい、理由を聞く前にうっかり頷いてしまった俺。
「よかった」
彼女はそう言うと缶詰の中の小豆を皿に移し、その脇に幾つか新しい団子を乗せてくれた。
鼻歌でも飛び出しそうな弾んだ彼女の表情を見ると、俺も釣られて笑顔になる。
そして彼女の横顔を時々盗み見しながら、本当はあまり好きではない甘すぎる団子を口の中に押し込んだ。
出端を挫かれた俺は主導権を握り損ね、彼女の様子を窺うばかり。
しかし当の彼女は何も知らずに、あっけらかんとした顔で片づけを続けている。
「今年は雲も少なくてよかったね」
皿を洗いながら目の前の窓から夜空を見上げて彼女が言った。
俺は食べ終わった皿を彼女のいるシンクまで運び、隣に並んで同じように空を見上げる。
「ああ、絶好の月見日和じゃん」
彼女の言うように、空には薄い雲が一切れのみ――月を覆う心配もないほど遠く離れたところに流されていた。
それにしても今夜の月は白すぎる。その上、儚い輝きがあり、どことなく不気味だ。
「満月の日は事故が多いっていうから、カンクロウ先生も気をつけてね」
ぼんやりと月に見惚れていたが、彼女の声で我に返った。
「ああ、アンタも……じゃなかったな、
先生もな」
ぎこちない俺にクスッと笑って頷いた彼女。
「あ、ついてる」
突然笑いを止めたかと思うと、俺の口の隅に付いていた小豆を摘んだ彼女。
何も言わずに俺の口の中にそれ押し込んだ。
「んあっ……」
彼女の指先が舌に触れ慌てる俺を見た彼女は、愉快そうにまた笑い出す。
「カンクロウ先生って、意外と純情?」
「う、うるせーよ。っつか、いきなりこんなことすんなよな」
彼女にからかわれ悔しくなった俺は掌で口元を押さえ、無意識に半歩ほど彼女から離れてしまう。
しかし彼女はキスでもしてしまいそうなほどに顔を近づけ、ヤラシイ顔でぼそっと言った。
「じゃあ、断ればしてもいいの?」
「まあ、無断よりはマシじゃん……」
惚けた顔でどうにか答えたが、彼女とは目を合わせられなくなってしまった。
俺は何食わぬ顔でふきんを掴み、まだ濡れている食器を拭きながら、早くなった鼓動を正常に戻すよう静かに深呼吸をしていた。
俺だけが緊張しているようで少しばかり悔しかったが、彼女は調理室に鍵を掛けると、その鍵を戻しに職員室へ向かう途中でいつもの先生顔で言った。
「ありがとう。お陰で早く片付いたよ」
「俺の方こそ、ご馳走様じゃん」
「じゃ、お疲れ様でした」
職員室のドアの前で彼女は頭を下げた。よそよそしい気もするが、挑発されても正直困る。
しかし自分のペースが乱されたまま彼女と別れ、家に帰って悶々とするのもはっきり言って面白くない。
自分で言うのもなんだが、策略を得意とするこの俺が正体不明の彼女にただあしらわれるだけなんて見っとも無いことこの上ない。
「送ってくじゃん、
先生」
気が付いた時には、俺はドアを閉めようとした彼女の手首を掴んでいた。
「あ、うん、ありがとう。でも私、自転車なの」
「そうか、じゃあ俺が漕いでやるじゃん」
多少戸惑うような顔をしたが彼女はそれを了解し、鍵を定位置に収めると自分の荷物を担いできた。
外に出ると、校舎の脇に置いてある自転車をいそいそと転がしてきた。
「じゃあ、お願いします」
「おう」
俺がハンドルを握りサドルに跨ると彼女も後ろに座った。
「あ、あの、カンクロウ先生?」
しかし動き出そうとしたところで彼女はぴょんと飛び降り、急に焦った声を出す。
「あ? なんだよ、早く乗れじゃん」
「あの、私、最近体重増えちゃって……重いかもしれないよ、大丈夫?」
(そんなこと気にしてたのかよ)
急に彼女がしおらしく見えた。
「そんなの平気に決まってんじゃん。いいから、早く乗れって」
「……うん」
彼女は遠慮がちに後ろの荷台に乗ったが、俺が勝手に期待していた感触はやってこなかった。
「掴まらないと、危ねぇじゃん」
そそのかすように促して、彼女の腕を掴み自分の腰に巻きつける俺。
「全然重たくねぇじゃん」
「優しいんだね、カンクロウ先生は」
声だけで彼女が笑顔だと分かる。
少し遠回りをして彼女の家へ向かう間、頭の上に浮かんだ月が俺たちを見ているようで少し照れ臭くなった。
俺は時々振り返り、どうでもいい話を彼女に振った。
俺を見上げる小さな顔は月光に照らされて、いつもより白かった。
二人を乗せた自転車からは蛇のような曲がりくねった車輪の跡が続いている。
「満月の日には何かが起こるって話、信じる?」
俺の背中をトントンと軽く叩いて彼女は言った。
「重力に影響が出るらしいし、人間が影響受けたって不思議じゃねぇよ」
「そうなの?」
「海の水面の高さが変わるってき聞いたことがあるじゃん。ウミガメの産卵も満月じゃなかったっけ?」
「へえー、物知り〜!」
「そんなことねぇじゃん」
涼しい顔で言ったものの本当はすごく嬉しくて、顔がニヤけてしまいそうだった。
「月って、なんかスゴいね」
「そうだな。動物も盛っちゃうみたいだしな」
「人も、かな?」
「は?」
振り返った俺と目が合った彼女は、瞳を月色に光らせて俺を見つめる。
「私、カンクロウ先生にずっと嫌われてると思ってた」
針でチクッと突付かれたような小さいが鋭い痛みが胸に走り、俺は思わず急ブレーキを掛けて自転車を止めた。
「なんで、じゃん?」
「だって、私だけずっと『アンタ』のままだったし、話してても、いつも機嫌悪そうだったでしょ。だからいっぱい話せなかったんだ」
(そっちかよ……)
確かに俺は、これまで彼女とあまり話らしい話をしてこなかった。
だがそれは自分を軽く見せないためで、彼女に対しては誠実さをアピールしてきたつもりだった。
決して軟派ではなく、かなりの慎重派だと印象付けたはずだったのに、それが裏目に出るとは……。
自惚れるわけではないが、俺は知らないうちに多少なりとも彼女を傷つけていたのかもしれない。
「そうじゃねぇんだ」
しょんぼりする彼女が痛々しくて、言い訳するような声で言った。
「なにが?」
まずは彼女の疑問に答えるのが先だろうが、今の俺にそんな余裕はなくなった。
それに、ここで下手な弁解をして、彼女との間にこれ以上の溝が出来てしまうのはどうしても避けたかった。
そう思うと、俺の口は不自然なほど自然に動いた。
「ずっと、好きだったじゃん」
上半身だけ振り返ったまま手を伸ばし、彼女の顎を取って顔を近づけた。
「え? あ、あの……カンクロウせんせ?」
「黙って」
そのまま唇を重ねて、初秋の乾いた風に包まれる。
柔らかい彼女の唇はみずみずしく潤い、掌で触れた頬は彼女の団子よりもモチモチしていた。
そして俺は離しがたい彼女の唇を見つめたまま、ゆっくりと顔を離した。
「大丈夫か?」
どことなく放心状態な彼女に声を掛けると、彼女の顔は瞬く間に真っ赤になっていった。
「え、ええ。全然大丈夫です」
言った直後に、ふうーっと小さな息を吐いた彼女。
気丈に振舞ってはいるが、不意打ちに驚いたのは一目瞭然――俺だって、こんな自分に驚いてるくらいだ。
「付き合ってるヤツ、いないよな?」
気恥ずかしそうにこくんと頷く白い彼女。
「なら、俺にしろじゃん」
彼女が顔を上げそうになり、俺は慌てて前を向きペダルを踏んだ。
キスまでしておきながら逃げるようでカッコ悪いが、俺という人間もやっぱり動物で、月に魅せられて発情したのかもしれないと思うと、月色の彼女の瞳を見るのが少し怖くなった。
「さっきのセリフに名前入れて」
彼女はそう言って俺の腰に腕を巻き付けた。
「さっきのってどれ?」
「好きだって、あれ」
俺は前を向いたまま強張っていた顔の筋肉を緩め静かにほくそ笑む。
「ずっと、
のことが好きだったじゃん」
嬉しい照れ臭さに俺は思い切りニヤけまくった。
「実は私も、好きだったじゃん」
「えーッ!?」
が、彼女に予想外の告白をされ、驚いた俺はまたまた急ブレーキ。
「イテッ……」
俺の背中に勢いよく顔をぶつけた彼女は、眉間に皺を寄せ顔面を押さえている。
「大丈夫か? ちょっと見せてみろ」
自転車から降りて彼女の掌を剥がし顔を覗いて見ると、鼻の頭と額の真ん中が見事に真っ赤だった。
「ゴメンじゃん」
俺は謝りながら、あまり冷たくない自分の掌で彼女の額を押さえた。
ふわふわしていた彼女の輪郭が、触れた途端、急にリアルになる。
「やっぱり事故った。怖いね、月って」
彼女はそう言って苦笑しながら不思議な満月を見上げたが、俺はもっと彼女に現実を感じたくて、彼女の額から、鼻、口、頬と順に触れてみる。
「どうしたの?」
夢の中にいるみてぇじゃん……なんて言ったら、絶対に笑われる。
たった今、その夢から目覚めたばかりだ、なんてことも――。
「別に、何でもねぇじゃん」
だから俺は彼女を抱きしめながら惚けてそう言い、彼女の体温と感触にめいっぱい現実を感じることにした。
*リンクしていただいている『5957』のロク様より19,000HIT記念で頂きました!
カンクロウ『せんせい』っすよ!うはは、こんな先生なら生徒だろうと教師だろうと立場を超えて狙うわ!(ちゃうし)
ロクさんならではの一人称カンクロウの(ちょっとすけべな)心理描写にもうメロメロでございます////かわいい〜〜〜
これだから夢はやめらんないのよね、って実感です。
いつも構ってくださってありがとうございます、これからもどうぞよろしくです!